遍路第4日目
2014.2.27 27741歩
<参拝寺> 23番-常楽寺 24番-観音寺
宿泊・出発点 関 海府荘 宿泊地 鷲崎
6時起床は厳守。出発の準備をする。
7時朝食。昨日食べ損なった有名カレーを出してもらった。ボリューム満載。食べきれない。
断りを言って、具だけを食べた。米は赤飯。他におかずもあったが、ギブアップ。
結局、この日は1日胃が重く、
今日は、岩谷口を通過するので、女房の親戚や実家に立ち寄る。
時間が読めないので、無駄に時間を使えない。
むすびを作ってもらい出発した。
出発の時に、ご主人に挨拶一緒に写真を撮った。(8時17分)
女房とはFACEBOOK友達。「飛べ!ダコタ」つながりでもある。
出発の時に、地元の名産、乳酸菌入りのお酒を飲ませてもらった。面白い味がした。
出発してすぐに、後ろで声をかけられたので振り返ると、昨日のトンネルの女性が出勤してきていた。
記念撮影をさせてもらった。(8時27分)
この女性も女房のFACEBOOK友達。
私と夫婦であることは知らなかった様子だった。
トンネルを抜けて、岩谷口へ向かう。
余り早く行くとまずいかと出発を30分遅らせたが、岩谷口までは距離があり30分近くかかった。
峠を越すと懐かしい岩谷口が見えてくる。昔見た小学校は、石碑を残すのみだった。(9時7分)
実家に行く途中、田中夫妻の住む家があるので立ち寄ってみた。
女房お姉さんがいる。
体調を崩しているというので挨拶のみにする。
ご主人は、近くの公民館でひな祭りの準備をしているというので二人で行った。
熱心に地域のお世話をしているそうだ。
公民館の前で二人の記念写真を撮り、遍路が終わったらまた戻って来ますと伝えて出発した。(9時23分)
ここから浜に近い堰堤沿いに出て歩いた。
派手な場所がある。
海岸に打ち寄せられた浮きなど船具を、つるしてオブジェにしている。
青・赤・ピンク・黄色とそこだけが別世界のように明るい。
写真を撮っていると、老婆が二人腰を曲げながら近づいて来た。(9時28分)
親戚がこんなことをしとると言った。
後姿を写真に収めた。
女房の実家に行き仏壇にお参りをした。(9時42分)
父・母・長男・三男の遺影が飾ってあった。
お茶を頂き、先を急ぐことにした。また、帰りに寄りますと伝えた。
家の前で記念写真を撮り、出発。(10時)
道に出ると公共の立派なトイレがあった。
用を済ませ、出発。
夏は民宿もありにぎやかだが、この時期はネコが1匹いるだけ。
5分ほど歩くと、洞窟がある。
弘法大師ゆかりの地、佐渡の反対側にある小木に続く洞窟もある。
気になる石仏もあるのでしばらく写真を撮っていた。(10時16分)
鳥肌が立つような場所だった。
少し崖に沿って入って行くと、女房の家族の墓がある。お参りをする。(10時24分)
荷物の整理をして、いよいよ本格的に出発。かなり時間も経過していた。
ここからが、佐渡でも難所。
Z坂と言われる九十九折の坂がある。
昔、18歳の時に来たときは、この坂がなく、次の部落へ行くには、岩谷口の浜辺から船で行った。
Z坂が出来て車でも行けるようになったが、難所中の難所。
毎年行われるトライアスロンでは選手が悲鳴を上げるらしい。
私は、宮島で弥山登山で、坂道を登るのはなれているので、のんびり写真を撮りながら登ったので、
特別苦しいとは思わなかったが、かなりの汗はかいていた。
周りには残雪があった。途中、滝があったが凍結はしていなかった。(10時36分)
登りきると、岩谷口から昨夜とまった関あたりまで見渡せる。
残念ながら中国から飛来するPM2.5の影響か、霞んで見えるため、写真的にはだめ。
坂を上りきり、少しずつ登りながら北を目指す。
海府大橋が見えて来た。(11時7分)
大きな谷にかかった赤い橋。目がくらむ。
かなりの標高を保ちながら曲がりくねった道を進む、ひとつのカーブを曲がると気温が急激に変わる。
道端には残雪の高さが増してくる。歩いているぶんには風がなければ、汗をかくほど。
下着と厚めのシャツで前に進む、リンゴ畑の地面は、雪で真っ白。
木の選定をしている東京ナンバーの車があった。
訳を聞くと、親が老いたので面倒を見るために帰って来たと言っていた。(11時17分)
寒さが耐えられないとも言っていた。
修一君が様子を見に来てくれたので、袖をまくって雪を背景に記念写真撮影。
FACEBOOKに掲載したら話題になったそうだ。
私は携帯電話しか持ってきていないので、FACEBOOKがどのようになっているかは分からない。
修一君が追っかけをしてくれる日は、かなり盛り上がっているらしい。
修一君とは、別れて一人で真更川を横目に見ながら、鵜島に向かう。
急な坂を下って行くと海岸に出た。
ここで今日最初の23札所常楽寺に到着した。
小さなお寺だったが、庭にあった土人形が気になり撮影。
寄り添う二人の姿は、佐渡の優しさを感じさせられた。(13時23分)
お参りを済ませて、大野亀方面に向かう。
雨が降り出したのでカッパを着て装備変更をしていたら、車が止まった。
中から若い僧侶が顔を出して「新聞を見ました、藤原さんですね。
がんばってください」と言われた。
どこのお寺ですか?と聞くと今夜宿泊する鷲崎にある観音寺の住職と言うことだったので、
本日お参りさせていただきますと伝えた。
車が去り目の前の大野亀に向かって進む。
短いトンネルを通過して進む。
18歳の時に、ここを歩いたことを思い出した。
大野亀は大きな岩、なかなか着かない。
最後は坂を登って行かなくてはいけない。
登りきると、ホテルがあった。
営業はしているのか良く分からない。
通過して登って行くと、幹線道路から離れ左折して賽の河原に向かう村に下って行く。(14時11分)
「願(ねがい)」という村。
このあたりは、民宿が数件あった。
営業はしている様子だった。晴れたので、雨具をとっていくため休憩をかねた。
ここからは、細い海岸線の道を歩く。
石畳風に整備しているが、波が高い場所なのだろう段々ごろごろした岩にかわる。
しばらく歩くと賽の河原に着いた。(14時36分)
昔の印象とは随分違ってかなり整備されている。
立派な石仏も安置されている。
昔は、夏でも鳥肌が出るほど不気味な場所だった。
今回も決して気持ちの良い場所ではないが怖さも余り感じなかった。
しかし願の村を出てから人影はまったくない。これからも幹線道路に出るまでは、人に会うことはないだろう。
かなり寒くなってきたので、急いで荷作りをして賽の河原をあとにした。
岩場の海岸線を1kmあまり歩いて、二ツ亀に向かう。
途中、孫たちにお土産の石を探す。
雪になりそうなので先を急ぐ。
二ツ亀の近くから石段を登り幹線道路に向かう。(15時7分)
このあたりには、そのまま海岸線を行くと民宿があるようだが、冬場は閉鎖状態。
夏は海水浴場としてにぎわう場所。
何段あるのだろうかと石段を登って行く、途中大野亀の岩場がきれいに見えるところもあるので、時々写真を撮る。
上の広場に出た。
キャンプ場も併設しているようだが、まったくの無人。(15時14分)
トイレも閉鎖。
この上の段には、ホテルもある。ホテルに向かわないで、進行方向に近い急勾配の車道を歩いて行く。
5分も歩くと幹線道路に出た。
ここから5km以上歩いて鷲崎に向かう。
道はフラットで広い。車の往来はほとんどない。
雪も降り始め装備を入れ替えた。道路の脇は雪も積もっている。
どのくらい歩いただろうか、時間もかなり遅くなり暗くなり始めている。
やっと、鷲崎の町が見えた。宿は町の入り口付近にあった。電話をかけてやっと見つけた宿だった。
宿は小さく、看板がなければただの民家と間違うほどだった。出てきた女将さんは、気さくな人だった。
夕食までには、時間があったので近くにある24番札所観音寺に行って来ると言ってそのまま出かけた。
鷲崎の町は、海岸線まで下るような町で、道路は高台を通過している。
地元の人に聞きながら目指した。消防署の手前を左に行くと急傾斜の道があった。
しばらくいくと、湊が一望できる場所にお寺があった。
このお寺は、鵜島のトンネルで声をかけてくださった住職の寺。
お参りを済ませ、隣の建物に行き声をかけた。
少し話をしていたら「私も写真を撮るんです」と言って写真集と自分の作品を表紙にしている山崎豊子さんの本を出してきた。
海の波だけを撮った写真集。
よく見ると以前女房に見せてもらったものだった。
見たことがあります。と話をするとうれしそうに、「岩谷口の葬儀の時に私がお参りに行きました。
その時に、写真を撮っている姿を拝見しました」と言われた。
そういえばと、思い出したが若い30代の方なので記憶に残っていた。
今、佐渡も檀家がへり、お寺も無住が増えてきているので、かなり広い範囲に行かれるそうだ。
写真集と一緒に写真を撮って宿に戻った。
戻る途中、道を聞いた場所で作業をしている人たちがいたので、
内容を聞くと「この鷲崎のワカメは一番おいしく、ファンが多く、市場に出さなくても口コミだけで完売する。」
と自慢そうに話くれました。(17時5分)
そして、食べてみろとワカメの茎を切って食べさせてくれました。
こりこり甘くなかなかの味でした。
今まで宿泊した宿とは違い、小さな風呂を共有するような宿。
ただ、女将さんがきさくな人なので、ホッとする。
食事も今までとは違い質素。宿泊している人は多く、島外からきた工事関係者ばかり。
みなさんが定宿にしているのだろう。
会話を聞いているとかなり工事の専門的なことが多く、聞いていて面白かった。
「鷲崎よしや本館」泊
夕食・ビール・朝食・むすび(宿泊費込み 7500円)
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以下 撮影者:清水修一