歩き遍路第8日目
2014.3.3 40575歩
<参拝寺> 49番-種徳院 50番-法幢寺 51番-慶宮寺 52番-真禅寺 53番-玉林寺
54番-宝蔵寺 55番-長谷寺 56番-普門院 57番-慶徳寺 58番-清水寺
出発点:世尊院(48番)付近 到達点:管明寺(59番)付近
前日、焼肉を食べたせいか腹具合の悪い朝を迎えた。
バスに乗って出発予定なので、数回トイレに通った後に出発した。
6時起床7時朝食は変わらない。
バスに乗って昨日の終点である世尊院の近くのバス停に向かう。
農業技術センター前。
バスの運転手さんにはしまむらの付近で降りたいと言っておいたら、ここですよと案内して下ろしてくださった。
ここだと昨日から繋がらないので、昨日車に乗った場所まで行き、そこからスタートした。
今日は、佐渡の中心国仲平野を横切る。
畑の続く場所。
道路は広く突っ切って行くしかない。
途中腹具合が悪くなり、橋の下の茂みに入り用をたす。
再び道路に戻るとライトバンが止まった。
運転手の人が声を掛けてきた。
新聞を見た人が激励の挨拶かなと思ったら、女房の実家の長男の娘の旦那だった。
福祉センターのバスの運転手をしていて、先生を乗せて病院へ行くところだった。
仕事中なので多くは話せなかったが、新聞を見ていた。
先ほど先生を迎えにいく時に見かけたらしい。
余り進んでないので不思議がっていたが、行ってしまった。
小佐渡側の町へ出た。
信号を右折してすぐに49番札所種徳院に着いた。(8時19分)
お参りをしてトイレを借りる。
すべてのお寺にトイレがあるわけではないので、特に腹具合の悪い日は、借りることにした。
次の50番札所法幢寺に向かう。
MAPを見るとかなりの大回りをして寺に行くようになっているので、
思い切って田んぼを横切るショートカットの道を選んだ。
田んぼの中は、見晴らしが良く、雪をかぶった山々が美しい。
地図にはない道なので、その後のお寺への道が分からない。
仕方ないので村に入り人に聞いた。
すぐに教えてもらったので、何とか着くことは出来た。(10時6分)
札所であるかどうかは、赤い札所を示す旗しかない。
お寺の名前は門前にあるが、それまでの道筋には、まったく標識が無いのでたどり着くのが困難。
墓掃除をしている女性がいたのでお寺の名前を言って確認をした。
お寺を出てすぐに南の幹線道路に出た。
左折をして次の札所51番慶宮寺に向かう。
幹線道路を歩いて途中から右折して山に入るが、入り口が分からない、角の衣料品店に入って聞いた。
行き過ぎていた。店主のおじさんが「新聞に出ていたね、がんばって」と励ましてくれた。
疲れがとれる。
しばらく戻って左折山に入る。
傾斜道を登っていると車が止まって運転している方が降りて来た。
その方は、地元の人。車で回っているそうだ。
新聞を見て会えれば良いと思っていたらしく、話かけてこられた。
お寺の事情や問題点も話された。雪が降り出した。
今からもっと山に入るので心配になる。
15分くらい話してから、札所に向かった。
51番-慶宮寺に着いた。
吹雪である。
大きなお寺で庭には佐渡の名産の赤石などが飾ってあった。
庭師が木々の選定をしていた。
ここにも興味部会木像があったので写真を撮る。(11時3分)
お参りを済ませて外に出ると、吹雪になっていた。
住職が来られて話をされ始めた。
8年間女房の実家のある岩谷口で住職をしていたそうだ。
その間、海に出てサーフィンをしたりして楽しい時代をすごしたとなつかしそうに話をされていた。
住職とは名刺交換をして顔写真を撮らせてもらった。(11時18分)
ここで、次の52番札所真禅寺への最短ルートを聞いた。
MAPを見ると一旦幹線道路に出てから向かうようになっているので、距離が長い。
歩き遍路にとっては辛いので、別にコースがあるのではないですかと聞いた。
やはりあった、この道をまっすぐ行けば近いからと言われた。
吹雪いているので辛い登りではあったが30分ちょっとで到着できた。
谷の行き止まりのような場所に52番札所真禅寺はあった。(11時45分)
達磨の絵が描いた大木の切り株が興味を引いた。
無人であり境内には雪がかなり積もっている。
早々にお参りをして出発した。
本来は、53番札所玉林寺・54番札所宝蔵寺へ行くべきなのだが、
ひとつ尾根を越えた55番札所長谷寺に行くほうが歩き遍路にとっては効率的と判断、尾根を越える方法を探した。
しかし、かなりの高さがあり、迷うと危険と思い人のいそうなお宅に入り道を聞いた。
そうしたら、その方はスマホからヤフーの地図を出して、農道があるからこの道を行くようにと具体的に教えてくださった。
かなりの山奥なので行った道を引き返すことにはなるが、順番通りいくと2時間以上のロスが出るので、
信じていくことにした。
道は10m近くありまったく問題なく進むことが出来た。
最後は急勾配を登る道だったが、1時間ほどで55番札所長谷寺に着いた。(12時53分)
修一君が待っていた。FACEBOOKに掲載する私の写真を撮っていた。
佐渡でも有名なお寺だそうで、立派なお寺だった。
石段を登り本堂に行ってお参りをしようとしたが、鍵がかかっていて開かない。
隣の住居の方へ回りベルを押すが誰も出てこない。
また、ここまで来るのは難しいのでそうしようかと思うっていたら、
別の場所から住職が来られて鍵を開けてくださった。
納経も済ませたところで、住職の話が始まった。
お寺の歴史や大切な仏像などの説明。
かなり展示物として管理されていて、案内をしてくださった。
大きな高野槙もあった。
大切な仏像も撮影を許可してくださったが、暗いので手持ちの装備では満足できる撮影が出来ない。
ストロボを使うと雰囲気が壊れる。
理由を話してまた別の機会がありましたらお願いしたいと申し出た。
あわせた、なぜ「はせでら」と言わず「ちょうこくじ」と呼ぶのですかと聞いた。
答えは、本山に失礼になるからと言われた。
しかし、この地は「はせ」と呼ばれているとのこと。
佐渡の人は「はせでら」と呼んでいる。
1時間くらい話や写真撮影に時間を要した。
出発しようとしたが、話足りない様子で本堂の前でもしばらく話をされていた。
熱心な住職だった。お寺を守るのは大変だと感じた。
だいぶ時間を食ったので、昼食の時間がもったいなく約1時間掛けて次の目的地、53番札所玉林寺に向かう。
歩きながらかね長で作ってもらったむすびを食べる。
腹具合のことは言っておれない。
ただひたすらくだりの道を駆け下る。
53番札所玉林寺も幹線道路からショートカット
修一君は遅いことと、別の道から来たので驚いていた。
元来た道を下り幹線道路に出てしばらく歩いて左折して次の54番札所宝蔵寺に向かった。
地図だけでは環境が淡からず、アップダウンがあるのか町中を歩くのが分からないので一番困った。
1kmほど30分くらいで54番札所宝蔵寺に着いた。(15時2分)
実は、この二つのお寺の印象が無い。
多くの寺を回り時間に追いかけられると印象に残らない寺が出てしまう。
56番札所普門院は地蔵の多いお寺だった。(16時3分)
幹線道路から離れてから700mくらいだったが急勾配の道を登った。
そしてすぐ近くに57番札所慶徳寺があった。(16時10分)
お寺の手前には道端に大きな地蔵が祭ってあった。
小さなお寺で民家と間違う建物だった。
この時点で4時を過ぎていた。ここで忘れ物に気がつき修一君に連絡をしてとりに行ってもらった。
その間に私は、次の札所清水寺を目指した。
途中二人の女性連に新聞を見たと言われ励まされた。
58番札所清水寺も山奥にある。
覚悟して行かねばならない。
清水寺も農道を利用して行く。
道に迷う可能性もあったが修一君がサポートしてくれたので何とかしのげた。
山道をドンドン上がって行く民家もなくなりどうなるかと思っていたら、
30分後民家が見え出し犬の散歩をしている人に出会ったので、清水寺のことを聞いた。(16時58分)
すぐそこにあると言われ、がんばって行くと修一君が待っていた。
山門を抜け、古木のある山道を抜けて行くと清水寺があった。(17時6分)
無住のようだ、まず本堂に行きお参りと納経を済ませた。
せっかく来たのだから京都の清水寺を模した舞台の場所まで行ってみた。
舞台付近は再建か修復をした様子だったが、建物本体はかなり痛みが激しく柱にはカビが生えた跡があり、
見るに忍びなかった。
中を覗いたが何も見えない、試しにカメラのストロボを使って内部を撮ってみたが、荒れ果て仏像もぼろぼろになっていた。
手入れをしないとはこのことだろうか。(17時26分)
境内の銀杏もたくさんの実を着け、落ちたのだろうが誰も拾う人がいないようで山のように積もっていた。
修一君の苗字は清水。がっくりしている様子が手に取るように分かる。
さびしい気持ちでお寺をあとにあいた。
時刻は5時30分。あたりは薄暗い。(17時32分)
3kmの道のりを駆け下る。
40分はかかる。町に入る頃あたりは暗く、お店に入って59番札所管明寺の場所を聞き、
門前まで行きそこから200mほど河原田によった農協駐車場で修一君と待ち合わせた。
そこから車で河原田に戻った。
奥さんと3人でかね長の近くの喫茶店でコーヒーを飲んで疲れをとった。
長丁場だった。明日からは、かね長に宿泊をしないで、小佐渡に向かっていくので、荷物の整理をして明日に備えた。
1週間に必要な荷物を持って行くことになる。
寒くなるとの天気予報が出ていた。
河原田「かね長」泊 夕食・ビール・朝食・むすび(宿泊費込み 8000円)
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以下 撮影者:清水修一