歩き遍路第1日目
2014.2.24 21947歩
<参拝寺> 7番-常念寺 8番-本田寺 9番-長福寺 10番-曼荼羅寺 11番-龍吟寺
12番-定福寺
出発点:常念寺(7番) 到達点:定福寺(12番)付近
予定通り6時起床、7時朝食、8時前には出発した。
寒い、どんな格好がいいのか散々迷った。1週間は持っていく荷物でまかなわなければいけない。
着替えがいるか?防寒服はどれにしようか?気温は5度くらい。
しかし、北に向かう以上気温は下がって来る。
まだ、暖かいほうらしい。
氷点下に下がった時、強風にあった時体感温度はかなり下がるらしい。
荷物が予定よりも増えていく。ミニアイゼンを持って行く。
傘も必要。カッパも必要。
三脚も暗い場所で必要と言い出したらきりがない。
結局、一番の防寒服は荷物になるので、置いていくことにした。
ヒートテックの下着上下。
厚手のシャツ1枚。
セーター1枚。
ダウンジャケット1枚。
ウインドブレーカ1枚。
カッパズボン。
靴下予備2枚。
パンツ1枚を入れた。
バッテリーが消耗するので、5セット分用意した。
納経帖、ガイドMAP・書類を入れるとずっしりと重い。
弥山へ登るときでもこれだけの重さを担いだことがない。
それにズームを付けたカメラを肩からつるす。
これで20km以上を歩くのは辛いかもしれないと不安になる。
「よいしょ」と言って出発。女将さんが心配そうに見送ってくれた。
四国の時のように、傘をかぶり金剛杖を持っての出発。
一歩町に出ると、好奇の目で見られているような気がする。
まずは、歩いて100mくらいのところにある、7番札所常念寺にお参りに行く。(8時)
88ヶ所の旗が立っていた。本堂の前は、屋根から落ちてきた雪が20センチくらい積もっている。
が、最初の洗礼を受けることになった。
お寺の本堂の鍵がかかっていて、中に入れない。
当然、納経も出来ない。
突然声をかけられた。キリスト教関係者のようだった。
あきらめて、次の8番札所本田寺に向かう。
ここも歩いて200mくらいの距離。
バス通りを抜けていくと、お寺が集まった場所にあった。(8時14分)
ここは無事納経が出来た。なんとなくほっとして、次へ向かう。
街中なので道が多くあり、迷いながらバイパスを越えて山の手に向かった。
100mも登ると石段のある9番札所長福寺に着いた。(8時45分)
登って行く。かなり寂れたお寺に見えた。
広島で見ているお寺に比べると、荒れている。手入れも細かくされていない。(8時50分)
がーん。ここも本堂は鍵がかかっていて入れない。お寺自体も誰も住んでないのではないかと思う。
宿の近所でもあるので、またの機会ということで出発した。3戦して1勝2敗。これは先が思いやられる事態だ。
バイパスに戻り、相川七浦方面を目指す。
四国のように遍路路として、ショートカットの道はないようだ。
MAP自体が車で回るように考えられているので、少々の遠回りでも気にしていない。
歩き遍路にとっては、辛いMAPである。
しかし、この道は、相川に通じているので見覚えがある。
沢根においしい笹団子があるのを思いだし、お店に入って聞いたが沢根団子は冷たいと言われた。
記憶違いかと思い店を出た。確かにほかほかで持って帰れないと言われた記憶があった。
相川との分岐点に来た時、新潟日報の記者から連絡があった。
出発前に、新潟日報にメールを送り取材をして欲しいとお願いしていた。
前夜から連絡があり、取材場所について打ち合わせをしていた。
午後に追いつくので、どこかのお寺で取材をしたいということだった。
この時期、歩き遍路をしている人もいないだろうし、不審者と間違われるもいやだし、
宿なども断られる確立が高く、バスの便がないのでヒッチハイクも覚悟していたので、新聞で取り上げてもらったら、
不審者扱いもなくなりだろうと理由を書いてお願いした。
初日なので、歩くペースも分からず、約束の時間までに到着できるかも不安だったので、
当面の待ち合わせ場所を決めて、前に進んだ。
七浦海岸までの間にお寺は、10番札所曼荼羅寺・11番札所龍吟寺12番札所定福寺がある。
宿の関係から12番札所で待ち合わせた。
本当は相川あたりまで行きたかったが、初日でもあり、取材に2時間はかかると思い距離を伸ばさなかった。
10番札所を間違えてしまった。(10時16分)
入り口が工事中だったので、大きく山を回って迂回した。
やっと、着いてお参りをしていると、住職が出てこられてここは長安寺で札所ではなく、
山の向こうにありますよと言われた。
すでに靴を脱ぎ本堂に座って般若心経を唱えるところだったので、何かのご縁でしょうからお参りしていきますと伝えた。
ゆっくりとどうぞと気持ちよく迎い入れてくださった。
湾に面した場所にあったので、再び山を登り続け大きな道に出た。
しばらく20分くらい歩くと、4つ角に出た。右の道の奥にお寺らしいものがあったので、
行ってみると立派なお寺があった。(11時16分)
ここが10番札所曼荼羅寺だった。
お参りをしていると若奥さんが来られて挨拶をされて行った。
佐渡のお寺では、本堂に入るためには、靴を脱がなければならないので、
リュック等の装備を下ろして行くことになるので、時間がかかることが分かった。
MAPには、距離が書いてないので、どのくらいで到着できるかが分からない。
そして、お寺の前に標識がないので、見過ごして通過する危険があることを悟った。
人に聞こうにも、人がいないので聞くことも出来ない。
さあ、次の11番札所を目指す。小さな集落を通過しながら、バス停を確認。
自分がどこにいるかを確認する。
11番札所も通過するところだった。(11時50分)
別の案内看板を見つけて、しばらく読んでいて、ふと横を見ると、石段の上に赤い札所を示す旗があった。
お寺の規模が大小有るので、その村の規模で大きさが決まるのかもしれない。
お参りを済ませ、七浦海岸を目指す。持たせてもらった、にぎりめし2個をどこで食べようかと迷う。
立ち止まると寒い。
出来るだけ風のない場所で食べたい。七浦海岸が近づくと急に気温が下がって来た。
風も強く傘が飛ばされそうになる。岬を越えただけで環境が一変した。
あの時に食べておけばよかったと後悔する。風の強い中を歩きながら、佐渡に来た実感を味わう。
12番札所定福寺も分かりづらい、バス停までは分かったがMAPからでは、どこにあるのか分からない.
しばらく探したが不明。
道路脇にある会社に飛び込み、場所を聞く。幹線道路からはずれ、あの林の中にあると言われた。
その方向に向かって進むと、道があったので行くと民家の庭を経由して、下り坂に出た。
下っていくと海岸沿いにお寺はあった。(13時19分)
あとで聞いたが、新聞社の記者の車も迷ったらしい。
お寺のお参りをしてから、お寺の方にお願いをして、お寺の中の椅子に座ってむすびを食べた。
お茶を出して頂いた。暖かいものがうれしかった。
30分ほど待っていると、新潟日報の女性記者が車で到着した。
お寺の了解を頂き、境内で写真撮影。
そして、本日の宿まで車で行き、応接室でインタビューを受けた。
外は寒くて記者の人もかわいそうだし、私は、歩いてきた場所まで戻って引き続き歩けばいいことなので,
民宿まで、また車で迷って行った。
佐渡島は現在、道路整備が飛躍的に良くなっているので、古い町並みは取り残されたようになった状態で、
幹線道路を走る限りでは、生活観はまったくない。
昔の細い路地が生活道路だった頃とは、大違いだ。
取材は1時間程度で終了した。(16時14分)
景色のいい場所なので、外に出て海をしばらく撮ってから、風呂に入った。
海が一望できる展望浴場になっている。
部屋に戻りくつろいでいたら、太陽が海に沈み始めたので、
再び外に出てしばらく寒風の中で日没を撮っていた。(17時26分)
美しい景色だ。8時すぎには、ゆっくりと就寝。明日も7時朝食8時前出発だ。
宿の予約をしようと、次の目的地あたりに電話をしたが、
ことごとく廃業・休業でない。仕方ないので
手前の尖閣湾の国民宿舎に申し込んだ。
電話すると「閑古鳥が鳴いています。」
どうぞお待ちしています」ということだった。
いけるところまで行って、バスで宿まで戻ることにした。
次がロングコースなので前に進みたかった。
「民宿 敷島荘」泊 夕食・ビール・朝食(宿泊費込み 8000円)
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