歩き遍路第2日目
2014.2.25 18667歩
<参拝寺> 13番-安養寺 14番-観音寺 15番-弾誓寺 16番-大乗寺 17番-総源寺
18番-多聞院 19番-萬福寺
出発点:定福寺(12番)手前 到達点:胎蔵寺(20番)
6時起床 7時朝食 8時出発。
通年宿なので、お客もありしっかりとした民宿だった。
古い町並みなので、幹線道路まで出た。昨日終了した場所からの出発。相川を目指す。
今日は、親戚の清水修一君と途中で会える。
今回遍路を決定した時に、いろいろな情報を送ってくれたので、大いに参考になった。
一番は、お寺の間の距離を調べてくれたので感覚的に計画を立てるのに役立った。
宿の連絡先もあったので、この旅には資料が必需品になった。
佐渡に来て一番感じたのは、墓が多い。(8時34分)
歴史なのか信仰なのかは分からないが、先祖を大切にしているのが感じられる。
天候は、思ったよりも穏やかで、防寒服はあまり必要なかった。
ただ、天候がめまぐるしく変わり、晴れたり雪が降ったりと刻々と変化するので、装備の変更に時間がかかった。
寒さよけには、ポンチョスタイルのカッパが一番役にたった。
川のそばに行くと、橋には竹に差したお札のようなものがあり、何かのお守りなのかもしれないと思った。(8時44分)
村に入ると老夫婦が作業をしていたので、近づいて話を聞かせてもらいながら写真を撮った。
海草を干しているところだった。
広島でも見たような、粒粒のついた茶色い海草だった。
名物だと聞かされた。(8時50分)
途中、佐渡の塩を作っている場所に行った。中を見せてもらったが、煮詰めて塩を取る。
にがりもとっていた。味見をさせてもらったが、甘かった。(9時11分)
村に入って聞いたのが良かった。
旧道に面したあまりお寺らしくない建物だった。
中に入りお参りをしていたら、奥さんが出てこられ、
少し話しをするつもりだったが、身の上話が始まった。(9時50分)
「寺には嫁にきたくなかった」というような話から始まり、兄弟の所在なども話された。
1時間はかかった。先を急ぐので、宮島の幸紙をプレゼントし写真を撮らせてもらって、失礼した。
外に出ると雪が降っていた。装備を雪装備に変更した。
旧道を出て幹線道路を相川に向かって進む。
春日崎が見えてきた。
風は強く傘が飛ばされそうになる。春日崎の先に出たので、トイレ休憩。
ここで修一君から電話が入った。
お母さんを病院へ連れて行く途中なので、次の観音寺の手前で待っていると。
坂を下って行くと、相川の町が見えて来た。
ランクルに乗った、義理の兄夫婦と修一君が待っていた。
8年ぶりくらいではないだろうか。
私にとっては、義理のお姉さんが病院通いをしている。送迎をしているそうだ。
また、岩谷口付近で会えるからと、皆さんに挨拶をしてから、お寺に向かった。
14番札所観音寺は、道路のそばにあった。(11時13分)
入り口は風除けで、ムシロを使って囲っている。風情があるといえばそうだが、風が強いのだろうと想像する。
ムシロの中に入り、本堂に向かうと、風もなく暖かく感じる。
観音寺を出て、15番札所弾誓寺に向かう。
相川の町に入る。懐かしい。
18歳の時に初めて佐渡に来た。大学1年の夏。
同級生を訪ねて相川にやって来た。
広島から夜行列車の鈍行を乗り継ぎ、米原から北陸路を新潟に向かった。
途中、気が変わり直江津で下車し佐渡の小木に向かった。
小さな船に乗り始めて日本海を渡ったときは、感動した。海が青いことをはじめて知った。
そんなことを思い出して15番に向かう。
途中コンビニがあったので弁当を買った。お寺で食べようと思った。
コンビには活気付いていた。場違いな感じを受けた。
お寺の場所が分からないので、何人かの人に聞いてやっと分かった。
旧道の奥にあるという。裏道に回るとお寺があった。(12時8分)
石段をあがり本堂に入った。寒い。お参りをして納経を済ませ弁当を食べて外に出た。
雪が降っている。
寒いので動くことにした。お寺を出て広い道に出た。
見覚えのある店がある。
40年余り会ってない同級生の店。
ずいぶん躊躇したが、お店に入った。
看板は写真屋さんだったが、商品は雑貨を販売していた。
奥さんが出てきたので、名前を名乗ると中から同級生の磯野君が出てきた。
年をとってはいたが、昔のまま。
30分ほど奥でお茶を頂きはなしをして出発した。新潟で映像の仕事をしていたようだ。
16番札所は山の上なので車で送ると言ってくれたが、歩いていることを話して辞退した。
街中を抜けて行くと金山跡に行く道があった。相川高校の上のほうと聞いたので、相川高校を目指した。
女房の出身高校。
途中高校生にお寺の場所を聞きながら、急勾配を登って行った。
その後は、誰もいない道を登って行くと、16番札所大乗寺があった。(13時45分)
そして、ドン詰まりの道には、17番札所総源寺があった。(14時13分)
大きなお寺だが、無住と無住でない差は歴然としていた。
金山が栄えた名残なのだろうか。
寒いので、そうそうにお参りをしてから、急勾配の坂を下って海岸線に出た。
有名な千畳敷などの観光スポットもあるが、今回はパス。
風も強く海は荒れていた。
海岸線に沿ってアップダウンを歩いていくと、幹線道路から少し外れた場所に18番札所多聞院があった。(15時32分)
ここでお参りをしていたら、清水家の皆さんが病院の帰りで会うことが出来た。
今から大倉まで帰るということだった。
少し話をして、彼らは行った。
私はもうひとつ先に進みたかったので、分かれて北上をした。
19番萬福寺を目指した。
かなり疲れもあり、寒くスピードも落ちた。
今夜宿泊する国民宿舎尖閣荘を通過して行った。
目的のお寺に近づいたようだが、標識がまったくないので歩いていた小学生に聞いた。
彼は案内してあげると言って来た道を引き返していった。
すぐに左に曲がると坂を下って行った。港町があった。
彼は途中まで来ると、すぐ先を左にと言って行ってしまおうとした。
写真を撮ってあげるというと、照れくさそうに構えた。
数枚写真を撮って分かれた。
しばらく坂を下ると家が密集した場所に出た。
コンクリートの鳥居のオブジェのようなものがあったので、入ってみると広場のようになっていた。
車もたくさん止まっていた。
しかし、神社のようだ、そして赤い旗もない。
後ろの山に登ってみたがない。
あきらめて帰ろうかとして広場に出たら、わずかに赤い旗があった。
中に入ると、納経できる場所もありホッとした。(16時35分)
今日は、ここまでと思い下って来た坂を登り幹線道路に出た。
そして、もう少しがんばってみようと20番札所胎蔵寺を目指した。
今日がんばっていたら、明日の長丁場が少しでも楽になるので。
海水浴場で有名な達者を目指す。
この道は、女房の実家のある岩谷口に向かうので何度かと通っているので様子が分かる。
目標も出来た。
しかし、歩いてみると思ったよりもある。
辺りも暗くなり寒さも増す。
トップスピードに切り替えて進む。
20番札所胎蔵寺では清水修一君が、家族を送って相川に戻る途中で待っている。
宿のある尖閣湾まで乗せてくれることになっている。
達者の場所から尖閣湾まで、来るまで5分とかからなかった。
私は歩いて何分かかったことだろう。
宿に着くと、元気の良い女将が迎えてくれた。
客は1名。風呂に入り食事をしたら、そのままばたん。
「尖閣荘」泊 夕食・ビール・朝食・むすび(宿泊費込み 8333円)
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以下 撮影者:清水修一