タカオ日記 1月分     



1月2日(水)はれ
年末から、大風邪を引いたのと、年内に終了しようとMAP製作に2日間、根をつけたのか、コンディションは最悪。体中の関節は痛み、目は痛み。
年末から、寝込んでしまった。
1日も何もしないで布団にもぐりこみ、家族の食事。元宇品の散歩。母の米寿の祝い会と多忙に、なり夜は倒れこむようにベットに・・・。
宮島は、皆さんが期待していた様子ですが、展望台も工事のやり直しで撮影をしても仕方ないので行かなかった。
宮島弥山倶楽部のメンバーは、多く行って写真をとってGFACEBOOKに掲載をしていた。
なぜか、力の入らない新年になってしまった。

1月7日(火)はれ
久しぶりに日記を書く
この正月は、風邪をひき
ほとんど寝ていた。(眠っていた)
東京からも家族が戻って来ていたし、広島の家族も来ていた。
私は、寝室に隔離状態。
みんなの楽しそうな声は聞こえてくる。
4日に病院へ行ったら、「手遅れ」救急病院へ行くべきだったと言われた。
まだ咳が抜けなく
苦しんでいる。
6日には、何とか事務所に着いた。
1日仕事をしていたが、夕方には苦しく
早めに帰宅。
今年は、なぜか事務所に来た年賀状が、不明で戻っている。
心配して連絡を下さるかた、送りなおしてくださる方
波乱の出だし。

1月8日(水)くもり
風邪は峠を越したもの、歯の痛みがとれない。
ひずみが出たのか、しばらく様子を見て病院へ行こう。
女房が、温泉に行こうというのでちょっと無理をして出かけた。
自宅から高速を使って1時間。高宮の湯へ向かう。
積雪を心配したが、土手に残る程度で、何の問題もなかった。
さすがに体力が落ちているのか、サウナに2-3分入っているだけで
苦しくなる。
もっぱら、ソファーに寝ていた。
帰りは、暗くなっていたので、道路の凍結を心配したが、これも問題なかった。

1月10日(金)朝雪
なかかな完全に風邪が治らない。
熱さましシートを額に貼って仕事。
集中力が不足する。
こなすべき仕事を頑張ってするがなかなか進まない。
夕方、散歩に出た。寒い。こんなに寒いのは、珍しい。
身体が慣れてないからだと、頑張って公園を周回。中道さんの店が近所に出来るので、様子を見に行った。
だいぶ内装も出来上がっていた。
我が家のネコを朝一番で病院へ連れて行った。そのまま、1日入院した。
胸に水が溜まり、呼吸困難になっていた。夕方、連れに行くと、とりあえずは元気になっていたが、
もう長くないのではと、女房は泣いていた。
以前のネコも、血栓が飛び、苦しんで死んでいったので
静かに眠るように、旅立って欲しいと願う。

1月11日(土)はれ
いよいよ本格始動に向けてテンションをあげていく。
風邪もほぼ治った。咳はなかなか取れない。
微熱もあるので、2日間熱さまシートを額に貼っていた。
通常の仕事は、こなした。
昨日は、メンテに出していたカメラをとりに行った。そして、愛宕の美容室に正月に撮った成人式記念撮影の写真を納品。
風邪を口実にすぐに引き上げた。普段だと1時間くらい話をしているが。
宮島に登った話をされたが、よく分からなかった。
どうも、ロープウェーで行き、獅子岩展望台を見て帰ったようだ。
ロープウェーの案内写真を、携帯カメラで撮っていたので、最初、行ったと勘違いをした。
明日の弥山登山を考え、早めに帰宅して風呂に入り、のんびりした。

1月12日(日)はれ
11日は、弥山初登山。
体力が落ちているので心配をしたが、最初苦しい気持ちだったが、徐々に身体が思い出し。
GPSで測定をするため、休憩をとったのもあり、無事霊火堂に到着した。
多くの観光客・登山客がいた。
まず、頂上まで一気に上り、展望台から景色を見て、弥山本堂まで戻り、裏手で昼食。
大聖院コースを下山しようとしたときに、高野山からこられた僧侶に会い、話をしているうちに、石鎚神社に案内することになった。
御山神社・薬師堂跡。稲荷社・まんだら岩などを案内して、下山を開始した。
2時間の余分な時間になった。
その後大聖院コースを下っているときに、8丁で再び遭遇。
落としものとりに500mほどひき返すことになったが、同行された。
下山して大聖院へ行き、新年の挨拶をして帰路についた。あたりは、真っ暗。
長い登山となった。

1月13日(月・祝)
登山明け、身体の痛みはない。
思ったよりも、体力は落ちてなかった。
少し、遅い出勤。
出かけに孫の永愛ちゃんが来た。しばらく遊んで出勤。
画像処理で1日が終わった。
大聖院へ納品する、弥山登頂記念書を納品準備完了。20枚しかなかったので
とりあえず郵送した。
残りは、後日納品する。

1月14日(火)はれ
成人式の記念撮影があった。
昔からお世話になった美容院の紹介や宇品のスタジオに来られていた方が、来てくださった。
とても写真館といえるようなものではないが、ありがたいことだ。
撮影後は、家族の方とモニターを見ながら選ぶ作業。
撮影に15分選択に30分ということになる、多くのお客様は撮れないが、せっかく来ていただくので満足してして帰っていただきたい。
撮影終了後は、近所のロイヤルホストで十分食べた。
さすがに疲れが出たのか、画像処理の気力がないので、作業は翌日にして、大聖院から注文があった弥山登頂記念証の製作に入った。
まず和紙を水切りしてサイズを整えた。
その和紙は、弥山霊火堂に1週間安置して、消えづの火の煙のにおいをしみこませ、消えづの火の灰と墨を混ぜて文字を書。
、そして、ビニールに入れシールを貼って納品する。
質にこだわりたいと思って作業をしている。

1月15日(水)はれ
また、いやな連絡が宮島関係者から来た。
プロのカメラマンに写真を無償提供して欲しいという。
自分で撮ればと伝えた。
気持ちよく貸してあげてもいい人なら良いが、人を利用することしか
考えない人には、貸したくない。
この手の話が、先日から続いて来る。
いい加減にして欲しい。
弥山霊火堂で販売している弥山登頂記念証の手書きを始めた。
45枚書いた。落款を押して、1週間ほど霊火堂においておく。
その後、ビニールに入れてシールを貼って終了。
どうやって、霊火堂に持っていくかだが、19日の登山の時に持参する予定。
気が付いたら、20時を回っていた。
夕方、井藤さんの息子さんが遍路用の菅笠と金剛杖を持って来てくれた。
四国で購入してもらった。
準備は出来てきたが、佐渡の宿がないようなので、その点がクリアできない。

1月16日(木)はれ
15日は江田島に行った。
江田島観光協会主催の写真コンテストの審査。
130点あまりの中から、金賞をはじめに、多数の賞を決定した。
今年から、観光協会の関係者が総入れ替えになり、要領が分からないようで
不安だったが、問題なく決定した。
2月2日のカキ祭りの中で表彰式がある。
技術を競うコンテストではなく、誰でも入賞のチャンスのある選考基準なので
意外性があって面白い。
往復の船の中では、澄み切った海と島と空が際立って美しかった。

1月17日(金)はれ
事務所で作業。
昼食のみ外食。あえて歩いて讃岐うどんを食べに行った。
最近、早朝散歩をしていないので、万歩計が進まない。
成人式の写真も仕上がってきたので、台紙に入れて一部は納品を夜にした。
配達に来た、宮島弥山倶楽部のメンバーでもある久藤さんと、19日の弥山登山の打ち合わせをした。
配達をしたので、早めに自宅に着いた。
孫の永愛ちゃんと、買い物に歩いて行った。
ダイキに行き、シャベル・木材・セメントを購入。
ついでに、永愛ちゃんに赤い大きな手袋を買った。このサイズが合うまで、私は元気でいることが出来るか考えた。
次に、隣のディオに行った。食パン・ビール・明日の昼食パン・酒のつまみ。永愛ちゃんにアンパンマンのリンゴジュースを買った。
永愛ちゃんは、いつになく喜んでおしゃべりをしていた。
途中、母のところに寄った。

1月18日(土)くもり
寒い日が続く、午前中に成人式の記念写真を美容室に届け、その足で女房と二人で元宇品に向かった。今年に入りタイミングが合わず、早朝散歩は途切れている。
車で入り口まで行き、歩いて猫のいる場所に行ったが、いない。時間帯が違うといないのかもしれない。しばらく読んだが現れなかった。
プリンスホテルの付近には、数匹のネコがいたが、なついてないので無視された。
山の中かもしれないので、尾根道を走ってみたが、灯台の場所にもいない、小学校の近くで5匹くらいのネコが、日向ぼっこをしていたが、知らないネコばかり。
この寒さを、どうやって暮らしているのか心配ではある。
その後は、ドンキーへ行って昼食。女房を三越まで連れて行き、事務所に戻り仕事の再開。
どうも歯切れの良くない仕事を続ける。
頼まれた、古い写真の複製のために、スキャニング・画像処理をする。
見積もり金額を知らせると、ちょっとむっとした様子が電話から伝わってくる。
遺影写真の金額としては、かなりお安くしたつもりだが、写真屋さんへ出す料金程度に思っていたようだ。保留にしておいた。

1月19日(日)くもり
18日は、宮島弥山倶楽部の新年会でした。17名。
2時間ばかり歓談をした。
仕事を早めに済ませてから、新しくなった中道さんの店に行き、それからパセーラまで歩いて行った。
少し早めに着いた。遠くから来る人もいたり、迷ったりでスタートが遅れた。終了は9時過ぎ、みんなあわてて帰った。
女房は風邪を引き、寝込んでいる。

1月20日(月)くもり
19日は、宮島弥山登山。隠密行動に切り替えた。
早朝、鳥居の背景は雪景色、太陽が昇ると、あっという間に解けていく。
大聖院コースを登って行く、上からアラレのように木々から落ちてくる、だんだん雨に変わって行く、
どんどん温度が上がっていくのが体感できる。さすがに350mを越すと、登山道には積雪、あたりも白くなっていく。下山する人にとっては、凍結スリップが怖い。
霊火堂に行き、和紙に書いたものを不動明王の像の横に置いた。
その後は、大元コースを下った。思ったほど積雪はなかった。
GPSを持って、大聖院・大元コースの町石の位置を測定した。
下山して知り合いの店を訪問。いろいろと情報交換した。船に乗ったときは、あたりは真っ暗。

1月21日(火)曇り
20日は、支払日でもあるので、午前中の写真教室が終わって、支払いに行ったり、集金に来てもらったり、宮島のお店のシールの発注などをした。
その合間を縫って、前日の宮島弥山登山の画像処理などをした。
写真教室も寒いので、事務所で行った。
5円玉を紐でぶら下げ、振り子状態しにして、壁に貼った直線と交差する瞬間を撮る訓練。
自分の思った時に、シャッターを切っているかを見る、そして訓練。
皆さん、10枚に1枚くらいは何とかクリアしていた。
その後は、鳥の羽を使って、照明を「当てながらの撮影。
自分のイメージを表現するために、アシスタントに的確に指示をする訓練にもなった。
基本を勉強することは大切。
初めて参加した女性も頑張っていた。

1月22日(水)はれ
21日は宮島弥山倶楽部健脚登山。
鷹の巣砲台を目指して、博奕尾コースを登り、途中から大砂利へ向かい、そこからも外れて
包山経由で鷹の巣砲台へ一気に下って行く。
シダもだいぶ生えて道をふさぐ。
吹雪いてきた。
健脚なので、できるだけ自然の道を歩くため、遠回りになる。
25400歩。
山での歩数としては、辛い。
みんな元気に帰還できた。

1月23日(木)はれ
登山明け、さすがに身体が悲鳴をあげている。
事務所で、事務処理等をこなす。
画像処理もある。
1日中、パソコンの前に座って作業。
前立腺が痛み出した。
座って作業は、こたえるのか。
登山明けの昼食は、定番のお好み焼き。
女房の誕生日。うっかり写真教室をキャンセルしていなかったので、8時まで教室を行った。
帰りに、ゆめタウンで花を買って帰宅。孫たちがピザを食べていた。
パーティは改めて行うことになった。


1月24日(金)はれ
23日、16年間いたネコのがっちゃんP(別名 ジョージ)が逝った。
肺水腫。
1週間前に病院へ連れて行った時は、胸に水がたまっていて緊急入院。
また、おかしくなったら連れてくるように言われていた。
薬もなくなってなっていたのと、少し元気がないので、朝病院へ連れて行ったら、そのまま入院、酸素室に入った。
女房から連絡があり、肺にも水がたまっているので、長くないと。
夕方、連れて帰る準備をしていたら、女房から連絡があり、すぐに行くから自宅に、戻るように
すでに蘇生に入っていると聞かされた。
病院へ行ったら会えるかとの期待もあったが、すでに亡くなっていた。
5年前、同じ1月23日に亡くなった、仲の良かったポンタ(別名 ショーン)は、血栓が飛び、下半身不随になりながら、苦しんだ。その姿を見ていたので、苦しまないように逝って欲しいと願っていた。
その通り、家族には苦しむ姿を見せることなく逝った。
自宅に変えると、いつも玄関まで迎えに来てくれたかわいい家族だった。
23日の朝。いつものように早朝に起きると、外に出してくれとせがむのが恒例なのに、行こうとしない。私が食事をしているとそばで、じっと見ていたのが思い出されます。
病院へ行く時も、普段はすぐにBOXに入るのに、この日に限って、嫌がったので無理やり押し込めて行きました。
今から思えば、自宅で死にたかったのでしょうか。
女房も、どうせだめなら自宅に連れて帰るんだったと泣いていました。
今日、火葬場に連れて行く前、自宅の思い出の場所に連れて行って、別れを惜しみました。
また、生まれ変わって我が家に来てくれることを願って見送りました。

夕方自宅に連れて帰って空を見ると、天国に向かうがっちゃんPの姿がありました。


1月25日(土)はれ
家族が一人逝くだけで、家の中の様子は一変する。
夜、帰っても迎えてくれることもない。
必ず、鳴きながら奥から出てきてくれたがっちゃんPは、もういない。
呼んでみたが、返事はない。
家の中を白いものが走って食べののあった場所に消えた。
まだ、家の中にいるんだと感じた。
今朝、も起きて呼んでみた。毎日、起きると新聞を取りに行く私について外に出て、ある場所のコンクリートをしばらくなめてから入ってくる。
早くしろと文句を言いながら行っていたことが、今日からは必要ない。それから、えさを催促するので、あわてるなと言いながらさらにえさを入れることも必要なくなった。
新聞を読んでいる私のそばに来て座っていた。
今は、いない。
私は、仕事に出てしますと家の中のことは分からないが
一番長い間暮らした奥様がさびしそうに泣いている姿を見るのが忍びない。
今朝、私を一人にして佐渡の巡礼に行くつもりかと言われた。
一緒に行こう。
ネコがいるから、家を留守に出来ないと言っていたのを聞いていたのではないだろうか。


1月26日(日)くもり
早めに帰宅したが、誰も迎えには出てこない・
がっちゃんと声をかけるが、もちろん返事はない。
がっちゃんの匂いが消えていく・
一人で風呂に入る。
2時間くらいして、女房が戻ってくる。
バイオリンのレッスンから戻って来た。
また、涙ぐんでいる。
早く、ネコが欲しいと訴える。
二人の夕食はさびいい。
明日は、弥山登山。
私は、気晴らしが出来ていい。

1月27日(月)はれ
26日のサプライズ登山は、面白かった。
いつものメンバーで紅葉谷を登り、GPSを使って遺跡や町石の位置を再確認。
頂上まで上り、弥山本堂で昼食、その後は御山神社に行き、大元コースの調査をして帰った。
詳しくかけない場所にも、アイゼンを使って進入。
急勾配を登った。
午前中は、暖かく午後からは寒さとの戦いになった。
夜は、女房の誕生祝いをするため
カニ道楽へ行って、母孫家族と過ごした

1月28日(火)くもり
宮島のお店に、1ヶ月近い不在を伝えたら、欠品チェックをして注文が来はじめた。
木版画(大判)などの注文が来た、在庫が足りない。
また、近日中に気分を締めてすらなくてはいけない。
霊火堂からにおいをつけた和紙も完成しなくてはいけない。
出発まで、ばたばたしそうだ。
しかし、声を出してはみたが、実感がない。
テンションをあげていかなくてはならない。
温泉に行って、気分を入れ替えようと思う。
体力増加も過大。
身体の故障箇所のメンテナンスもする必要がある。
どんどん、自分を追い込んで行く。

1月29日(水)はれ
28日、宮島のお店からの木版画の注文を整理し、在庫のないものを把握した。
近日中に、木願画をすらなくてはいけない。
大聖院からの注文の弥山登頂記念証は、霊火堂に1週間置いておいた和紙に、匂いがしみこんでいるので、匂いが飛ばないように密封状態を作る。
午前中に済ませて、午後から極楽寺へ行った。
女房をアルカディア(温泉)に置いて、極楽寺に向かった。
凍結の心配があったが、情報を頂き、昼間は大丈夫と言うことなので、向かう、道が北側にあるので、まだ、道路の脇には雪が残っている。
極楽寺には、この寒さなので参詣者もいなかった。
住職が出てこられたので、挨拶をした。
お土産に以前、撮影させてもらって作った仏像のハガキを持参した。
コーヒーをいただきながら、佐渡行きの報告をした。11年前四国遍路の時も相談に行った。
今度は、環境が整備されてないこと、気温が低いこと、宿がないことなどそうして、11年も経過しているので、私自身の体力の問題など、心配事はたくさんある。
また、話が弾み2時間も話し込んだ。今まで話しことのない家族のことなど。
気がついたら、女房を迎えに行く時間になっていた。
30分後に拾うことになっている。私自身が温泉に入る時間ない。
あわてて失礼した。
帰りに、般若心経の教本と安全祈願の数珠を頂き、アルカディアに向かった。
5時に連絡をすることになっていたので、6時に延期してもらい、あわてて、風呂に入った。
のんびりは出来なかったが、来て良かった。
6時過ぎ、凍結の心配をしながら下山した。