2022年度 参加者
2022年4月11日現在 149名(個人・法人・他)
(名誉顧問)仁田一也・平口洋
永久会員:藤登文枝・宮郷晴督・河尻清・門田昭彦・松田曄功・弘法寛三・広川和男・中道誠二
法人(17)
スタジオ タカオ 大聖院 永本建設 博多屋 錦水館・宮島別荘 瀬戸内シーライン 宮島ビール 宮島の宿 岩惣
己斐商事 やまだ屋 ホテルまこと 宮島グランドホテル有もと 宮島ロープウェー たばこのなかみち 合同会社 平野屋
CORSO ゆかり屋 石亭・あなごめし うえの
個人(107)
平田節子・藤原隆雄・田中雅子・宮石惇・伊達三代子・ポーリン・波多野邦彦・伊藤洋子・フンクカロリン
古瀬清秀・吉岡妙子・古田知子・井上幸子・佐野秀孝・山本正一・谷本久美子・城山裕子・吉岡勇
河尻公子・中本武雄・林忠正・原田明美・きむらしゅうこ・尾崎雄治・正木友美
仁田昌邦・崎岡理恵・兎本明子・竹島文江・荒木亮司・猪谷彦太郎・平尾真由美・国好雅夫
川上苔子・三好紳介・藤登祐二・古武家雅光・藤原明美・中川洋・平口さとみ・やまもとのりこ・大﨑勇一
辻阪章・明野愛子・新持俊一・山本正一・小林ゆきえ・宮久保憲治・金尾哲也・山口礼子・大谷真由美
くらしげあきこ・井手畑隆政・織田雅己・熊野澄雄・中村靖富満・戒能彰子(改名)・MACO・砂田見親・正路敬子
吉田裕美・まりん(ペンネーム)石原堅・松田貴子・高橋浩一・高橋祐子鹿児島蓉子・松本長人
新谷洋子・仁田一郎・中本恵美子・紫龍のり子(ペンネーム)・正路スマコ・若杉清子・片山智佳
杉原リョウコ・堀江慎太郎・南哲夫・江原友子・鳥生春葉(雅号)・木田伝・岸本和枝・林孝幸
三尾英恵・大野珠代・塩谷るみ・加川泰志・荒瀧文代・大下陽子・豊田珂代子・吉田勝己・岸本志乃・今井由香
中道元子・中道豪一・中道詠子・中道徹・米村かえる・宇月彩・藤岡久美子・広畑裕一郎・堀之内修
久藤和機・谷憲二・佐伯桃子・木本泉・尾崎時雄
宮島の店(個人登録)(12)
ぎゃらりぃ宮郷 旅荘かわぐち 町かど 宮島手づくり工房 小林物産店
尾田食糧店 山村商店 厳島東門前 菊がわがわ 佐々木八重子の店 宮島もみじの賀
菓子処きむら・岩村もみじ屋
新加入(3)
西本有志・畑野康・吉村千春
退会(12)
六信さよ子・堀江規維・三原やすこ・尾﨑宏明・前田紀子・澤村きょうこ・本田貴久・前田美妃恵
瀬田薬局(廃業) 大森郁子 新藤昌幸 お玉のキャベツ
2022.9.9 宮島大聖院万燈会
宮島弥山倶楽部平和祈念コンサート
静かな弥山。登山中は、口笛を吹くと、鳥たちが鳴いて返事をしてくれます。ウグイスの声に「お上手!!」と叫ぶとお礼の鳴き声がしてくる。平日は静かな弥山。
時々、学習登山のグループと行きかう。5名程度の編成になっているみたい。
弥山頂上展望台も人は少なく、私たちグループだけのこともあった。
別行動の国好さんたちグループのほら貝の音が、駒ヶ林あたりで聞こえ、奥の院、御山神社、弥山本堂、三鬼堂付近で聞こえ、弥山頂上に近づいて来た。
そして、大聖院ルートを下って行った。無言壮行なので、余計なことはしゃべらない。
私たちグループは、大騒ぎをしながらもみじ谷ルートを登り、10時スターが、頂上に着いたのは、13時30分。やっと昼食。
こんな登山も良いかなと・・・・・
次回は、22日この時は、弥山倶楽部メンバーの人がお世話をしている日本宇宙少年団広島分団の子供たちが参加予定。
また、いつもとは違った登山になりそう。
本日の目的は、セッコクの花。ギンリョウソウをめでる。残念ながら、セッコクはまだ早く、次回登山を楽しみに。
ギンリョウソウは、3個発見。 まだ少し小さい。おまけは、頂上の龍頭の杉跡付近で、お賽銭で投げたと思われる寛永通宝をは発見。
山は、しろだもの黄色い花が満開。厳島神社のお島めぐり。お島廻りは15日予定通り行われるので、弥山倶楽部では8名が参加予定。
4月24日宮島弥山倶楽部 初心者登山
雨の中幻想的な弥山を堪能
4月10日 宮島弥山倶楽部 おじさん道中 登山
2022.3.27 宮島弥山倶楽部 岩屋大師にて護摩行に参加
動画を見れますクリックしてください
https://youtu.be/xUb1_d8onL0
https://youtu.be/5gzo-nokhlI
https://youtu.be/ZiW-LQCPmZg
宮島の秘境から見た、宮島の下界の景色
2022.3.20
以前の撮影から
幻の瀧から
下界から見たら
新しい崩落現場から
いずれも、船から確認が出来ます。
新しい崩落現場は、下界からどこからでも
幻の瀧は、大願寺附近から見れます。
弥山登山に関してClick Misenregard toclimbing 上をクリック ご希望のルートをクリックください 現在、動画を追加中
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弥山でしかて手はいらないもの | ||||||
パワースポット情報 | ||||||
幸紙(宮島では昔からあった厄除け紙) | ||||||
宮島植物 | ||||||
弥山開創1200年祭 関連 | ||||||
弥山本堂 ねがい地蔵 | ||||||
宮島弥山ガイド ipad版 |
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町石について | ||||||
宮島弥山をテーマにした「音楽」 | ||||||
御島廻り 御とぐい式 | ||||||
赤ペンキ問題(宮島弥山倶楽部は犯人扱いを受けました) | ||||||
鷹野巣砲台 | ||||||
宮島の七不思議 | ||||||
台風被害 |
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350mの秘密 |
11丁下 旧不動岩(通称 賽の河原) 年末の掃除の時、一番お賽銭が多い場所です。
余りにも酷い状態なので、廿日市の永本建設の永本社長に相談しました。
お金がないので、作り方を教えて欲しいと 永本さんが納期を気にしないのなら 私が、ボランティアで作りましょう。と言って下さいました。
材料費・運搬等を宮島弥山倶楽部で何とかします。
ということで 今回、復興募金を開始しました。
まず、宮島弥山倶楽部のメンバーに協力依頼をしました。
続き、宮島を愛する皆さんにも 是非、一口1000円の募金をお願いしています。
金銭・労力の協力をお願いします。
霊火堂から仁王門に向かう階段 |
宮島原始林・植物から見えてくる宮島の自然の特徴投稿者:織部 投稿日:2011年 8月31日(水)14時53分18秒 |
宮島原始林・植物から見えてくる宮島の自然の特徴 8月27日・宮島ホテルまこと 宮島御山を守る会 調査研究部会活動・・・・・・・・ 講演会には大いに新たなる思考が生まれました。 まことに有難う御座いました。 そして、早速ですが、私見(訂正)と過去の情報をお知らせします。 先ずは、私の事ですが、 朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫 幽斎 神道国学者 一条力治 印 毛利家上卿祝師家老 細川織部 其処で宮島・私は常に嚴島と言って居ます。その理由は嚴島町当時の地図が宮島町役場に有りました。 その地図には、嚴島全体図のみで、町屋の地図は記載され言いませんでした。 其処手で、昭和25・6年青年団指導者の当時の総務課長から其の地図を見せられて「天領地」と見て聴いた。 その地図の中心に「細川」と印刷されていた。即ち「天領地」細川家の領有地・所有者と判明した。 そして其の地図の細川が、私の祖・細川家である。 即ち、明治維新までは嚴島の管理権は「細川家」に有りました。処が・・・・・・・・ この名前は毛利家の属将細川家で、更に朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫が朝廷での資格です。 そして明治維新を迎えて新たな税法が交付され、大野町の山林は納税不能の理由で国に返納した。 厳島は天領地・細川家を管轄していたのが時の朝廷で有ったために、細川家では納税不能の為に法的に・・・ 朝廷国家へ返納されなくては為らなくなり、嚴島は国家へ返納されたのである。 先ずは、このような社会状況から、嚴島の政治経済原始林の管轄の記録と朝廷語部制度で嚴島の史記を継承する。 従って、嚴島の史記を述べさせて頂きました。魏志倭人伝から始まり、木花之佐久夜欸買”!コノハナノサクヤヒメ その孫が嚴島神社の「伊都伎島姫之命」であります。 即ち、ここから嚴島の自然林が朝廷の保護の基に現在まで、辛うじて継承されています。 しかし、その自然林の嚴島は保護されるどころか、少しづつ破壊の経緯を説明する事に成るのです。 その説明から、神道国学の読み方について「馬鹿」を神道国学では記録と甲骨龜甲因書で解読するのです。 その記録とは「馬とむ鹿」が嚴島に存在する。その因書を解読すると何らかの鹿の間引きが行われていると言いました。 そして気になるので、帰ってから甲骨龜甲因書を解読してひも解くと吉野先生の指摘された鹿が交尾で・・・・・・・・ 年々増えていると言う事を、過去の経験とその意味を検考して見ますと興味の有る話が思い出されました。 それは、まだ戦時中の事田ですが、廿日市市平良の叔父さんが宮島の山にはオオカミが居て・オオカミの声が聞こえる。 そう言って居ましたが、宮島の住人・私らは犬が居ると言っていた。秋田犬かセバード犬が居ると言っていた。 その犬は、里へ下りてきて鹿を追っかけて食っていた。最初は後ろ足に噛みつき倒れると食うのです。 ですから、御不動産公園に居る鹿の3匹は何時も片足の無い鹿が居たのです。 そして秋に為ればマツタケを取りに山へ入る。時には木の枝に首を吊って死んでいる人が有っても、松茸狩りに熱中して・・・ 自分の真上に死体が有る事にも気づかないような松茸狩りでした。 その中に、時々鹿の死体が有りました。当時はその意味すら解らなかったのです。 今思うと、吉野先生の鹿の生態・敵がオオカミと言う事を初めて認識して聞きました。 それは鹿の間引きは「犬」私らはそう言って居ました。鹿が犬に食われていたと言っていた。 それも今年は犬が居ないようだね。と言って・・今年は犬が出たと言っていた。その犬は里に出ると神鹿ですから・・・・ 人間が犬を追っかけて鹿を助けた事は多々・私は有りました。 鹿と犬の関係はこんな事でした。・・・・それが、先生の鹿の生態を聞かされて、ああぁぁぁーそうか・・・。 犬が鹿を間引いていた。と顕かに思えるようになりました。 その犬の効果は、嚴島の御山等々山奥には鹿は一匹も居ませんでした。犬に鹿が追われて里に居たと思います。 ましてや包ヶ浦・大砂利等々には鹿は絶対に居ませんでした。 その根拠は安芸国佐伯庄毛保一条邸には常に秋田犬8匹が雪舟邸に自然飼いに為っていた。 その数匹を嚴島の山林に放つ事に因って鹿の間引きが行われた。極秘で有ったと思う。 であっても・現在では真実の公表の方が嚴島の自然林を守護する事になるとの決断から公開します。 処が御山「獅子岩」にモンキーセンターが出来て、初代の現場管理人日岡氏の話を聞くと、 サルの餌に誘われて鹿が出てくるようになって困ると言っていました。 ・・この時から鹿が御山の自然林の奥まで入り込んだと言う事です。 今年は犬が居るなぁぁ・・・今年は犬が出ないなあぁぁぁぁー と言って居たのは顕かに鹿の間引きで有ったと思えるように為りました。 毛利家属将上卿祝師家老は、その実子を嚴島神社棚守に措き・当社は毎年朝廷中務省正四位 上卿神主祝師太夫の職責を京都まで出張する形で職務を遂行していました。 言い換えれば、嚴島の真実の史記は我が家の以外には詳細を熟知する者は居ないのです。 毛利家属将上卿祝師家老 歴代嗣子 細川織部 吉野先生 殿 それとオオカミの犬の話を検証すると・・・・・・・ 戦後の昭和20年の神社の破壊と紅葉谷の復旧の事です。 当時は食糧難で、鹿を食料にして食べたので………・ 一匹の鹿も紅葉谷には居なかった。 其の為に紅葉谷の復旧が為ったのではと思います。 http://blog.goo.ne.jp/oribee88 |