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2023.5.8 毎日新聞に掲載されました
4月28日表敬訪問
広島県 湯崎知事に写真集贈呈
広島市 松井市長に贈呈
被爆樹木の記事掲載をしていただきました。
残念で済ませて良いのだろうか
この被爆樹木は、私が撮影した当時は、登録されてなく
最近、登録した被爆樹木のようです。
只今 発売開始
「被爆樹木 広島」
メールで注文下さい(文字をクリック下さい)
takao@kch.biglobe.ne.jp
5000円(税込) 送料370円別
090-3637-2013
2023年4月1日~6月末
「被爆樹木 広島」写真展開催
グランドプリンスホテル広島 1F 商業ブースにて
入場無料
藤原は常駐していません。ご用の方は電話の上おいでください。
090-3637-2013
撮影・発行 藤原隆雄
テーマ/生きる
書/藤原隆雄
私は藤原隆雄と申します。広島宇品で生まれ育ち、50年間写真を撮り続けてきました写真家です。
被爆地広島の写真家としてどうしても残しておきたい写真が有ります。
それは被爆樹木です。2年間かけて被爆樹木の撮影をし、写真集を制作しました。
タイトルは「被爆樹木広島」私に出来ることは写真を撮って残すことしかないと思いました。
木を撮ることに没頭する日々でした。
2023.年5月のG7と言う機会も考え、世界に向けて被爆樹木を通して核兵器の恐ろしさを、
そして沢山の人々の人生を一瞬にして奪ったことを考えていただきたいと言う気持ちで、
毎日毎日被爆樹木の声を聴き、会話を交わしながら撮影をしました。
被爆後78年が過ぎた今も、私達に大切な事を伝える為に根を張り、
枝を伸ばし必死に土にしがみついてきた被爆樹木の生きざまは不幸にして被爆された人々と共にあります。
是非、皆様に写真集のことを伝えていただければ、と失礼も省みずこの写真集を発行せていただきました。
My name is Takao Fujiwara. I am a photographer, born and raised in Ujina,
Hiroshima City,
and have been taking pictures for 50 years.
As a photographer based in the A-bombed city of Hiroshima, I have photographs
that I strongly wish to preserve.
They are photos of A-Bombed Trees.
I spent my days immersed in photographing these trees over the course of
about two years, and published a photo collection entitled,
“Trees that Survived the Atomic Bombing of Hiroshima.” My mission was to
take these photos for future generations to see.
The G7 Hiroshima Summit 2023 in May is an ideal opportunity for me to share
this collection.
The A-Bombed Trees can help the world to think about the horror of nuclear weapons
and how great numbers of people’s lives can be taken away in an instant.
With this in mind,
I listened to the voices of these trees each and every day and engaged
in dialogue with them as I took their pictures.
Today, 78 years after the atomic bombing, these trees desperately cling
to the earth
as they spread their roots and branches to convey important messages to us.
Their way of life is with the people who were sadly victimized in the bombing.
I published this photo collection with sincere hopes that you will tell others about it, too.
タイトル/ 被爆樹木 広島 テーマ/ to Live (生きる)
出版 4月20日
この写真集を通じて、命の尊さ、核廃絶に思いを巡らせていただければ本望です。
1.今なぜ被爆樹木?
今年は被爆78周年。
被爆樹木は人間の寿命を超えて生き続けます。
原子爆弾にも耐えたその生命力を写真で多くの人に伝え、核兵器廃絶を訴えたいと思います。
実は、被爆樹木の中にも寿命が尽きそうな木があるのが写真を撮り始めてわかりました。
そうした被爆樹木もこの写真集で後世に残したいと思っています。
2.被爆樹木から感じたこと
生命の強さ、すばらしさ、尊さ。被爆樹木は、声高に核廃絶を訴えたりはしませんが、
四季折々の移ろいの中に、彼らの声なき声を写真で代弁したいと思うようになりました。
3.来年は広島でG7
世界が改めて広島に注目する年になります。海外の方にも理解をしてもらいたいと考え、
英語のキャプションもつけました。
撮影者/藤原隆雄
仕様/A4サイズ・カラー・160ページ
価格/定価6,000円(税込) 予約販売価格 5,000円(税込)送料別(1冊370円)
出版元/タカオ株式会社(スタジオタカオ)
〒734-0004 広島市南区宇品神田5丁目20-15-1201
連絡方法:090-3637-2013 FAX/082-252-6081
E-mail takao@kch.biglobe.ne.jp
振込先/広島信用金庫・宇品支店・普通 0535019 タカオ株式会社
お申込はQRでも可能です
耳を澄まして
緑豊かに葉を繁らせ 春には花を咲かせ 秋に実を結ぶ
人々の暮らしの中で共に生きている被爆樹木
しかし近年は
自然災害、病害、寿命等により姿を消して行く樹木も少なくありません
被爆後70余年の歳月を生き抜いてきた樹木達
その姿は私達に「平和とは何か」
「平和の為にすることは何か」
そう問いかけているのでしょうか
風に揺れる樹の下に腰を下ろし葉音に耳を澄ましてみる
写真は、すべて被爆樹木です
Listen closely
A-bombed trees coexist among people's daily lives.
However, in recent years,
Many of the trees have been taken by natural disasters, disease, and with age.
Trees that have survived more than 70 years since the atomic bombing.
Perhaps their appearance is asking us these questions:
"What is peace?"
"What can be done to bring peace?"
I seat myself beneath the trees swaying in the wind and listen closely to the sound of the leaves
碇神社の桜を撮っている時、ふと、おみくじを読んだ
そこには「生かして」という言葉が私の目に入ってきた。
わしは、被爆樹木と呼ばれとる。
わしは、被爆樹木と呼ばれとる。
わしのカラダは若い頃強烈な原子爆弾の熱線を浴びて焼き爛れたが、
なんとかかんとか生き延びた。
同じような目に遭った仲間の多くが、そのまんま朽ちてしまった。
わしのカラダにその時の爪痕がどれだけ残っとるかはわからんが
わしは年月を薬としながら、少しずつ生きる力を取り戻した。
ある時足元から、ひょっこり孫が顔を出したのにはわしも驚いた。
わしの具合や孫の成長を見守ってくれている人間がいる。
わしらを見物に来て写真を撮っていく人間もいる。
じゃが、そろそろ寿命じゃろう。
一緒に生き延びてきた仲間はだいぶおらんようになった。
そんなある日、一人の男がカメラを担いでわしを撮りにきた。
ブツブツ何かしゃべりながら、小1時間は傍にいた。
季節が変わると、又ふらっとやって来て
ブツブツしゃべりながらわしを撮っていく。
妙なやつだ。なして何べんも来るんだろうかと、
聞き耳立ててみるが大したことは言うとらん。
わしに何か話せと言っている。
わしと話をしながら写真を撮りたいと言うとる。
ふん。そんなら何十ぺんでも来い。
わしの話はとてつもなく長いけぇの、と言うてやった。
They call me an A-Bombed Tree.
When I was young, intense heat rays From the atomic bomb burned my body all over. Yet somehow I managed to survive.
The same thing happened to a lot of my friends but they didn’t make it.
I don’t know how many scars I still have, but little by little,
I regained the strength to live, letting the years help to heal me.
I have humans who care for me and watch my grandchildren grow.
Some humans come to look at me and take pictures.
He wanted me to talk and engage in conversation while he shot photos.
One day, to my surprise, a grandchild popped up by my foot out of nowhere!
写真を、他に流用される可能性がありますので
サンプル本から、撮影した物を掲載します。
雰囲気だけ感じて下さい。
樹木に近づきじっくり眺めて見ると
そこには いろいろな世界があった
朽ちた木のムロの中には
新しい生命が芽生え
虫たちが自分の棲家にして活発に動き回っている
自然の姿で共存しているのが分かる
クスノキの大木は5mm程の小さな花をたくさん咲かせている
Moving towards the trees to get a closer
look,
I can see many worlds.
New life is budding inside the decaying hollows.
Insects have moved in and are busily moving
about.
It’s easy to see that they coexist in a
natural way.
A large camphor tree is growing many small flowers
about 5 mm in size.
原子爆弾は広島と長崎に落とされたのではありません。
人類の上に人類自らが落としたのです
The Atomic Bombs were not dropped on Hiroshima and Nagasaki.
They were
dropped on humanity by humanity itself.
ある被爆者の方の言葉
被爆樹木の78年は苦しみの中にありました
大半の樹木は、廃墟の中の邪魔な焼け屑として切り倒され、掘り返されました
原子爆弾の熱線に傷ついて樹木はずっと苦しみ抜いて生きてきました
のたうち回るように生きてきました
今では安らかに生きているのでしょうか
広島の再生とは被爆の傷跡を消し去ることでしょうか
被爆樹木は何も語りません
黙って懸命に生きています
年月と季節の移り変わりを懸命に生きてきました
冬も、夏も、秋も、そして花咲く春も
何かを伝えるために必死で花を咲かせるのでしょうか
樹木にも寿命があります、被爆か螺78年が過ぎています。
樹木の沈黙を聴き取る時間は残り少ないのです
言い遺すことがあるに違いない
沈黙している生き物の叫びを聴きとれるでしょうか
この木々と何かを共有できるでしょうか
撮影後期記憶の樹木たちThe trees who remember
★1-シダレヤナギ 広島青少年センター横河川
原爆ドームに一番近い被爆樹木と思い、会いに行った。
全体から見る姿は幹の太さが異様に感じる。そして、幹は苦悩を表すかのように語りかけてくる。生かすために、いろいろな手当てがされているのだろうと感じた。
何時間撮影をしていただろうか、一度は、カメラを片付け次にいこうとするが、また、カメラバックを開いて撮っていた。何か伝えたいことがあるらしいが、私にはわからない。
理屈では撮れない。
★1-Weeping Willow
Riverside by Hiroshima Youth Center
This tree is the closest A-Bombed Tree to the Dome. The trunk, which seems
oddly thick, spoke to me as if to tell me about its distress.
People are doing everything they can to keep it alive. I spent countless hours taking pictures there, putting my camera away to go elsewhere, then opening my bag again to continue.
The tree seemed to have something to say but I couldn’t understand. I didn’t need a reason to take pictures.
他を寄せ付けないような威厳というか畏怖を感じて、まず、お参りをして宮司さんに許可を頂いて撮影に入った。
「結界の中には入らないように気をつけてください」と言われ、細心の注意を払って撮影した。昔は、周りが海で岩礁だった場所。
大岩に食い込むように生きながらえている。岩は被爆当時のままのように赤茶けている。
★5—Camphor
Shirakami Shrine
Its dignity keeps others at bay.
I paid my respects to the shrine and got permission from the chief priest
to take pictures. He told me to be careful not to cross the barrier.
I obliged. This used to be a reef. The camphor seems to be digging itself into a large rock.
The rocks are still red from when the bomb was dropped.
★20-ユーカリ 広島城
有名な被爆樹木と聞いていた。予想よりも大きく、今まで見たことのない樹木だった。
広島城を訪問した人が多く通り過ぎて行く。
全体と木の森に入り込むと印象がずいぶんと違う。
全体見るのと木の森に入り込むのと印象が随分と違う。
全体は大きく雄大なパワーを感じる威風堂々とした姿。中に入ると、添え木でやっと立っているのが痛々しい。
自然に生きることの難しさを感じる。しかし、この木は精一杯生きている。春には新しい芽を出す。
★20-Eucalyptus
Hiroshima Castle
This famous A-Bombed Tree was larger than I had expected, not like any
tree I had ever seen before.
Visitors to Hiroshima Castle passed it by.
Unlike seeing it as part of the forest, alone it is majestic with a sense of great power, but the braces are painful to see. I feel the difficulty of living naturally.
This tree is doing its best to live. In the spring, new buds will sprout.
★25-ボタン 本逕寺
高さ150cmくらいの小さなボタンの木。満開だった。
撮影許可をお願いに駐車場の方に申し込んだ。
「良い時に来たね。木が弱るので明日は花を落とすんだ」と告げられた。
25-Peony
Honkyoji Temple
A small peony, only 150cm tall, in full bloom.
When I went to ask permission to photograph it, I was told that I had come at a good time.
The tree was weakening and would be dropping its flowers tomorrow.
★27-クロガネモチ 広島城
広島城のクロガネモチ。母の木。我が子に乳をあげたかった母親のように見える。
★27-Round Leaf Holly
Hiroshima Castle
This round leaf holly at Hiroshima Castle is a mother tree. It looks like a mother wanting to breastfeed her child.
★32-クスノキ 市営住宅西側駐車場
大きなクスの木は、人々が行き交う川沿いのシンボルとなっている。
夕方、日没直前に南の海から白い鳥たちが通過していく。
手前の橋までは、50mくらいの上空を飛んでいるが
橋げたを通過すると、水面すれすれに群を組んで川を上ってくる。
クスノキのある水面20cmくらいの低い位置を幾つかの群れになり北を目指す。
そして、いったん護岸に集まり、再び川を上っていく。
★32-Camphor
City Housing Project (Westside Parking Lot)
This large camphor has become a symbol where people stroll along the river.
In the evening, just before sunset, white birds fly from the sea in the south.
They first fly 50m high in the sky until they reach the bridge, where they lower themselves to the surface of the river near the camphor and flock together before heading north.
★42-クスノキ 天満小学校南東側道路
道路側に大きなクスノキがそびえている。幹には穴がひとつ開いていた。キツツキの作った穴かと思ってみていたら、穴の奥からハチが出てきた、ハチの巣だった。
★42-Camphor
Roadside near Tenma Elementary School
The large camphor towers over the road. It has a hole in the trunk.
I looked at it, thinking it was the work of a woodpecker, when a bee flew out. It was a beehive.
★43-45プラタナス 天満小学校
校庭の片隅に3本が並んで立っている。添え木をして大切に守っているのが感じられる。
幹は空洞化して周りの樹皮が支えている。
空洞の中には、新しい芽が芽生えている。カミキリムシが暮らしている。必死で生きている。
★43-45 Plane
Tenma Elementary School
Three plane trees line the edge of the schoolyard, carefully protected by braces.
A trunk is hollowed out, supported by surrounding bark.
There is new growth in the hollow, where a long-horned beetle has found
a home.
★47-アオギリ 平和公園
2018年8月6日8時前。大音量のスピーカーが騒がしい広場には参列者のほか、何百人もの警察官が集合。
アオギリの木を注目する人は、ほとんどいない。
8時15分が来た。みんなが記念碑に向かって鎮魂の祈りを捧げている間、静寂が漂う。
黙祷終わりという声で、再び喧騒が戻って来る。
地元の方は、夜明け前にお参りに来る。ほどなくアオギリの周りに人が増えた。
★47-Aogiri Chinese Parasol
Peace Park
Just before 8 a.m., August 6, 2018. 100s of police officers join attendees amidst loud voices.
Very few pay attention to the Aogiri.
The Park falls silent for a minute 8:15 in prayer for the souls, then the
noise returns.
The locals come to pray before dawn. Soon people will surround the Aogiri.
8月6日 灯ろう流しの写真を撮りに行った。
川には多くの灯ろうがあったが、
寄り添い、下流に流れた行かない灯ろう灯ろうがあった
藤原隆雄 プロフィール
1949年/生まれる
1972年/日本大学芸術学部写真学科 卒業
1975年/広島でスタジオタカ オ設立
1990年/タカオ株式会社設 立
1995年/宮島にて「オノ・ヨーコ 今 祈念コンサート」撮影
2004年 /空海弥山開創1200記念行事に参加。撮影制作にとりかかる
2006年 /弥山開創1200年祭記念誌撮影 ダライラマ法要宮島に来島の折撮影
2018年/「聖なる山 弥山」写真集を 出版(出版元 大聖院)
Takao Fujiwara was born in 1949.
In 1972, he graduated from the Department of Photography at Nihon University
College of Art before establishing Studio Takao (later TAKAO Co., Ltd.)
in Hiroshima in 1975.
In 1995 Takao photographed Yoko Ono’s Now / Prayer concert in Miyajima.
He started producing photography with his participation in the 1200th anniversary of Kukai’s founding of Mt. Misen in 2004,
and in 2006 photographed Dalai Lama’s visit to the island for the celebrations.
In 2018, he released the photo collection Sacred Mountain Misen (published
by Daishoin)
1949 生まれる
1967~1972 広島県立美術館「TAMINO」写真展を毎年開催(6回)
1972 日本大学芸術学部写真学科卒業
1975 広島でスタジオタカオ設立
1979 ヨーロッパ撮影旅行(フランス・イタリア・ギリシャ・スペイン)
1990 タカオ株式会社設立 広島県民文化センター「TAKAO」写真展開催
1992 中華人民共和国四川省都江堰市及び九寨溝・黄龍・紅原の撮影旅行
1993 広島市海外派遣事業でギリシャ・トルコへの撮影視察旅行
広島センター街ギャラリーにて「中国四川省の秘境・夢幻」写真展開催
1995 宮島にて「オノ・ヨーコ/今/祈念コンサート」撮影
1996 広島星ビルギャラリーにて写真展開催 広島国体写真集の撮影
1997 広島ギャラリーてんぐスクェアにて「海という言葉」写真展開催
広島エアポートギャラリーにて「スポット」写真展開催
花の創作集「安篁の世界」撮影
広島プリンスホテルにて「海という言葉」写真展開催
広島原爆ドーム絵はがき「あなたに伝えるために」製作
広島財団法人筆の里振興事業団の依頼により片岡鶴太郎氏密着撮影
広島エアポートギャラリーにて「広島にて」写真展開催
広島プリンスホテルにて「広島」写真展開催
広島エアポートギャラリーにて「波動」写真展開催
「G線上のアリア」オムニバス版CDジャケット撮影(BGM)
1998 「アヴェ・マリア」オムニバス版CDジャケット撮影(BGM)
新潟県佐渡島にて国指定重要無形民俗文化財である、文弥人形の濱田守太郎氏の撮影
ミャンマーの撮影旅行
広島エアポートギャラリーにて「風」写真展開催
広島本通LIFEギャラリーにて「花という言葉」写真展開催
広島プリンスホテルにて「福王寺の輝き」写真展開催
東京銀座コダックフォトサロンにて「海という言葉」写真展開催
広島プリンスホテルにて「海という言葉」写真展開催
中華人民共和国四川省・四姑娘山麓撮影旅行
広島エアポートギャラリー「海という言葉」写真展開催
広島信用金庫横川支店(旧本店)「海という言葉」写真展開催
染めと茶ギャラリーにおいて「福王寺の四季」写真展開催
1999 広島コダックギャラリー「海という言葉」写真展開催
広島プリンスホテル「タカオの世界」ギリシャ編写真展開催
東京・表参道・新潟館ネスパス「佐渡の風」(海と濱田守太郎との出会い)写真展開催
CD「雅」制作に参加。写真デザイン担当。BY 木本いず美
中国四川省四姑娘山麓撮影
広島プリンスホテル「佐渡の風」写真展開催
コダックギャラリーひろしま「佐渡の風」写真展開催
2000 中国四川省都江堰市を中心に観光地を藤原隆雄の印象で撮影。9/8~9/19
広島県立美術館において「藤原隆雄の世界」個展開催(12/12~12/17)
2001 広島県立美術館で「タカオと仲間達」という写真展開催(3/27~4/1)
広島プリンスホテルにて「中国四川省」写真展開催(4/16~5/15)
2002 絵はがき新作発表「宮島」「原爆ド-ムカラ-バ-ジョン」 「極楽寺」「明星院」「清神社神社」「地蔵」「四川省四姑娘山」等
2003 四国霊場八十八ヶ所歩き遍路の旅にでる。 5/9~6/26 49日間で結願する
雑誌「旬遊」発行に参加。(創刊号・2 号・3 号)
2004 厳島 <ぎゃらりぃ宮郷>にて個展開催「佐渡の風」 1/22~2/3
雑誌「旬遊」発行に参加。(4号)
旧津和野(キリスト教殉教の道)信者さんと歩いて撮影 約90km 5/3~5/5
バリ島へ撮影旅行(6 月)
東京銀座 コダックフォトサロンにて個展開催 10月6日(水)~10月12日(火)
タイトル「空界」 サブタイトル「四国八十八ヶ所歩き遍路の記憶」
空海弥山開創 1200 記念行事に参加。MAP・記念誌の撮影制作にとりかかる。
2005 元旦より、厳島弥山にて撮影開始。
広島ギャラリー クリックファームにて、個展「Over The Horizon」を開催。2/5~2/27
タイへ撮影旅行(5 月)
厳島・大聖院にて個展「空界」を開催(11/17~12/1)
「弥山への道」MAP 12/25 完成
2006 厳島大願寺 仏像の撮影開始
厳島大仏の落慶法要撮影 4/2
弥山開創1200年祭実行委員会に参加(11 月には、ダライラマ法王をお迎えする)
弥山霊火堂落慶法要の撮影 7/17
記念誌作成発行(8 月)
大願寺案内パンフの制作(8 月)
弥山開創 1200 年祭記念誌撮影 ダライラマ法要宮島に来島の折撮影。(11 月 1 日~9 日)
竹原の町並み保存地区の「瓦 MAP」製作
2007 大願寺星祭を撮影(2/3)
弥山開創1200年祭記念事業 記念誌発行(2月 5冊セット) 宮島弥山写真集・ダライラマ法王写真集
広島県内山口県内のお寺撮影開始
もみじ茶屋にて写真展開催(11/23.24)
宮島英文ガイドマップの製作(商工会発行)
2008 宮島英文ガイドマップの製作(国土交通省発行)
広島経済同友会主催 ひろしまポスター展 優秀賞受賞
ネパールに撮影旅行
日本観光協会主催 ポスターコンテスト入賞
東広島福成寺のパンフレット製作
スタジオタカオ事務所移転(広島市南竹屋町)
福王寺・不動院・三瀧寺・国分寺・棲真寺の撮影
宮島で新バージョン 写真ハガキの製作販売開始
2009 広島近隣のお寺の仏像の撮影(正観寺・大師寺・明星院)
宮島ロープウェー創業50周年記念 弥山 MAP を製作(5月)
東広島市 真言宗龍玄精舎のパンフレット制作(7月)
2010 宮島の昔からある「幸紙」を木版画として製作
宮島ロープウェー 「恋人の聖地」モニュメント撮影
スペイン EL CAMINO DE SANTIAGO 巡礼の道を撮影旅行(6 月)
「超初心者のための弥山MAP」を製作。原稿出向は、2009 年11月
2011 宮島弥山を守る会に参加(4月)
広島大学で宮島弥山倶楽部として講演をする(7月)
イタリア・スペイン・スイスを20日間、巡礼仲間を訪問
2012 高野山への道(九度山から)の町石道を登る
熊野古道を歩く
宮島ロープウェーの依頼で「もみじ谷公園・獅子岩展望台」パンフ制作
清神社のパンフレット制作
2014 佐渡 88 ヶ所霊場歩き遍路 2 月 24 日より 3 月 9 日 約 300km
宮島弥山登山証明書の制作(6 月)
スペイン旅行 10 月 8~17 日 バルセロナ・タラゴナ・バレンシア・サラコサ
パンプローナ サンセバスチャン・ジローナ・フィゲーラ・カダケスなど
宮島弥山登山証明木札制作(12 月)
2015 10月 13-14 日四国石鎚山へ登頂(頂上泊)
2016 7 月龍玄精舎の記念史の制作
2018 「聖なる山 弥山」写真集を出版(出版元 大聖院
2022河尻清氏 遺作集制作(製作期間 2年)
テーマは「生きる」
20年前大病をしたのち、四国歩き遍路をした。
無心で写真を撮りたかった。
何が撮りたいのか、何が撮れるのかわからないが
カメラを背負って歩き始めた。
最初の1週間はただ歩くのが精一杯。
お遍路さんにカメラを向けるが、断られる。
そうだよな、当たり前だよなと自嘲する。最初に撮影をOKしてくれたのは、
二人連れの女性の一人だった。
写真を撮りながら抜きつ抜かれつしている間に、
仲間意識みたいなものが生まれたのか
いつしかカメラを向けても、いやだという人がいなくなった。
路傍の苔むした地蔵石仏や古木も私が心惹かれる被写体だった。
遍路宿のご主人にそんな話をすると。
「道端の地蔵さんは遍路の途中で亡くなった人を祀っているんだ。
身元が分かって連絡をしても家族は関係ないという人も多い。
迷惑をかけて出て行った人だからと言われる」といたましげに語った。
引き取り手のいない死者は寺の桜の木の根元に埋葬されたそうだ。
遍路から戻り、縁あって宮島の弥山を撮ることになった。
何回も何回も弥山を歩いた。通算すると軽く500回を超えたろう。
弥山の木々を眺めていた時、「母の木」に遭遇した。
森の木々はこの木を中心に根でつながっていて
今年はドングリをたくさんこの場所に実らせようなどと
情報交換をしながら森を守っているという話を聞いたことがある。
人間と同じように樹木も1本では生きていけない。
周りと共生しながら生きているのだ。
私は石仏を撮りたくて写真を始めた。
そして石仏に呼ばれて写真を撮るようになった。
被爆樹木も石仏と同じだ。呼ばれていると感じた。
何か言いたいことがあるのだろう。
写真集のテーマは「生きる」。
このテーマに行きつくまでに、3年余りかかった。
下見のときはクロガネモチが葉を茂らせていた場所が更地になっていた。
前年まで実をつけていた紅梅が台風で折れ、根元から1mで伐採されていた。
やっと見つけたイチョウの木はすでに枯れて幹が腐り始めている。
ソメイヨシノの老木は約60年と言われる寿命を終えようとしている。
「生きる」ということがどういうことなのかずっと考えながら撮影した。
悲惨さではなく、未来へ向かう姿を撮りたいと思いながら撮影した。
<Postscript> To live
After recovering from a serious illness 20 years ago, I went to Shikoku
on a walking pilgrimage. I just wanted to take pictures.
Not knowing what I wanted to or could photograph,
I strapped my camera to my back and started walking.
For the first week, it was all I could do to walk.
When I turned my camera to others on the pilgrimage, they said no.
Of course, I’d say in self-ridicule. No one wants their picture taken.
One woman traveling with her friend was the first to say OK.
We exchanged dialogue as I continued to shoot and
developed a sort of comradery. After a while,
nobody turned away when I pointed my camera at them.
The moss-covered stone Jizo statues and old trees along the roadside also attracted me.
The owner of the lodge we stayed at told me in a sad voice that
the roadside Jizo statues enshrine those who died during their pilgrimage.
Many of them were disowned by their families, even after they were identified,
saying they were the ones who left home after causing trouble.
He said the unclaimed dead were buried beneath the temples’ cherry
trees.
When I got back, I had the good fortune to photograph Miyajima’s Mt. Misen.
I walked up and down the mountain at least 500 times, if not more.
As I gazed at all the trees on Misen, I came across the Mother Tree.
I once heard that the forest trees all grow around her, connected by the roots.
They protect the forest by exchanging information such as
where to produce the most acorns this year.
Just like humans, trees cannot live all by themselves.
They
live in harmony with their surroundings.
I started off wanting to photograph stone Buddhist statues.
Then I took pictures because the statues called to me.
It’s the same with the A-Bombed Trees. I felt them calling me.
They
must have something to say.
The theme of this photo collection is “to live”.
It took me more than three years to arrive at this decision.
The area where I first saw the lush round leaf holly was cleared out.
A typhoon broke the red plum that had fruit until last year. It was cut sown to one meter.
The ginkgo tree I finally found had already died, with its trunk beginning to rot.
An old Someiyoshino cherry tree is about to reach the end of its 60-year life span.
As I took pictures of them, all I could think about what it means “to live”.
I wanted to capture these trees moving towards the future, not their
tragedy.