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明光寺

木造地蔵菩薩立像
その姿は一般に、菩薩としては異例の僧形で、右手に錫杖、左手には願いを叶えてくれる如意宝珠を持ちます。
錫杖を持っているのは、常に行脚しながら救済活動を行っているからだと言います。
 「お地蔵さん」と人々に親しまれ、道端などの身近な場所に置かれることも多い菩薩です。
さて、ここに紹介する像は、広島市ではあまり例のない等身大の木彫像で、よく見かける小柄な童顔の像とは趣が異なり、たくましい体格をしています。



明光寺薬師堂
木造薬師如来坐像を安置する明光寺薬師堂は、過去に度々氾濫をくり返した三篠川の河岸に建っています。
この薬師堂は、経年の傷みが激しかったため平成
5年に保存修理がおこなわれました。
この時の調査において、須弥壇(仏壇などを安置する壇)の下に墨書が見つかり、建物の創建が天文
8年(1539)であることが判明しました。

概要:桁行8.23m、梁間8.23m、二重、入母屋造、銅板葺
 木造薬師如来坐像を安置する明光寺薬師堂は、過去に度々氾濫をくり返した三篠川の河岸に建っています。
この薬師堂は、経年の傷みが激しかったため平成
5年に保存修理がおこなわれました。
この時の調査において、須弥壇(仏壇などを安置する壇)の下に墨書が見つかり、
建物の創建が天文
8年(1539)であることが判明しました。
さらに、今日に至るまでに、宝暦
13年(1763)と文政6年(1823)の2度にわたって大きな修理が実施されたことが、
同じく墨書により明らかになりました。

 このように、長い年月を経た建物は幾度かの修理を受けていますが、その時に改造を受ける実例も少なくありません。
この薬師堂の場合も、上層茅葺、下層柿(檜などを薄く剥いだ板)葺であったものが、上下層とも瓦葺きに改められていました。
そして、正面入口が本格的な禅宗様の扉から一般的な板の扉に、また両脇の入り口の位置も改められていました。
その上、間柱(柱と柱の間に補足して立てる部材)も追加されていました。

 この宝暦と文政年間に行われた改造により、外観は江戸時代の建物の雰囲気をかもしだしていましたが、
平成
5年の修理では可能な限り創建された時代である室町時代の姿に復元されました。
地元の人々に親しまれ、度々の修理の手を加えられながら今日まで守り伝えられてきた薬師堂は、
平成の大修理を経て今後も市域における数少ない室町時代の建物として、後世へと継承されていくことでしょう。





 





  

    
  

  



   



   

 












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