嘉永元年の絵より
霊火堂(消えずの火がある)
霊火堂は昭和27年に創建された
2005年5月5日に消失
現在の霊火堂は2006年7月17日再建されたもの
昭和27年(1952)以前は、弥山本堂の中で燃え続けていた。
標高 約463m 昭和27年頃の弥山本堂と霊火堂
ここで、休憩して、頂上を目指す。ここからは、10分弱で頂上に達する。
石段を登って行きます。
三鬼堂
右に三鬼堂を見ながら、左手の石段を登る。
三鬼堂の前にある 23丁石
三鬼堂から石階段を登ると、すぐに左手にある。
新しい22丁が、最初にある。
そこから、30mくらい登ると、右手の千手観音の横にある。 標高 約499m
いずれも被害なし。
左の写真の22丁が、最初にある。
台風で倒れた大木が道をふさぐ。
向こうに観音堂・文殊堂が並ぶ
うしろに見えるのは弥山山頂
台風で倒解した鐘楼の跡
左に鐘楼跡、中央は昭和天皇が皇太子時代に桜を植樹された場所。今は、桜はなく倒れて石碑が残るのみ。
右の石段を登ると弥山山頂へ、途中、毘沙門堂跡がある。
大正15年5月27日 昭和天皇(当時皇太子)が弥山登頂された記念石碑。
写真右の岩の中腹に毘沙門堂があった。
今は、石仏が安置されているのみ
220年前に奉納されている
大きな岩の道から下を眺めると、手前に大日堂、御山神社や遠方には、奥の院がかすかに見える。
左の道を行くとくぐり岩を通って弥山山頂へ行く。右は、毘沙門堂跡入り口。
右は古い当時の写真から、明治以降違った建物があった様子
21丁
今はない毘沙門堂の入口付近にある。
くぐり岩 標高 約519m
梵字で書かれた石塔がある
24丁(被害なし)
頂上付近の大岩の入口にある。昭和天皇が皇太子の時に来られたことも書かれている。
24丁石・昭和天皇皇太子時代登山記念碑
標高 約529m
頂上付近の大岩の入口にある。昭和天皇が皇太子の時に来られたことも書かれている。
頂上 標高 535m
頂上には、石仏などが残っている。
2014年リニューアル トイレはあるが、冬場凍結で水が出なくなり、使用禁止の時期があるので注意。
その場合は、弥山本堂横のトイレ。またはロープウェー獅子岩駅のトイレを使用。
頂上 標高 535m
展望台からの景色。
1番 弥山の標高を示す石(この場所では 標高、約530mとなっていた)
2番 現在、国土地理院の標高変更があり、この地点を頂上と決め 標高535となった
3番 霊火堂・弥山本堂から登って来た道
4番 ここから下ると、陰陽石・干満岩・舟岩・かいせん岩・大日堂へ行ける。
降り口にある、「弁慶のかかと」といわれる場所がある。
写真では、左の下の岩にくぼみがある。
この道を下って行く。写真に人物が写っている場所から振り返ると、陰陽石が見れる。
陰陽石
手前が男性・奥の岩(お尻をイメージする岩)
滑りそうな岩山を下る。 干満岩の手前の右の岩の上に上ると、昔、桜の木が岩を二つに割った名残が見れる。
干満岩
どれか分かりますか?
岩の真ん中に直径5cmほどの穴があります。手を突っ込んでなめてみると、わずかに塩味がします。
下って振り返ると左のような景色が見えます。
何かいわくありげな大岩です。十字の割れ目には、石仏が安置されています。
左に行くと、大日堂へ向かう道。
右の石垣沿いに行くと、大岩があり、展望は良いですが、ほとんど人は行かないようです。
舟岩 右下には石仏群があります。
そこの仏様も、町石のようだが不明
右から下ってくる。左は、大きな岩の下の仏像を見に行くことができる。また、かいせん岩をくぐると
右の道と合流するが、現在は、かいせん岩の間は通行できない。
ここから石階段を下ると、左手に大日堂がある。
奥の灯篭の左奥1mの場所に最古の町石がある。
17丁(被害なし)慶長の頃で、最古です。
1599年作と言われている
大日堂の向かって右側の藪にある。
大日堂
石段を下って行くと ふたたび 21丁のある広場に出る
石段を下から見上げた風景
石段を下った右側の藪に18丁石が並んでいる
2010.12 標識が新しくなっています
左に行くと、弥山本堂・霊火堂にでる。
右に行くと、大聖院ルート 御山神社・奥の院・駒ケ林・大元ルート経由大元公園へ至る
この道は、少し険しいが、御山神社へ行ける
途中山中に、石鎚神社もあるが一般の方は行くのは難しい。
十三佛御真言 標高約465m
霊火堂に戻って来ました