歩き遍路第1日目

2014.2.24
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<参拝寺>  7番-常念寺 8番-本田寺 9番-長福寺 10番-曼荼羅寺 11番-龍吟寺 

12番-定福寺

 

出発点:常念寺(7番)  到達点:定福寺(12番)付近

予定通り6時起床、7時朝食、8時前には出発した。

寒い、どんな格好がいいのか散々迷った。1週間は持っていく荷物でまかなわなければいけない。

着替えがいるか?防寒服はどれにしようか?気温は5度くらい。

しかし、北に向かう以上気温は下がって来る。

まだ、暖かいほうらしい。

氷点下に下がった時、強風にあった時体感温度はかなり下がるらしい。

荷物が予定よりも増えていく。ミニアイゼンを持って行く。

傘も必要。カッパも必要。

三脚も暗い場所で必要と言い出したらきりがない。

結局、一番の防寒服は荷物になるので、置いていくことにした。

ヒートテックの下着上下。

厚手のシャツ1枚。

セーター1枚。

ダウンジャケット1枚。

ウインドブレーカ1枚。

カッパズボン。

靴下予備2枚。

パンツ1枚を入れた。

バッテリーが消耗するので、5セット分用意した。

納経帖、ガイド
MAP・書類を入れるとずっしりと重い。

弥山へ登るときでもこれだけの重さを担いだことがない。

それにズームを付けたカメラを肩からつるす。

これで20km以上を歩くのは辛いかもしれないと不安になる。

「よいしょ」と言って出発。女将さんが心配そうに見送ってくれた。

四国の時のように、傘をかぶり金剛杖を持っての出発。

一歩町に出ると、好奇の目で見られているような気がする。

まずは、歩いて100mくらいのところにある、7番札所常念寺にお参りに行く。(8時)



88ヶ所の旗が立っていた。本堂の前は、屋根から落ちてきた雪が20センチくらい積もっている。

が、最初の洗礼を受けることになった。

お寺の本堂の鍵がかかっていて、中に入れない。

当然、納経も出来ない。



突然声をかけられた。キリスト教関係者のようだった。

あきらめて、次の8番札所本田寺に向かう。
 

ここも歩いて200mくらいの距離。

バス通りを抜けていくと、お寺が集まった場所にあった。
(814)

ここは無事納経が出来た。なんとなくほっとして、次へ向かう。

街中なので道が多くあり、迷いながらバイパスを越えて山の手に向かった。

 

100mも登ると石段のある9番札所長福寺に着いた。(
845分)

登って行く。かなり寂れたお寺に見えた。
 

  

広島で見ているお寺に比べると、荒れている。手入れも細かくされていない。(
850分)

がーん。ここも本堂は鍵がかかっていて入れない。お寺自体も誰も住んでないのではないかと思う。

宿の近所でもあるので、またの機会ということで出発した。3戦して1勝2敗。これは先が思いやられる事態だ。

バイパスに戻り、相川七浦方面を目指す。

四国のように遍路路として、ショートカットの道はないようだ。

MAP自体が車で回るように考えられているので、少々の遠回りでも気にしていない。

歩き遍路にとっては、辛い
MAPである。

しかし、この道は、相川に通じているので見覚えがある。

沢根においしい笹団子があるのを思いだし、お店に入って聞いたが沢根団子は冷たいと言われた。

記憶違いかと思い店を出た。確かにほかほかで持って帰れないと言われた記憶があった。

相川との分岐点に来た時、新潟日報の記者から連絡があった。

出発前に、新潟日報にメールを送り取材をして欲しいとお願いしていた。

前夜から連絡があり、取材場所について打ち合わせをしていた。

午後に追いつくので、どこかのお寺で取材をしたいということだった。

この時期、歩き遍路をしている人もいないだろうし、不審者と間違われるもいやだし、

宿なども断られる確立が高く、バスの便がないのでヒッチハイクも覚悟していたので、新聞で取り上げてもらったら、

不審者扱いもなくなりだろうと理由を書いてお願いした。

初日なので、歩くペースも分からず、約束の時間までに到着できるかも不安だったので、

当面の待ち合わせ場所を決めて、前に進んだ。

七浦海岸までの間にお寺は、10番札所曼荼羅寺・11番札所龍吟寺12番札所定福寺がある。

宿の関係から12番札所で待ち合わせた。

本当は相川あたりまで行きたかったが、初日でもあり、取材に2時間はかかると思い距離を伸ばさなかった。

10番札所を間違えてしまった。(1016分)



入り口が工事中だったので、大きく山を回って迂回した。

やっと、着いてお参りをしていると、住職が出てこられてここは長安寺で札所ではなく、

山の向こうにありますよと言われた。

すでに靴を脱ぎ本堂に座って般若心経を唱えるところだったので、何かのご縁でしょうからお参りしていきますと伝えた。

 

ゆっくりとどうぞと気持ちよく迎い入れてくださった。

湾に面した場所にあったので、再び山を登り続け大きな道に出た。

しばらく20分くらい歩くと、4つ角に出た。右の道の奥にお寺らしいものがあったので、

行ってみると立派なお寺があった。
(1116)

 

ここが10番札所曼荼羅寺だった。

お参りをしていると若奥さんが来られて挨拶をされて行った。

佐渡のお寺では、本堂に入るためには、靴を脱がなければならないので、

リュック等の装備を下ろして行くことになるので、時間がかかることが分かった。

MAP
には、距離が書いてないので、どのくらいで到着できるかが分からない。

そして、お寺の前に標識がないので、見過ごして通過する危険があることを悟った。

人に聞こうにも、人がいないので聞くことも出来ない。

さあ、次の11番札所を目指す。小さな集落を通過しながら、バス停を確認。



自分がどこにいるかを確認する。

11番札所も通過するところだった。(
1150分)

別の案内看板を見つけて、しばらく読んでいて、ふと横を見ると、石段の上に赤い札所を示す旗があった。
 

お寺の規模が大小有るので、その村の規模で大きさが決まるのかもしれない。



お参りを済ませ、七浦海岸を目指す。持たせてもらった、にぎりめし2個をどこで食べようかと迷う。

立ち止まると寒い。

出来るだけ風のない場所で食べたい。七浦海岸が近づくと急に気温が下がって来た。

風も強く傘が飛ばされそうになる。岬を越えただけで環境が一変した。

あの時に食べておけばよかったと後悔する。風の強い中を歩きながら、佐渡に来た実感を味わう。

12番札所定福寺も分かりづらい、バス停までは分かったがMAPからでは、どこにあるのか分からない.

しばらく探したが不明。

道路脇にある会社に飛び込み、場所を聞く。幹線道路からはずれ、あの林の中にあると言われた。

その方向に向かって進むと、道があったので行くと民家の庭を経由して、下り坂に出た。

下っていくと海岸沿いにお寺はあった。(
1319分)



あとで聞いたが、新聞社の記者の車も迷ったらしい。

お寺のお参りをしてから、お寺の方にお願いをして、お寺の中の椅子に座ってむすびを食べた。

お茶を出して頂いた。暖かいものがうれしかった。

30分ほど待っていると、新潟日報の女性記者が車で到着した。

お寺の了解を頂き、境内で写真撮影。

そして、本日の宿まで車で行き、応接室でインタビューを受けた。

外は寒くて記者の人もかわいそうだし、私は、歩いてきた場所まで戻って引き続き歩けばいいことなので,

民宿まで、また車で迷って行った。

佐渡島は現在、道路整備が飛躍的に良くなっているので、古い町並みは取り残されたようになった状態で、

幹線道路を走る限りでは、生活観はまったくない。

昔の細い路地が生活道路だった頃とは、大違いだ。

取材は1時間程度で終了した。
(1614)

景色のいい場所なので、外に出て海をしばらく撮ってから、風呂に入った。



海が一望できる展望浴場になっている。

部屋に戻りくつろいでいたら、太陽が海に沈み始めたので、

再び外に出てしばらく寒風の中で日没を撮っていた。
(1726)



美しい景色だ。8時すぎには、ゆっくりと就寝。明日も7時朝食8時前出発だ。

宿の予約をしようと、次の目的地あたりに電話をしたが、

ことごとく廃業・休業でない。仕方ないので

手前の尖閣湾の国民宿舎に申し込んだ。

電話すると「閑古鳥が鳴いています。」

どうぞお待ちしています」ということだった。

いけるところまで行って、バスで宿まで戻ることにした。

次がロングコースなので前に進みたかった。

 

「民宿 敷島荘」泊 夕食・ビール・朝食(宿泊費込み 8000円)


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