タカオ日記      

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四国霊場お遍路日記

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2月1日(土)はれ
海田の大師寺の火渡りを見に行った。写真教室の生徒さんも数名参加。
私は、その前に念願の日浦山に登った。宮島弥山倶楽部のメンバー3名が参加。
初登山、ネットから地図を出して、概容をつかんで出発。
駐車場がないので、JRに乗って行った。
時間の調整が分からなかったので、早めに出たつもりが、ちょうどだった。
すでに宮島弥山倶楽部のメンバーは来ていた。
住職に挨拶をして、登山開始、最初がかなりの急勾配。
88ヶ所めぐりもあり、話をしながらのんびり登った。初めての山なので、途中道に迷いそうになりながら、1時間半はかからず、頂上に着いた。景色はすばらしい、広島市内が一望できた。
時間が早いので下山をすることにした。途中はいわばもあり厳しいところもある。
地獄岩と言う場所があるので行ってみる。すごい断崖。
下山ルートがない。しばらく探してそれらしい道を下山した。
間違っていた。地獄岩を見上げる場所に来たが、このまま降りると、かなり大師寺から「離れる。
地図を見ると、左右反対に来たようだ。
再び、急勾配を登り、地獄岩の上に出た。
しばらく引き返すと、予定のAコースの標識があった。
見落としていた。
なだらかな尾根を下って行くと、墓所に出た。
地元の方に聞いて旧道を見つけ、いくと大師寺に直接出た。
法要が始まっていた。
13時火渡りが始まり、みんな必死で撮影、お参りをしていた。終了後、再びJRに乗って
広島駅に出た帰宅した。


2月2日(土)

2月3日(月)
江田島市のカキ祭で写真コンテストの表彰式があるので行った。
せっかく、江田島に行くので、宮島弥山倶楽部のメンバーに声をかけて
古鷹や山・クマン岳縦走をした。
12時すぎに出発なので、早めに帰路に着かないと暗くなる。
初心者も多いので、苦戦した。
スニーカーの人もいる。杖を持ってない人もいる。
最初の確認を充分するべきだったと反省。
5時20分の船に乗って帰った。

2月4日(火)
不在の間の納品物の準備」。
その合間を縫って、孫をマリーナホップへ連れて行く。
孫のお目当ては、水族館。
魚が触れるので楽しみに行ったが、閉店して釣堀になっていた。
多くの店が撤退して、空き店舗が目立つ。
全体の配列などを組みかえていると聞いているが
半分くらいの店しか営業していない。
フードコートも休業。
食事どころも、昼食1000円近い。
1000円バイキングは結構人が入っていた。
子供が100円は魅力。
孫たちをゆめタウンへ置いて、事務所に戻り仕事再開。
20時30分まで頑張る。翌日は、宮島弥山倶楽部健脚登山。
風邪と腰痛だが、佐渡のことを思うと行ってみることにした。
参加者に迷惑をかけないようにしなくては。

2月5日(水)
宮島弥山倶楽部健脚登山に参加。連ちゃんの登山なので
不安はあったが、訓練のつもりで行った。
ロングコース。山あり谷ありの連続。
道なき道を歩く。いつもの金剛杖を置いて
登山用スティクを持参。これが大きな威力を発揮した。
土に刺さるので、登り・くだりも安定して行ける。
かなりのエネルギー・精神的な負担を軽減した。
23000歩、楽しい登山であった。
GPSで登山道を確認。ポイントチェックしながらなので
結構忙しい登山でもあった。


2月6日(木)
連ちゃん登山が終了したが、咳き込みがひどくなり。病院へ行った。
先生は、もう直っていると思っていたと言われたが、現実は違う。
咳喘息ではないのですか?と聞くが、はっきりしない。
咳止めの薬をもらって帰った。
注射はなし。
マスクをして出かけるが、苦しい。
宮島に納品する商品をチェック、まだ、不足がある。
6日には持参をしようと思っている。
寒い。しかし月末に行く佐渡はこんな寒さではないはず。
慣れなくては。
夜は、写真教室。マスクをしながら、咳き込みながら終了。
なかなか休めないので、直りが遅いのかもしれない。

2月7日(金)くもり
宮島に納品に行った。
事務所も雪が舞っていた。
念のために、登山靴を履いていった。
荷物が多く、傘もさせない状態。カメラは持参したが、
他の装備は持って行かなかった。
カメラマンの血がさわぎ、装備もないくせに登る。
ロープウェーはベストの選択だったが、霊火堂までの登山道は、最悪。
スリップの連続。下山は旧道を通った。ここも積雪が多く、苦戦。
東京から来た2名の女性と同行する羽目になり、無事、ロープウェーまで送り届けた。
そのまま、ロープウェーで下山した。
外国の観光客は、オーストラリア・オーストリア・ニュージランドの人たちでした。
さすが、オーストリアの女性たちは、雪道をすいすいと歩いていました。

2月9日(日)はれ
またまた、弥山へ行って来ました。
大雪だったので、チャンスと思いましたが、車では行けないので
宇品から高速艇を使って宮島へ
カキ祭りがあるので、大勢の人が来るので行く予定にはしてなかったのですが
9時25分の船に乗ると、10時前には宮島に到着。
雪のため、カキ祭りの人は多くなかったです。
会場をすり抜けて、もみじ谷へ・・・。
ロープウェーは運休。
佐渡での雪の歩き方を練習するようにということだろうと、アイゼンをつけて紅葉谷を「登って行った。
下山をする、年配の3人グループに出会った。
アイゼンのおかげで、スリップはなかったが、雪が深く石段が隠れてしまい、時間を食ってしまった。
1時間30分で霊火堂へ到着。
誰もいない。静寂が心地よかった。
お寺の方に写真を撮ってもらい、頂上へ・・・。
もちろん頂上も誰もいない。
しばらく写真を撮って、大日堂経由で、弥山本堂に戻り、裏手で日向ぼっこをしながら
パンをかじった。
女性がスニーカーで下から登って来ていた。
怖いので、帰りはロープェの再開を待って下山をすると言っていた。
私も、考えたが、結局大聖院コースをゆっくり下山した。
道が雪に隠れているので、スリップすると危険。
それでも数名の人に会った。途中で引き返す人もいた。
下界に降りると、積雪はまったくなかった。
帰りは、JR・広電を乗り継いで帰った。遠い。

2月10日(月)くもり
いよいよ、佐渡に向かう日が近づいて来た。
午後から、ネコショップへ行ってみた。
かわいいネコは多い、金額もなかなか
少し大きくなると、値段が下がるらしい。
その後は、本通りへ出て、遍路用の靴を見に行った。
初めて行く店。
大きな店。入って靴の売り場に行った。
販売の人が来たので、どうしようかなと思いつつ
トレッキングシューズが欲しいと言うと、適切なアドバイスと商品を勧めてくれた。
以前行っていたショップとは、対応が雲泥の差だった。
登山用とトレッキング用は、靴の形態が違う。
用途を説明すると、防水と防水でないものを出してくれた。
サイズについても、2種類のサイズを出してもらって、はきくらべた。
左右に違和感があると説明すると、各サイズを測ってくれた、右が5mm大きいことが分かった。
防水用は、全体が硬く、あたる部分があると言うと、防水ではないけれど、保温効果が高い方を勧めてくれた。
本人も山が好きなようで、実践向きな話があったので、安心して購入して帰った。


2月12日(水)
11日、女房は調子が悪いというので、一人で早朝散歩へ出かけた。佐渡に行けば、20日間一人旅になる。
早足で歩くので、結局、いつもは1時間30分以上かかるコースも、1時間5分ですんだ。
途中、トイレに立ち寄り、ネコのミーちゃんと5分以上遊んでいたので、1時間はゆうに切れて勘定になる。
旅は、時間を稼ぐものでもないので、佐渡では、宿のことを考えて、のんびりと行くつもり。
現在は、雪もなく寒さ対策を重点的にするように聞いた。しかし、いつ、大雪に襲われるかは分からない。覚悟をして行く。
出発前に、しておくべきことを淡々とこなす。
宮島弥山倶楽部の新年度の募集案内を発送し始めた。
佐渡に行っている間は、業務がすべてストップしてしまう。
テンションをあげていかなくてはいけない。


2月13日(木)
だんだんと迫ってくる。佐渡遍路。
少しずつ準備は進行中。
情報も、入ってくる。
1日目の宿泊先が決まった。
昔、99歳で亡くなった無形文化財「文弥人形」遣い浜田盛太郎さんの写真を撮ったときに
お世話になった。
その後、東京表参道で写真展をしたときも、わざわざ来てくださった。
10年以上たった今も、年賀状のやり取りはある。
いよいよだな・・・・・。

2月14日(金)
佐渡島行きの準備が、ひとつづつ整理できていく。
カメラやさんへ行き、sdカードを3枚(16ギガ)保険に、安いSDカード(32ギガ)ひも付きのレンズキャップを購入した。
合わせて、カメラを修理屋さんへ持って行き「ホコリ」とりを頼んだ。
もし、期日までに帰って来れなかったときに、仕事に穴を空けることになるので、代わりに撮影に行ってもらう方に、機材の使い方を説明、持って行ってもらった。
宮島弥山倶楽部の次年度申し込み依頼書なども郵送した。
早速、カンパ金を持ってくる方もいた。
寒さが厳しい。
その対策が良く理解できないので、1日目の旅館に余分に送り、現地で持参品を確定することにした。

2月15日(土)
佐渡行きの準備。
カメラのクリーニング。リュックを担いで、近所を歩く。実践訓練に入る。
問題は、気温対策。
いろいろ着てみて、一番楽な格好にしなくてはいけない。
結論として、ユニクロで買ったダウンジャケットが一番効果がある。
実際、佐渡に行くとちょっと薄いので、もう少し厚めのものを買うことにした。
GPSも東日本版が着た。
ある程度のものは、宅配便で送るとしても、整理する。
宮島弥山倶楽部の次年度申し込みも、ぼつぼつきはじめている。
元ロープウェーの社長は、わざわざカンパ金を持ってきてくださった。
出来るだけ整理して行きたい。
メンバーで、次年度参加をして欲しくない人に、参加遠慮の知らせを送ったが、やんわり書きすぎて
変な方向に進みだしたので、はっきり断る理由を知らせた。
これで、ひとつさっぱりしたが、どんな逆襲が来るかは不明。

2月16日(日)
佐渡用の上着を買いに行った。専門店、歩いて20分くらい。なるべく歩くようにしている。
店員さんに「薄くて風を防ぎ、暖かい上着が欲しい」と言うと、ウインドブレーカーを進めてくれた。
羽毛に入ったのはだめかと聞くと、通風性も考慮しているので、風を通さないほうが良いのではないかと言われた。
なるほどと思い、他のも見てみるといって、店内を歩きながら探した。
羽毛になると、かさばる。
色の問題もあり、結局買わないで、また、歩いて帰った。
弥山登山で考えることにした。
日曜日の登山は、凍結があるので家族の登山は中止。
宮島弥山倶楽部のメンバーのみで行くことにした。

2月17日(月)
いよいよ、佐渡遍路が近づいて来た。
弥山登山が、壮行会登山に変わった。
相当の凍結を覚悟して登ったが、予想に反して暖かく雪も登山には影響がなかった。
弥山本堂裏で昼食をした後、まんだら岩を見学。その後、奥の院へ行き、記念写真撮影。
多々良林道を下り、大元公園で解散した。18000歩だった。(事務所計測)
下界に戻ると、いろいろと挨拶や注文をもらっているうちに、19時近くになった。
急いで事務所で、雑務処理、月曜日に迎えるネコのために買い物。
忙しい1日だった。
月曜日からは、もっと忙しくなりそうだ。

2月18日(火)
午前中授業をすいませ、ネコをもらいに行った。初めて行ったときはまったりした猫の印象だったが、ネコをかぶっていたというか、じぇれまくりアクティブなネコだった。
仮の名前が「福ちゃん」
時間がなかったので、急いで行って帰った。
我が家での名前は「ビリー」「いっぺいちゃん」の候補があったが、娘の意見で「いっぺいちゃん」に
決まった。
私たち夫婦に男の子が生まれていたら、つける予定の名前だった。
その後、宮島に渡りやまだ屋さんの店内の写真を「さくらバージョンに替えた」
時間がないので、作業をしながら20日のJTBが行う、弥山観光ガイド養成講座の打ち合わせをした。
早めに帰宅して、女房と交代「いっぺいちゃん」の面倒を見る。
おもちゃで遊びまわる。
じっとしていない。
2時間くらいして、疲れたのかそばに来てごろごろ言い出してなついてきたころ、女房が戻ってきた。

2月19日(水)
どんどん近づく。
準備不足は、深刻。
午前中は、宮島に納品するハガキの仕上げ。
宮島弥山倶楽部の受付事務処理。
昼食も食べれない、2時過ぎ自転車で讃岐うどんを食べに走る。
3時から近所に引っ越してきた、なかみちさんの新店舗の撮影。
機材を担ぐと、ずっしりと重い。
三脚だけでも、3kgを超えている。
出発前にぎっくり腰は避けたい。
そろそろ歩いて行った。
お店は、定休日。
撮影の準備に入ると、訪問者。
時間がかかりそうなので、事務所に戻り、休憩をしてから
撮影開始。外観は薄暮狙い。まず、店内から撮影。
注文を聞きながら撮影。細長い店なので、広角系のレンズで撮る。
ガラスの反射もあるので、偏光フィルターを使いながら撮る。
薄暮になったので、電車通りの反対側から撮る。
距離は50mくらいはあるか?
車の往来も多い。開き直って、車のライトを入れて撮影。
3時スタート。終了は7時。4時間の撮影だった。
ひとつ、用事をすませた。
あとは、画像処理に1日かかる。

2月20日(木)
午前中は、前日の店舗撮影の画像処理に全力投球。
午後からは、来客があり3時前まで2名の来客の応対。
急いで、画像処理をした店舗のデーターを配達した。
その後、家族とオーソリティに集合。暴風・防寒用のウインドブレーカーを購入。
急いで、事務所に戻り出発前の最後の写真教室を行った。
帰宅したのは、9時前、夕食を食べたら、コタツに入る。 いつの間にか寝ていた。
12時前に、ベッドにもぐりこんで就寝。明日は5時起き。
弥山登山に向かう。
あわただしい日々が続く。

2月21日(金)
20日は宮島弥山ガイド養成講座の講師として、宮島に渡った。
総勢17名で大聖院コース経由、頂上、そして、大元コースを下った。
ガイド養成となっているが、実際には
ガイド希望者と旅館関係者と一般
目的が違う。また、すでに5回の講座を終了しているので
ガイドとしての注意事項などを話した。
町石の説明は、専門家の岩崎さんが来たので
彼に説明をしてもらった。
16時解散。結構長い講座でした。

2月22日(土)
準備も最終段階に入った。
事務所も経理関係の整理も終了。
納品関係も終了。
関係者に、1ヶ月近い不在を再度告知した。
22日は、最後の記念撮影を行うので、事務所をスタジオ仕様にする。
夜は、母を交えて焼肉屋さんへ、栄養補給に行く。
佐渡に渡ると、たいした食事は出来ないだろうから。
さあ、最終準備リュックに荷物をちめるのもまもなく。