タカオ日記 12月分
BACK
12月2日(月)はれ
12月1日は、夕方から事務所で仕事をしていた。
久しぶりに、自宅でゆっくりくつろぎ、昼食を食べてからしばらくして
奥様に同行して、BEST電気そしてゆめタウンへ行き、買い物をした。
登山用品は高いので、ユニクロで代用できるものを探した。
防寒ズボンは、2000円弱で購入できた。
下着・靴下もついでに購入。
冬支度は終了した。3日7日15日と登山は連続して行われる。
体力を整える必要がある。
12月3日(火)はれ
2日月曜日は、写真教室が午前中あった。
弥山展望台が6日に仮オープンするにあたり、地元実行委員会では、7日にオープンセレモニーを行い。餅まきが行われる。
その広報をするので「大変だった。
メール・FAXを通じて広報。
あわせて、宮島弥山倶楽部のホームページやFACEBOOKで広報。
宮島弥山倶楽部のメンバーでもある、宮島ロープウェーでも記念品が配られる。
急な話なので、皆さんが集まれるかは微妙な情勢。
12月4日(水)はれ
12月3日は、宮島弥山倶楽部健脚登山。山野の地蔵様などを掃除して、お賽銭を集めて大聖院へ収めた。
一般登山道は、賽銭泥棒がいて1円玉しか残っていない。
山野は、賽銭泥棒も来ないので100円玉もある。
多宝塔コースを登り、朝日観音・駒が林ピーク。三観音様などの賽銭を集め、掃除しながら大聖院コースを下って、お賽銭を僧侶に渡して解散をした。
12月7日(土)
母を病院へ連れて行くため、事務所に行くのを遅らせた。まず、街中の病院へ母と女房を連れて行き、おろしてから事務所に行った。
写真等は、ポストに入っていたので発送準備をした。
診察が終わったので、迎えに行き、今度は補聴器の店に車で連れて行った。
運転しない人の特徴でもあるが、どこにでも車は行けると勘違いをして簡単に言う。行ってみると、電車道路に出た右側に店がある。いったん電車通りをつきぬけ、右折して戻ってこなくてはいけないが、電車通りはUターンできない。
いくら話をしても理解できないようで、母も年をとったと感じる。女性特有のものなのか。
途中、写真展をしていた会場に立ち寄り、額のガラスが割れた問題について話をした。
画材屋さんへ母たちを自宅に送り行った。
その後、事務所に戻りカメラ修理の店に行き、カメラを回収した。
明日は、弥山展望休憩所のオープンイベントに行くために、準備をしなくてはいけない。
12月8日(日)
宮島弥山倶楽部初心者登山で、弥山展望休憩所の仮オープンに参加した。
10時の餅投げに間に合うように
7時50分集合、8時の船に乗って出発した。
ロープウェーが12月から、始発が9時とは知らないで行ったので
並ぶこと5番目、記念品もゲット出来た。
10時のだ一回餅投げは、50名くらいの人が集まって行われた。
11時12時と3回行われたが
12時が、さすがに多く100名くらいの人でにぎわった。
帰路は、大聖院コースをごみを拾いながら下った。
12月12日(木)
つい、忙しく日記を書き忘れる。
12月10日11日と、父のふるさとである大崎上島に一泊で行った。
宿泊先は、清風館(展望の良い露天風呂もある。
もう、多くの方が亡くなり、顔見知りの方も数少ない。
木ノ江の町も、超過疎地域なのだろう、人影はほとんどない。
店もない。
道路は拡張され、立ち退きをした家は、近所にモダンな建物を作っている。
昔、細い路地のような場所に建っていた旅館が、大通りに面していた」。
風情はもうない。
親戚を数件回り、仏前にお参りをして旅館に入った。
景色がいいので、風呂上りに外に出て夜景を撮る。寒くて再び風呂に入る。
翌日は、夜明けを待って外に出て朝やけを撮る。
場所が悪いので、数分歩いて灯台の近くに行って撮影。展望がいいが、風が強く寒い。
1時間ばかり撮影をして、宿に戻ると、女房が宿の浴衣にコートを羽織り、首にはバスタオルを巻いて、外に出て写真を撮っていた。びっくり。
朝食を済ませ、1件残った家の仏壇におまいりをして、神峰山頂へ車で向かった。
途中、工事中で迂回路を行くことになり、道に迷ったが何とか上の駐車場に着いた。
展望はいいが、頂上まで450mの登山。
途中展望台が2つ、石鎚神社遥拝所(立派な建物)があり、頂上には、大きな建物(薬師堂)があった。
急いで登山に出発したので、GPS機材を持って行くのを忘れていた。
まあ、いいかと思って戻ったが、思い直して。車からGPSを取り出し、再び頂上を目指した。
結局、頂上へ2回登った。地図に書かれた案内では、片道14分と書いてあったが、私は往復17分でいけたので、2回のチャレンジを決意した。
また、再び来る機会はしばらくはないと判断した。
結構疲れたが、達成感はあった。頂上は建物もあり、宮島のような全方向の展望は、1箇所では無理だが、四国は目の先、今治・菊間はすぐ先にある。
島の数も多く、すばらしい場所だった。
下山して、スーパーの横にある、昨日も食べたレストランで昼食をして帰路についた。
12月13日(金)
2日も留守にしていたので、雑用に追われる。
画像処理をしながら、メール・FACEBOOKのチェック。
午前中に、黒川さん中川さんと依頼を受けた宮島の単行本の発行に関与するか検討会をした。
結論は断ることにした。
午後から、ブラック画材に行きガラスの割れた額をアクリル板に変えてもらった作品を
松田さんのギャラリへ持参した。
久藤さんも駆けつけて来て作品を、懐かしそうに見て帰った。
その後は、事務所で作業。14日は、宮島で宮島弥山を「守る会の勉強会・理事会・懇親会と終日行く。
12月14日(土)くもり
午前中、仕事を済ませて宮島に向かおうとしたら
パソコンの外付けハードディスクが壊れて、データーの取出しが出来なくなった。
宮島の勉強会は欠席。
13日は宮島の団体の勉強会・理事会・懇親会があった。
来年3末で、役員をやめることにしているので、最後の会として参加をした。
余計なことを話すと、引き込まれるので
だんまりを決め付けた。
懇親会も、できるだけ皆さんとは会話をしないようにしていた。
今まで、話をしたことが実行企画に組み込まれて
実施された経緯があるので、やめづらくなることも考慮した。
役員の皆さんは、態度に不思議に思われたようだが
懇親会の後半も退室して、メールのやりとりをしていた。
最近は、宮島に行くのも楽しいことがなく
足が、遠のき気味。
宮島弥山倶楽部をもっと気楽に活動をして行くつもり。
12月15日(日)
土曜日、久しぶりに事務所にいた。
今週は、母を病院へ連れて行ったり、父のふるさとに母を連れて、1泊旅行に行ったり、宮島登山・会議と忙しかった。
HPのトラブルもあり、1日中かかって、外付けディスクの入れ替え作業。
500ギガを他のディスクに動かすだけで、1日かかった。
15日は弥山登山。
14日は、早朝散歩をしてコンディション調整。
12月16日(月)くもり
15日の登山は、初心者ながら
一般登山道を使わないで登った。
まずは、厳島合戦のときに、毛利軍が山を越えて来た道らしき尾根を逆に登った。
皆さん、驚いていたようだ。
一番長い尾根をのんびり登り、350mのパワースポットに行き、ロープウェーの駅を経由して頂上へ行った。
観光客は多く、リニューアルされた展望台を見て帰っていた。
御山神社で昼食をとり、大聖院コースを下山した。
途中、宮島弥山倶楽部の人や、石鎚神社関係者、そして、知り合いのパーソナリティの人にも会った。
みんなから預かった、折鶴を外国の観光客に渡した。
アメリカ・オーストラリア・フランス・インドと多彩な国から来ていた。
手渡しなので、心が伝わり喜ばれた。
12月17日(火)くもり
16日は午前中写真教室。
テーマは「枯葉を芸術的に撮る」
皆さん、苦労して撮ってました。
私も、見本写真を作るために20分ほど公園を散策して
撮りました。
いつも使わない、D300にマクロレンズをつけていきました。(オートフォーカスではない)
風が強く、なかなか葉が揺れて、画面に入らず、ピンとも合わない。
そんな中で撮った写真。
午後からは、銀行の入金確認を兼ねて、讃岐うどんを食べに行った。
店に入ると生徒さんが一人いて、私が食べている間中、話しかけてきた。
熱心な女性で、二科にも所属しているそうだ。
その後は、事務所に戻り、木版画を刷りながら
弥山登山のルート確認をしながら作業をしていたら
8時30分。奥様から迎えに来るようにと定期連絡があり、急いで事務所を出た。
帰りは、久しぶりに焼肉屋ヘ行き。栄養をつけた。
12月18日(水)雨
17日
事務所で、久しぶりに木版刷りをした。
現在、宮島で販売している木版画。
在庫がなくなったので、追加。
木版画は気持ちが高まらないと出来ない。
朝一番気合を入れて、事務所に行き
準備をする。
気分の維持できるのは、せいぜい1時間。
その間にする。
墨と水と糊の配合が難しい。水の変わりにお湯を使い、糊を墨に混ぜていく。
乾燥していると、墨はすぐに乾く
何度も木版画に墨を塗る。一度にと横着をすると、にじむ。
しばらく刷ると、和紙が木版にこびりついてにじみが出てくる。
せいぜい、20枚が限界。
木版を変えて、別の絵柄を刷るが、気分が違うので、途中で終了した。
今日は、25枚で終了。
乾燥してから、サイズに水切りして台紙に貼ることになる。
疲れた、早朝散歩も気分転換にはなるが、エネルギーの消耗にもなるので
バランスを整える必要がある。
7時30分、事務所を出て女房のいるイオンへ向かう。
約束の時間に10分遅れ、ほの湯に行っていた女房は、遅刻に機嫌が悪い。
12月19日(木)曇り
18日は覚悟を決めて、年賀状作り、宇品郵便局まで車で切手を買いに行った。
まだ、年賀切手があった。
まずは、宮島弥山倶楽部のメンバー150名用の製作。
あいさつ文の印字、宛名シール貼り、切手貼りまで終了。
あとは、年賀スタンプ・落款・コメント書きが残った。
時間との戦いになりそう。
19日21日23日はまったく時間がない。
他の方への年賀状製作を考えると、25日完成は難しいかも。
12月22日(日)
21日は弥山清掃登山に参加。
大聖院コースを一気に登り、大元コースを清掃した。
途中、雨・みぞれに会い、作業を早めに済ませた。
あまろ登山道をきれいに刷ると、登山道らしくないので
石段の滑りそうな場所のみを掃き、平地はできるだけ自然のままの
登山道にするように、参加者にお願いをした。
12月23日(月)くもり
早朝散歩も1時間遅れ、帰りに喫茶店へ寄って、モーニング。
帰宅したのは、11時頃。
しばらくテレビを見てから
昼食をして「事務所へ、14時過ぎ。
ここから、エンジンをかけて年賀状の製作。
20時に帰宅して、また食事。
ちょっと、だぶつき気味。
12月24日(火)はれ
23日は、今年最後の弥山登山。
春に一人で行った秘境へ皆さんを案内した。
足にはアイゼン、ロープを使って登山道から
100mくらい沢に下り、沢沿いに下って行くと
滝の口に出た。
ここからの展望はすばらしく、感嘆の声をあげていた。
その後は、100mの壁を這い登り、登山道に出てから
しばらく歩き、今度は廃れた観音道を歩き、仁王門に出た。
そして、頂上へ行き。霊火堂に行き、ねがい地蔵と記念ピンバッチを購入した。
宮島弥山倶楽部の当初から参加して、音楽担当をしていた藤登さんが、22日になくなった。
まだ、50代。癌治療を3年くらい行っていたが、残念な結果になった。
弔い登山となってしまった。
12月25日(水)
連休明け、連ちゃんの登山の疲れが出ている。
が
早朝散歩は行った。
ネコにも挨拶をしたい。
ミーちゃんは、道路に出て待っていた。
しばらく遊んで行く。
日の出が遅いので、のんびりしていると
帰宅が遅れ、9時営業開始が難しい。
案の定、9時過ぎには携帯電話がなる。
予定が分からないので、再度10時30分に電話をもらう。
江田島市の写真コンテストの審査日の決定。
大聖院からの発注の、数珠の納期の確認。
そして、写真はがきと生写真の袋詰めなどをしていたら
年賀状の製作が出来なかった。
12月26日(木)
25日は宮島弥山倶楽部のメンバー藤登文枝さんの葬儀があった。
音楽部門のお世話をされていた。弥山本堂・大聖院本坊・廿日市さくらピアホールなどで、平和祈念コンサートを行って下さった。
弥山山頂でのコンサートも願っていたが、果たすことは出来なかった。
残ったものの責任において実施したい。
夕方、孫たちが東京から戻って来て、夜は大騒ぎだった。
12月27日(金)雨
やっと年賀状を発送した。
全部ではない。
そろそろ年賀状をやめようかと思っている。
最近知り合った方には、年賀状は出してない。
FACEBOOKやメールで連絡がとれているので
のんびりメッセージを送ろうかと思う。
宮島の最終納品物を整理した。27日に娘を送って宮島に行くので
済ませる。
厳島神社への販売分寄進も持参する。
昨年ほどの売り上げはないが、恒例になっているので年内に済ませる。
孫たちが揃っているので、風呂に入れる。
大騒ぎの我が家。
12月28日(土)はれ
年末も押しせまる。
27日は、娘が宮島のホテルのホームページにかかわる仕事をするということで
東京から戻って来ていて、打ち合わせに行くというので、納品を兼ねて同行した。
新しく出来たホテルで、料金も飛び切り
中を見せてもらったが、すごい。
この料金もありかなと思った。
宮島は、年末にもかかわらず観光客は多い。
新年に備えて休業している店もある。
さすがに、寒く、打ち合わせを済ませたら宮島を離れた。
廿日市あたりは、雨が強く夜は雪の可能性が強かった。
12月29日(日)はれ
10時に廿日市に行かなければならなかったが、大雪警報。
車では行けないかと心配をしたが、結局山は真っ白になっていたが、道路にはまったく雪はなかった。
18分の収録になったが、衆議院の平口さんのスクランブルトーク番組に出演した。
宮島弥山倶楽部のメンバーなので、打ち合わせなしの本番。
その後は、親戚の家を訪問してしばらく歓談をして帰った。
仕事の打ち合わせが合ったので、中川さんが家族で来られた。
その後は、自宅用の年賀状の作成や、頼まれたシールのデザインをしていたら、20時近くになったので帰宅した。
孫たちが大騒ぎをしていた。
12月30日(月)はれ
年末も押し迫って、ひとつの仕事を完成する気になった。GPSを使った弥山の登山ルートと見所の位置の確定。
半年かけて歩いて集めたデーターをルートごとに分ける作業。
いずれ、仕事に役立つはず。
買った、GPSも使い方がよく分からず、データーをどんどん入れていったが
ダブりがひどく、いつか整理しなくてはと思っていた。
6時間パソコンに向かい、不要なデーターを削除していく作業。
登山の回数分、1コースに100以上の削除項目がある。
さすがに、帰宅したが目が痛かった。
12月31日(火)はれ
どうも、風邪をひいたようだ。
寒気がする中、パソコンに向かって最後の仕上げをする。
GPSで測量をした資料を地図上に落とし込む。
使い方がよく分からなかったの、とりあえず全部入れていたが、重複してはいっていてトラブルになるので、登山日語とに分けた。これが大変な作業。
トラブルを避けるためにいちいち消去作業を行ったが、最終的には、コピーすればいいことが分かり。飛躍的に作業は進んだ。
しかし、目は疲れ果て、風邪と一緒になって苦悩した。
9時過ぎに終了、帰宅したが
すでに家族は食事終了。