タイ旅行記
<豆知識>
時差:2時間 日本の正午はタイの午前10時
通貨:バーツ(補助通貨 サタン) 紙幣は20・50・100・500・1000 硬貨は1・5・10 1バーツ2.67円(感覚的には3円)
チップ:目安 ホテルのポーター20バーツ ルームメイド20バーツ
マナー
一般にタイ国人は、敬虔な仏教徒で、伝統的な王室を非常に尊敬している。
宗教に関することやタイ王室についての軽率な言動や振る舞いは慎むべき。
仏教寺院を訪れる場合は、服装に気をつけること。
タンクトップやショートパンツなどの肌を露出した服装は避けるようにしたい。きちんとした服装で礼儀を守ること。
これは王室関係の施設内入る時も同様。
特に女性は、僧侶に触れてはならないことになっているので、間違っても握手を求めたりしないこと。
また、タイでは頭部が体の中で最も神聖な部分と考えられており、子供であっても、むやみに頭に触れてはならない。
足の裏は不浄とされているので、足で物を差したり、タイの人に足を向けたりするのは失礼にあたる。
写真撮影は、そこが撮影禁止場所でないか必ず確認をすること。
博物館内は基本的には撮影禁止。寺の内部は撮影可能なところが多い。
その他、山岳民族などの一般の人を撮る際は、失礼のないように注意すること。
タクシー:初乗り35バーツ(メーターを倒して走るか確認。または最初に値段交渉をしたほうが良いみたい)
トゥクトゥク:小型のオート三輪のタクシーで、後部のベンチシートに3人も乗れば満員。料金は交渉制でタクシーより高め。
市内バス:赤バス4バーツ。エアコンバスは距離により料金が違う。
ボート:チャオプラナ川を南北に航行する。旗の色で行き先やて停留所の違いが分る。
バイクタクシー:一般的に多くの地元の人が利用している。渋滞がひどいので、確実に着ける方法のようだ。事故は多いらしい。
高架電車:(BTS)10〜40バーツ。距離によって違う。
地下鉄:1区間14バーツ。2区間目から2バーツ加算。
挨拶言葉:サワデー・カー(男性の場合は、カーのかわりにカップ)
感謝:コップ・クン・カー(男性の場合は、カーのかわりにカップ)
お詫び:コートート・カー(男性の場合は、カーのかわりにカップ)
大丈夫です・構いません:マンペンライ
連休を利用しての家族旅行。
5月3日(火)
5月3日の早朝、6時23分の新幹線で関西空港へ向かった。
連休にも関わらず新幹線も込み合った様子も無かった。指定席ということもあり、ゆったりと新大阪で乗り継ぎ空港に向かう。
今回の旅行は家族旅行が主目的なので、撮影のことは余り考えず、デジカメ1台のみ持参した。
日程もほとんど理解していない。
パンフレットも出発前日に目を通した程度。どこに行くのかも正確に把握していない。
11時45分タイ航空623便で出発。時差は2時間遅れ。
空港も整備され旅には大幅に便利になっているので、受付カウンターの案内で十分迷うことなく飛行機に乗ることが出来た。
待ち時間もあったので、カフェでクレープとサンドイッチを注文して、少しお腹を満たしておいた。搭乗時間は6時間。
機内は狭い。
クーラーも利いているので半袖では寒いくらい。モーフをかぶって寝ることにした。
お茶や食事のサービスの時だけ起きる。それ以外は寝ていた。
なんとなくあっと着いたという感じだった。
バンコクの気温は36度ということだった。飛行機から降りると、通路はいきなり熱風が押し寄せる。
しばらく歩くと今度は冷房が効いているので涼しい。この繰り返しらしい。
手続きも難しくなく、簡単に済んでいよいよバンコクへ出る。
JTBの係りの方が待っていて、まずトイレに行くよう案内。数組と一緒らしい。
年の違うカップル。マニアックなカップル。3組が車に乗って2時間ばかりかかるアユタヤに向かって出発した。
アユタヤの郊外にある唯一のホテルに到着。部屋に入って少し休憩後、夕食をとりにホテルのレストランに行った。
ツアーなのでみんな一緒のテーブルで食事となった。レストランはツアーらしいグループで一杯。
日本人も多いが、おもったより白人が多いのに驚いた。残りは、アジア系の人だが、国籍は判らない。
食事は、特別感動するほどのものは無かった。
ビールは地元の名産を指名したが、さっぱりとしたハイネケンの影響が強いビールに感じた。
しかし、40度近い暑さの中でのビールはうまい。
ステージでは、外国のお客を意識してか、日本の歌謡曲やスタンダード」ナンバーを演奏・歌っていた。
お願いしてタイの今一番流行している歌を歌ってもらう。歌手の女性もうれしそうに歌っていた。
食事後、大型バスに6名のお客でライトアップしたアユタヤの遺跡を見に行った。
地図もろくに見ていないので、今どこにいるのか、ホテルの位置も確認できないしまつ。
ホテルの名前はあとでわかったが、クルンスリ リバー ホテル。近くには鉄道が走っている。
ライトアップされた仏塔は美しい。三脚を持っていないので、石垣にカメラをおいて夜間撮影をする。
結果が判るので助かる。夜間モードにして家族も撮る。ガイドのマシェさんが撮ってくれる。
一番のスポットでは日本人のカメラマンが商売で撮影している。
数箇所案内してもらいホテルに戻る。暑さは続く。
じっとしていても額からは汗が流れ出る。
時間があったので、ホテルの近くに出かけて買い物をしようとしたが、すでに閉店していた。
雑貨屋らしい店が開いていたので、歯ブラシセットを購入。ホテルの隣の雑貨兼食堂らしき店にも入ってみた。
女房は、扇子を購入。が、熱風を送るのみの扇子。
ホテルに帰ったが、川沿いにあるホテルなので、デッキに出ると外にもレストランがあった。
そこでビールを頼みしばらく外国の空気を味わうことにした。周りには日本人はいない。
ツアー客は、ここには来ないようだ。
言葉もうまく通じなくて、なかなかオードブルも来なく、帰る頃にやっと来たが、ビールのおつまみなのでそれだけを食べるには、
味が濃いので部屋に持って帰ることにした。
次の日は、朝8時30分出発。6時にモーニングコールを入れてもらう。
5月4日(水)
やはり、早めに目が覚めた。1人でホテルを抜け出して、近くのお寺に行った。
タイの人は、挨拶をしない。二コリとも笑わない。会釈もうまく通じない。
途中、工事現場のジャケットをつけたようなバイクの一団が数名たむろしていて、何か行ったが、手で合図をして断った。
お寺は、早朝のため閉まっていた。
僧侶たちが、お寺の周りや中を掃除していた。
中には入れないので、周りを写真を撮って回っていると、中の僧侶が入れと案内してくれた。
入場料は必要かどうかも聞くすべがないまま、とりあえずサンダルを脱いで入って行った。
お寺の中は、整然としていた。手入れが行き届いている。
正面に金色の仏像が安置され、壁は全て白である。ギリシャへ行った時のイコンを思い出した。
たくさんの仏像が安置してある。仏像には金粉が貼ってある、風にゆられて緊迫はそよいでいる。
僧侶がワンカップのような容器にストローを刺して手渡した。ありがとうという意思表示をした口にした。
賽銭のつもりで、20バーツを箱の中に入れた。ここで良いのかと聞いたが、明確な返事はなかった。
写真も撮って良いとのことだったので、でしゃばらない程度に撮った。
撮っていて気がついたのだが、どうも頂いたワンカップはお供え物であって、飲むものではなかった。
飲んだものをお供えするわけにもいかないので、お詫びをして持って出ることにした。
僧侶は、ビニールに入った餌のようなものを手渡して、寺の裏に案内をした。
ついて行くと、裏手は川になっていた。犬がたくさんいてほえる。鶏もいる。
僧侶は別の庭師のような人に、一言いうと私を川のほうへ連れて行ってくれた。
船着場のようなところのベンチに座り、少し手話ではなした。
日本に行ったことがあるらしい。今はタクシードライバーをしているようだ。
広島から来たというと、行ったことがあるのか、知り合いがいるのか、嬉しそうに握手を求めて来た。
別の僧侶が、汚れたパンフを持って来てくれた。日本語で、夜のアユタヤ川くだりの案内がしてあった。
何が書いてあるのか知りたがっていたので、ナイトツアーのことだと説明したが、理解したかは判らない。
餌のようなものをビニールから出して川の方をさしてまけと合図する。
私は、鶏にやる餌かと思い、ベンチからまくが鶏は一向に反応しない。
お金も必要かと思い「アイ ハブ ノーマネー」と告げると判ったという様子をしたが、別に態度は変わらない。
逆に、かわのそばに連れて行って、こうしてまけと言った。
川にまくと、たくさんの魚がバシャバシャと寄ってくる。
どうも魚の餌だったようだ。背中や尻尾の赤い斑点のある魚だ。15cmくらいなのだろうか、正確には判らない。
食べるのかと聞くと、食べないと言う。神聖なものなのか、まずいのかは聞けなかった。
そうこうしている間に、ホテルに帰る時間が来たので、写真を撮っても良いかと聞くと、照れくさそうに横を向いてしまった。
急いで帰ると、朝食のためにみんなロビーで他の人たちは待っていた。
急いで家族を呼びに行った。朝はバイキングで、そこそこいける料理。
急いで出発の準備をしなくてはいけない。
それでも亜子ちゃんは、街に出たいというので、15分くらいホテルの隣のお寺に行った。
学校も併設している立派なお寺。子供を少し撮り、お寺の横に行くと数名に僧侶がいて中に入れと言う。
中を見せてもらったが、先ほどのお寺と様式は同じようだ。
このようなお寺が街の随所にあるようだ。
大きな仏さんの横には、なかなかダンディな人の顔写真が飾ってあり、さかんにこのことで説明をしてくれる。
タイ式ボクサーで有名な人だということは判った。名前も聞いたが覚えられなかった。
外にも大きな像とともに石碑があった。相当有名な人なのだろう。
入り口付近の僧侶を写真に撮ってもいい許可をもらい撮る。屋根の上で修理をしている人も撮れというのでチャレンジした。
僧侶の背中には刺青がしてある。意味を聞く時間と会話力がなくあきらめて急いでホテルに帰った。
バスツアーの出発である。
まず昨夜回ってお寺を、バスでぐるぐる回っては降りて行く。
ものすごい暑さに、少々ばて気味になる。「15分間で回ってください。」と言われると必死で回るしかない。
通訳のモシェさんの日本語は、古式豊かな日本語である。
文章になってない部分が多いので、結局何を言っているのかが判らないことが多かった。
判ったことは、ミャンマーと昔から仲が悪く、征服の歴史を繰り返していることが理解でした。
なかなか誇り高いタイ人という印象を持った。
まず行ったのが大きな宮殿(バン・パイン宮殿)。広大な敷地に、西洋風の建築物が散在していた。
人工的に作られた庭園も広々していた。
現在は、国との衝突がないので徴収されて軍隊に入った若者は、観光地の警備をしていた。
気楽に一緒に写真を撮らせてくれた。
その後、日本人町跡に立ち寄るというので期待していたが、ただのお店屋さんに案内されただけで、
この敷地が日本人街の跡と言った様子。
少々ががっかりした。朱印船貿易で栄えた最盛期の1610〜30年には、1500人以上の日本人が住んでいたらしい。
日本人町の頭領が山田長政だったことは有名。
タイの歴史には山田長政という名前は残ってないとガイドのモシェさんは言っていた。
店員さんも商社の人といった感じで、結局は高い買い物をした気分で、加恵ちゃんと出た。
公園と言っても何もない。何のために入場料を払うのかも理解出来なかった。
外のお店に行き、加恵ちゃんは値段交渉をして買い物をしていた。なぜかそちらの店の方が安く感じた。
もう一軒の店で見ているときに、白髪の男性が赤ちゃんを抱っこして店先に居たので、
てっきり店の人と思い赤ちゃんの年を聞いたり写真を撮っていた。
若い両親らしい人が来たので話をしたら、男性は日本人でタイの奥さんの所に里帰りをしている途中に、
日本人街があるというので立ち寄ったと言うことだった。
大分のキャノンの工場に居るとのことだったので、写真をメールで送ることにしてアドレスを聞いた。
ワット・ヤイ・チャイ・モンコンというお寺に行った。
大きな涅槃像が屋外にあった相当大きくカメラでは全身が入らなかった。
時間がないので、急いでお寺の中に入ると、入り口にはたくさんの仏様があり、手前の仏像には全身緊迫が貼られている、
信仰からなのだろう。干支ごとに願い事が出来るような像も並んでいた。お寺の中は、静かにお参りをしている。
大きな仏像を中心に小さな仏像が並んでいた。横の壁には歴史を絵にして飾ってあった。
1592年ナレスワン王がビルマ王子との象に乗っての戦闘に勝利した様を描いている。
その時に仏塔も建てられたらしい。
お寺自体は、セイロンから帰って来た僧侶のため、1357年に建立された。仏塔にも登ってみた。
井戸のようなものがあり、コウモリの住みかになっていた。
昨夜宿泊したホテルに戻り昼食をした。
象に乗るオプションがあった。一人500バーツである。二人乗りで20分ということ。
日本円にすると1500円。地元からするとかな高価な料金。
はがき1枚が10バーツ(安いところに行くと、3バーツ)。感覚的には7500円くらいになる。4人で30分15000円はたかい。
二度とない経験だから良いかということになり乗って、早速写真屋さんが来て、パシャと撮る。
帰りには写真皿に加工して売りにくる。商魂たくましい。
また、なかなかうまい写真を撮る。
私たちは、ガイドの、モシェさんが撮ってくれたので買わなかった。
乗り心地は悪い、大きく揺れる動きには、自分の身体を合わせるしかない。
ちょっと油断をすると、振り落とされそうになる。
四川省の山岳地帯に行ったときに乗った馬も同じような体験をした。
10分くらい遺跡の周りを回り、木の木陰で休憩をして基の場所に戻った。ただ、それだけの話。
ワット・プラ・モンコン・ボピットの前を通過して、まず石塔のあるワット・プラ・スリ・サンペットへ行った。
アユタヤのシンボルと言っても過言ではないアユタヤ王室の守護寺院。
アユタヤ陥落の際、171kgで覆われた仏像がビルマにより、跡形もなく破壊された。
現在は、3人の王の遺骨が3基のパゴタにそれぞれ眠っている。大きな仏塔があり、会議場のあとらしき遺跡もあった。
とりあえず1周してみたが、古い遺跡と言う感じで、ミャンマーの仏塔に少し似ていた。
ルーツが同じなのかもしれない。ワット・プラ・モンコン・ボピットに行った。
1603年に建立されたタイ最大のブロンズ製の仏像が安置されている。
1767年、ビルマ軍によって破壊されたが、ラマ5世の時代に仏像を修復し、礼拝堂も再建された。
全て、履物を脱いではだしで入らなければならない。
トイレに行きたくなったが、我慢をしてお寺に入った。とにかく大きな仏像という印象しかないまま出た。
その後、商店の中のトイレを探して入った。
公衆便所のようだが、2バーツ必要。しかし、きれいに掃除がしているので、良いのではないかと思った。
大急ぎで用を足してバスに戻る。
その後、ワットマハタートに行った。アユタヤで一番古い形式の仏塔群。
ビルマ軍によって破壊されたが、その面影が頭部だけ切り取られ、菩提樹の根にとりこまれた仏像があった。
仏塔はかなり破壊され、また、傾いているものが多く、近づかないように注意された。
根っこの仏頭は印象的だった。記念写真は、仏頭より高い位置で撮らないようにということで、しゃがんで撮ってもらった。
2時間ほどかけてバンコクに戻る。
買い物ツアーに付き合わされる。JTBの契約店に連れて行かれる。
大きなビルの警備の厳しい中に入るが、買い物には興味がないので、喫茶店で時間をつぶす。
ガイドのモシェさんもわかっているが仕方ない様子で。時間が経過するのを待った。
それから、足指マッサージのために大渋滞のバンコク市内を走り、また、契約店のお店に着いた。
今回は、ツアーなので地図も確認していなかったが、なんとなく遠回りをしながら走っているような気がしていた。
マッサージは1時間ほど。
1回の6畳くらいの洋間に、マッサージ機のようなソファーに寝かされ、7名が同時に受けた。
みんなで時間を調整しながら、チームワークでやっているような感じがした。
さすがに本場だけあってなかななかつぼをえていて気持が良かった。
その後、タイの踊りを見ながら食事をすることになっていて、繁華街へバスで出発。
たくさんのツアー客に混じって、踊りを見学した。
食事は特に印象に残るものではなかったが、カレーの香辛料が強く辛いものもあったがおいしいかった。
もう一組のカップルは、別の高級ホテルに宿泊しニューハーフショーを見るため別行動になった。
我々は、ホテルに行きマシェさんは、一通りの案内をして帰った。
ホテルは、ツアーの中では一番安いホテルだったので、繁華街にはなく日本語の通じるスタッフはいなかった。
娘がコンタクトの洗顔用水を買いたいとい言い出したので、とりあえず近所のコンビニを探して買いものをすることにして出かけた。
繁華街ではないので、薄暗い場所が多く、広い道路の向こう街角にあった。
道路には屋台のような店が多く出ていたが、立ち寄るような気分の店ではない。
コンビには、日本のように明るく整然としていたが日本語が通じないので結局買うことは出来なかった。
ホテルに帰ったが疲れていたので、コンビニで買ったビールを飲んで寝てしまった。
明日は、9時出発ということになっている。
5月5日(木) タイでは祝日
今日は、バンコクの市内見物。
王宮の敷地内にあるエメラルド寺院(ワット・プラケオ)に行った。ものすごく大きな寺院という印象。
短パンやサンダルはだめということ。
私は、あらかじめ情報を得て、後ろに紐のついているサンダルを用意しておいたので、靴で行かなくても済んだ。
城壁の中には、大勢の信者さんや観光客でごったがえしてした。
撮影をしてはいけない場所もあり、気をつけるように言われた。
広い敷地を30分で回るように言われた。
急いで写真を撮りながら周るが到底写真を撮ることも見ることもできない。
勘だけで動くことにした。
見れないのは縁がないこととにして。寺院全体は、ブルーの材料を使って美しい。
エメラルド寺院とは良い名前だ。
本堂の中は、撮影禁止。
多くの信者がおまいりをしている。
観光客は邪魔な存在でしかない。
頭を3回地面につけてお参りする。
仏像には、金箔を貼っていく。なんだか信仰心の差を感じるタイ。
隣にも黄金の仏塔が立ち並ぶ、あちらこちらで写真を撮っている。
しかし、この暑さは久しく体験をしたことがない。
ミャンマー以来かもしれない。
外に出たが駐車禁止なので、しばらく歩いて離れた場所からバスに乗るが、今日はコンパクトにライトバンなので窮屈。
バンコクの渋滞を考えると、昨日までの大型バスにお客は6名では、採算もあわないし小回りがきかなすぎる。
次は、少ししか離れてない暁の寺(ワット・アルン)。
ここは、川の対岸から船で渡る。
所要時間は数分。川の都をアピールしている。ゴンドラのような形の船も行き来する。
エメラルド寺院ほどに派手ではないが三島由紀夫で有名になったお寺だそうだ。
18世紀末、タクシン王がトンブリ王朝を開いた際、王朝の守護寺院だったらしい。
ここも15分くらいしか時間がない。
絵葉書を見たとき、渡る前は3バーツだったのが、お寺の前に行くと5バーツになっていた。
また、船で戻った時に、数枚購入した。外国の人も買っていたので、安く感じたのだろう。
作戦勝ちと言ったところだ。ホテルでは10バーツだったので、いかに価格がいい加減かわかる。
その後移動して涅槃寺(ワット・ポー)へ行く。大きな涅槃像だ。
改築中だったが涅槃像は46mもあるらしく近くで見るので大きい。全て黄金色に光っている。
コインのようなものを買い。お皿に入れていく。お参りの方法らしい。
釈迦の指は親指以外、同じ長さだと聞いた。実際にもそのように出来ている。
1788年ラマ1世により建立されたらしい。歴史・規模ともにバンコク一としょうされているらしい。
タイシルクの専門店に行ったが、私は興味がなかったので待合席に座って待っていた。
女房たち女性軍は少し見ていたがすぐに戻って来た。ツアーの宿命とあきらめていた。
昼食は、飲茶の食べ放題ということで言ったが、暗い中華料理のお店に行き、6人でテーブルを囲んで食べた。
食べ放題といっても出された食事で一杯になった。何しろ暑いのでまずはビールで乾杯ということになる。
免税品店に連れて行かれた。大きなデパートの一角にある店。
なんとなく怪しげな雰囲気がする。結構高そうである。買い物をしないので時間を決めて外に出ることにした。
大きなデパートなので、暑さを避けて多くの人が来ている。
川を隔てたところにマーケットがあるので、そちらに買い物に行くことにした。
橋には子供やおとなの乞食がお金をせびっていたが、誰も振り向いてはいなかった。
猛暑の中マーケットで、女性軍は必死になって買い物をする。
値切るだけ値切って買っても、まだ現地の人からみたら高いようだが、やはり妥協してしまう。
衣類を数枚買って急いで集合場所に行く。
デパートの前では、大きな祭段があり多くの人が、頭を床にこすり付けるようにしてお参りをしている。
途中で、別のグループの女性二人がツアーから置いてきぼりを食らっていたのを、
同じJTBのモシェさんがロビーで見つけてしばらく一緒に行動することになった。
ひとりが腹痛を起こし病院へ行って、集合場所に戻るときに悪質なタクシーにだまされて連れまわされてぼったくられたらしい。
おかげで待ち合わせ場所に時間が間に合わなくなり、うろうろしているところをマシェさんが見つけたらしい。
おかげでおまけのお寺参りをすることになった。
街中で見つかった黄金の仏像を見ることが出来た。本来盗難にあうところを、全身漆喰で覆いがしてあったために盗難を免れたらしい。
国境紛争が多く戦利品として破壊盗難が多かったらしい。ワット・トライミット(黄金仏寺院)
前日のタイ式マッサージが気に入ったらしく、娘が是非ということなのでみんなで行くことにした。
6名で2時間あまり、今度は全身なので上の階に行き、6帖の間にマットをびっしり引いて一斉に行なわれた。
時々悲鳴が上がったが、昨夜ほどの効果は感じられなかった。一人3000円で2時間。チップは、100バーツだった。
夜は、コカレストランでタイスキ(タイ風しゃぶしゃぶ)を食べた。
その後、ライトアップ見学と言うことで王宮・エメラルド寺院や暁の寺を対岸から見た。
今回一緒だった関西なまりのカップルは帰ってしまうので、われわれは行きたかったナイトバザールの場所に下ろしてもらうことにした。
私たちは、ルンビニ公園の横のナイトバザールへ行った。
夜遅くまでやっているが、方向も治安も判らないので、早めに帰ることにした。出口と方向を聞いておいたが、出口を間違えてしまい不安なまま40分以上歩くことになった。
間違えていたら戻らなければならないことと、女性3人を安全に帰さなければならないプレッシャで、つい歩くスピードが早くなる。
信号を2つ行った所の先にホテルはあると聞いていた。最初の信号がなかなか見えない。
20分以上はあるいたかと思われるところで、最初の信号に出くわした。
次の信号は見えたので、ほっとして行くが、全く見覚えがない。
仕方ないので、警備員に聞くと間違いなくこの道にあるからといわれたので信じて行くしかない。
途中は、かなり暗い道、いかがわしいバーなどがあり不安一杯だった。
3つ目の信号の手前で、再び警備員に聞くと、その先だと教えてくれた。少し歩くと信号の場所に着いた。
5月6日(金)
6時起床。7時朝食。
7時30分には出発ということになった。
1日かけてカンチャブリ観光である。
戦場に架ける橋で有名になった、クワイ川を目指す。
バスで片道3時間である。タイの人は、最近郊外に一軒家を建てて住む傾向が多くなったらしい。
1000万から1500万くらいで土地と家が建つらしい。
本日のガイドは、モシェさんの先輩の女性。日本語もマシェさんよりうまいと聞いていたが、モシェさんの方が理解しやすかった。
郊外に向かうほどに田園風景が続いた。気温は、バンコクよりも2度3度高いらしい。
途中トイレ休憩で外に出たが、焼けるような暑さが襲ってくる。
玄関先や庭には、日本の仏壇替わりような感字で、大抵の家や店そして会社に露天の仏壇(お堂の外がない)がある。
向かう方向にについて聞くと、正面は占い師が決めるらしい
そして、白系茶系の2種類が多いが、これも好みらしい。大小さまざまだった。
3時間かけてカンチャブリの街についた。高い建物はない。
連合軍墓地と中国系の墓地が並んで広いスペースをとっていた。
まず、戦争博物館へ行った。
短期間で鉄道を400km以上作るという難関工事を捕虜にさせたために、多くの死者を出した歴史がある。
加害者の立場で博物館を見なければならない。このような経験ははじめてであるので、神妙な気持になった。
周りには外国の人も多くいた。ターキリー駅から鉄道に乗って1時間半ばかりミャンマーに向かってクワイ川鉄道(旧泰緬鉄道)を走る。
駅で待っている間に、記念写真を撮る。地元の家族がにこにこしながら写真撮影に応じてくれる。
どこも万国共通だ。1歳と4ヶ月と言っていた。きれいな目をしている。
出発してすぐにクワイ川にかかる鉄橋を渡った。観光客が鉄橋の避難所にいて写真を撮っていた。白人が多い。
他は相変わらずどこの国籍か判らないアジア人。高原を走るような列車だった。
赤茶けた大地に畑が広がる。遠くに山が見える。列車が近づくと、花びらのように黄色い蝶が飛び立ち美しい。
子供も手を振っている。急に山あいに入った、崖の横を窮屈そうに列車が走る。
みんなが一斉に窓から顔を出して写真を撮り始めた。この場所も多くの人がなくなった場所なのだろう、木で組んだ橋が続く。
タムカセ駅で下車して汽車とはお別れ。多くの観光客は乗ったままなので、もっとミャンマーの近くまで行くのだろう。
ここから150kmくらいあると聞いている。
ここでタイ料理(バイキング)の昼食をとる。日陰と川のそばなのでそれほど暑さは感じない。料理もおいしい。
早めに食べて、線路伝いに戻ると、洞窟があり大きな黄金の仏像が安置していた。慰霊の塔なのだろう。
橋のそばで記念写真を撮る人も多い。
ここからはバスに乗り換え、カンチャブリの街を目指した。近道なのか1時間余りで到着した。
まず、連合軍墓地にお参りした。その後鉄橋のそばに行き、日本人慰霊塔にお参りした。
線香をささげ賽銭を入れてお参りした。
10名以上のグループになっていたが、若い20代の人が多かった。男女のカップル・女性2人といった組み合わせだ。
そして、鉄橋に行き30分程度の自由時間があり、橋の向こうまで行って写真を撮った、たくさんの人が渡っていた。
しかし、ものすごい暑さだ。帰っていると汽車が来たので、避難所に行き鉄橋の上から汽車の通過を見ることが出来た。
その後、有料のトイレを済ませてまた、バスに乗ってバンコクに向かった。3時間の旅だ。
渋滞がひどく何時に到着かは皆目見当がつかない。渋滞さえなければ、バンコクは住みやすいということだ。
街中に入ってきた、だいぶ土地勘がついてきた。
マッサージの店の位置関係がわかった。
結局、夕食はマッサージの店から100mくらいしか離れていない場所で海鮮料理を食べた。
ここもツアー客しか来ないような閉鎖的な店だった。
街中にあるオープンカフェのような店で食べてみたかったが、今回は一度もなかった。
料理は美味しかったが、スタッフが多く落ち着かない店だ。
急いで出なくてはならないような雰囲気だったが、時間をたっぷりとっていたので長居をしてしまった。
その後は、モシェさんも同行して、前日のナイトバザールへ行った。
女性軍がゆっくり買い物をしたいというので、付き合うことになった。
私は別行動をしようとマシェさんをコーヒーに誘ったが、まじめな彼は用事を作って出て行ったきり帰ってこなかった。
しばらく居たが、戻ってきそうもないので、出てマーケットを歩き車を駐車している場所を探した。
なかなか見つからなかったが、何とか見つけて待っていると加恵ちゃんがまず戻って来た。
しばらくするとマシェさんが私がカフェに居なかったと戻ってきた。
そして時間過ぎに、二人が戻って来た。
急いで、荷物を預けているホテルに戻り一人便乗して空港に向かった。
渋滞も多少解消はしていたが30分くらいかかって空港に到着した。
途中のバスの中でモシェさんがさびしそうに切れない会話を続けていた。
日本に行きたいことや、子供も話などが多かった。
娘が外国の人に日本語を教える仕事をしたいと言ったら、タイに来なさい、学校を紹介するからと言ってくれていました。
空港ではみんなで記念写真を撮った。
彼は明日からまた、新しいツアー客の世話をすると言っていた。
若いうちに働いておきたいと言っていた。
不況でリストラで保険会社を首になったらしい。
希望退社を募り一定の退職金が支払われるが、再就職の道がないのでみんな希望退職者がいなくその場合は、くじ引きになるらしい。
その時は退職金は支払われないとのこと、それでも会社をうらむ人はいないとのこと。
タイの人は、往々にしてだいじょうだいじょうぶという習慣があるとのこと。お
店に行っても、店員さんは商品がなくても平気でだいじょぶというらしい。
タイ航空622便は時間通り23時59分出発した。時差を考えると5時間30分のフライトになる。
狭し座席なので、眠ることにした。深夜の搭乗なのですぐに寝入った。
5月7日(土)
途中、ドリンクや食事も出たが知らないくらいに熟睡した。
午前7時30分あっという間に関空に着いた。入国手続きもあっけないほどに簡単に終了した。
リュック一つなので、調べようもなかったのだろう。新大阪から亜子ちゃんとは別れてて、広島に向かった。
11時過ぎには広島に着いた。
仏教の国
(不思議な心を持った国でした。そして、戦場に架ける橋(クワイ川)での加害者国の人間として、立った場所)
ワット・マハタ−ト(アユタヤ)
アユタヤで一番古い形式の仏塔。ビルマ軍によって破壊されたが、
その面影が頭部だけが切り取られ、菩提樹の根に取り込まれてしまった仏像を見ることができる。
タイにて撮影 2005.5.5
。
1枚の証書をもらいました。
初めて加害者という立場で現地へ行き、多くの外国の方と一緒に施設を見ました。
帰って、早速ウイリアムホールデンが出演している「戦場に架ける橋」を見ました。
シベリア抑留の話をテレビで見ました。