BACK


第一章 イタリア編 前半




広島駅にて 10月4日

日本時間 10月5日

6時過ぎに娘夫婦の自宅を集発して成田に向かった。
昨年、スペイン巡礼に向かったように武蔵小杉まで行く。一駅の私鉄を使い武蔵小杉に着いた。
昨年と違うのは女房が同伴していること。そして、足に激痛が無いことだった。
荷物は、昨年に比べると3倍くらいはあるだろうか。肩に食い込む。
バックパッカーで行くことにしたので、普通の旅のようなコロコロのバックではない。
女房も慣れないリュックを担いで行く。
武蔵小杉では、最初の難関。駅の構内を500m歩かねばならない。
気がつくと女房が不機嫌な顔でついて来ている。
もっとゆっくり歩けと言う。最大限にスピードダウンしているが、それでもまだ早いという。
先が思いやられる。

女房は、時間に対して考え方が私と違うので、遅れる可能性があるので、すべて余裕を持たせた。
武蔵小杉では、余裕がありすぎ50分くらい駅のホームで待つことになる。

成田エキスプレスに乗り、出発。座席していなのでのんびり向かって行ける。
空港でするべき事をチェックする。
飛行機の滞在時間を考えると、出来るだけ運動をしておきたい。

スカンジナ航空を使うので、トランジットはコペンハーゲン。
女房用の携帯電話の借り、最後の日本食はざるそばを食べた。
無事に帰国したら、ここで食べようと約束。
少しの買い物をして搭乗した。
席は4席の真ん中。一番悪い席だった。
トイレに行くにも、一人の人の前を通過しないと通路に出られない。
安い料金なので仕方ないかとあきらめる。
しかし、通路側の席にはだれも来なかった。おかげで出入りでは不自由をしなかった。
飛行機の中は、恐ろしいほど寒かった。
12時間。座席に座りっぱなしはストレスがたまる。

SAS Scandinavian Airline SK 984 Class T 37-GATE 24DE
  05OCT 1140 DEPNew Tokyo International AirportNRT
  05OCT 16:50  ARR Copenhargen  CPH

SAS Scandinavian Airline SK 1689  Class T 19FD
 05OCT 20:55  DEP Copenhargen  CPH
 05OCT 23:00  ARR Milan Rina-te  LIN


   10月5日(水)arrived in Milano 23:00)(hotel stay AL RONCACCIO

 アルドが空港まで迎えに来てくれていて、30キロ離れたメラーテのホテルに車で向かう

コペンハーゲンで4時間のトランジット。
びっくりしたのは、空港の案内看板に日本が多いということだ。
この調子であるように願った。

出発前に、
本来はイタリア語・スペイン語・フランス語・英語の勉強をするべきではあったが、
とても無理とあきらめた。
英語については本当に単語が言える程度の語学力。
各地の名所旧跡も調べていない。
飛行機の中で見れば良いかと、必要と思われる部分のページを破って持って来た。
荷物の重量を軽減するためだ。
それでも3カ国分は、バックパッカーとしては重い資料である。

コペンハーゲンで入国手続きをした。
ユーロ圏ではないが、今ヨーロッパに行く場合は、最初の寄港地で入国手続きをすると、
あとは国内扱いになるので、一度の手続きで済む。
手続きは簡単に終了した。




4時間ばかり乗り継ぎ時間があるので、空港内で食事をすることにした。
ユーロは使えるが、釣り銭はデンマークのコインで戻って来た。他では使えない。



サンドイッチとビールを頼んだが、歯の立たないような堅いパンにハムが挟んであった。

決してうまくないが600円くらいする。

ミラノに向かう飛行機に乗り継ぐ。客の顔がいきなりイタリア人になった。
日本人はいない。
ビジネス感覚の客ばかりに見える。飛行時間は2時間弱。すぐにミラノに着いた。
23時、深夜である。ミラノ中心部から5kmほどにあるリナーテ空港に着いた。
荷物を受け取りロビーに出ると、アルドと友人が待っていた。
空港は大きくないので、すぐに分かった。1年半ぶりの再会。懐かしかった。
全然変わっていない。

言葉はうまく通じないが女房を紹介。
駐車場に向かった。二人の荷物がリュックだけなのに驚いていた。
40分ばかり走り、メラーテのホテルに着いた。
深夜でよくわかないが森の中にある家だった。ホテルというよりも民家だった。
広い芝生の庭があり素敵な雰囲気。一人の女性(
Wilmaウィウマ)が迎えてくれた。
アルド達は、明朝迎えに来るからと言って帰って行った。
部屋には、テレビもなくベッドと鏡だけしかないが部屋の雰囲気は大変気にいった。
ベンガラ色の壁にアンテーィークな家具。
隣の部屋には、シャワー・トイレ・洗面台がある。
一泊50ユーロ。
日本と違って、人数ではなく部屋貸しなので、二人で50ユーロ。
朝食付き。


10月6日(木)Milano  hotel stay AL RONCACCIO
メラーテ(METATE)観光、巡礼仲間と再会。ベルガモ(BERGAMO)見学。歩いて下町から城壁の町に向かう。

メラーテ(Merate)は、人口14,359人のイタリア共和国ロンバルディア州レッコ県コムーネの一つである。

ベルガモ(Bergamo)は、イタリア共和国ロンバルディア州ベルガモ県コムーネの一つで、ベルガモ県の県都
人口117,032人(2008年)
。ベルガモは旧市街のチッタ・アルタと呼ばれるベルガモ・アルタと、
FSの駅がある新市街のチッタ・バッサと呼ばれるベルガモ・バッサとに分けることができる。

朝、6時過ぎに起きたが、真っ暗7時くらいになると少し明るくなる。


外に出て見ると、朝焼けが真っ赤になり美しい。庭には日本でも見られる木々が多い。
もみじもある、アジサイの花が咲いている。ハーブも植えてある。


  

朝食は、手製のパンとアップルが2種類あった。ジュース・コーヒーもある。
コーヒーは、日本の抹茶茶わんと同じ大きさ。
なみなみとコーヒーとミルクを入れて飲む。


 

このホテルは、プライベートホテルだという。
一般の民家が、空いている部屋をホテルとして提供しているらしい。
リビングには家族がテレビを見ている。
迎えてくれた女性(
Wilmaウィウマ)は、離婚をして一人、
娘(パオラ)夫婦と孫(リンダ)が同居しているようだ。
他にレストランのシェフや男性が宿泊していた。みんな朝食をとったら出勤して行った。
下宿のような感覚。
離婚した旦那がプレゼントしてくれた犬がいた。名前はバレンチーナ。ブルドッグの種類。




いかつい顔をしているが、人なつっこい。
11時アルドガ迎えに来てくれた。
出発して、その足で、メラーテに住んでいる巡礼仲間の女性ミレーナ(
MILENA)に会いに行く。
5分程度で到着。
ご主人のフランコにも会った。
FACEBOOKで見つけたので連絡をしておいた。
犬の写真をタイトルにしていたので、最初誰か分からなかったが、
まさしく昨年一緒に歩いた女性だった。
物静かな知的な人そのものだった。年齢は同じくらい。
家には写真のように犬がたくさんいた。黒い色のゾイ、茶色のアルバ。その子供たち。




話しに夢中になっていたら、二匹が脱走してしまった。
大騒ぎになり、みんなで探しに行った。近くの川に行ったらしい。
フランコが追いかけて行き、15分くらして連れて帰って来た。
それからアルド・ミレーネの4人で車に乗って、近所の大きな橋を見学に行った。
87mの高さがある。
ダビンチの設計と説明を受けた。
巡礼仲間なので、歩くことは苦にならないらしく、どんどん橋の下まで歩いて下った。
川の近くには、ちゃんと駐車場もあり、車は駐車してあったが、歩くことに意義があるようだ。
女房が驚いていた。




その後、このようなことが各地でおきるが想像はしていなかった。
河は増水をして満水状態、大きな魚もいた。

ヨーロッパは自転車愛好者が多く、整備も十分してある。
歩きながら、この道でミラノまで自転車で行けると自慢をしていた。
もちろん歩いて行ける。
橋の下に行くと、アルドガ、毎年、橋の上からダイビングをする人がいると言ったので
、競技があるのかと聞くと自殺者だという。
橋の下には慰霊碑があった。
アルドにあの高さから落下したら、意識はどこまであるのだろうかと聞くと、
私は飛んだことがないので分からないと言った。
それはそうだ。

また、登って駐車場に戻り今度は川を渡る船を見に行った。
看板には「
divito di balneazione」と書いてあった。



小学生が遠足に来ていた。日本人の私たちを興味ぶかげに見ていた。
ダビンチの設計だそうで、アルドは是非見せたかったようだ。
ここで、巡礼仲間の別の女性リタに再開した。わざわざ会いに来てくれた。
アルドはクレイジーリタと呼んでいたので、ちょっと変わったキャラクターなのだろう。
言葉がわからいので、そんな風には見えなかった。
イタリアでの挨拶はハグとキスなので面喰うが、普通にみんな行っている。
私たちにもしてくれたが違和感が大いにあった。




久しぶりに会った巡礼ミラノ仲間 
アルド・リタ
タカオ・ミレーナ・キヨエ


リタは、記念写真をとり、他に移動することになったら、そのまま帰って行った。



その後車で移動して教会に行った。
かなりの石段のある教会で、最初、道のそばにある
BARに立ち寄るのかと思っていたら
、石段を登りだした。汗が噴き出る。


  

 

彼らはタフだ。
石段の途中には大きな像があった。この教会に功績のあった人なのだろう。聞かなかった。
途中に庭があり、宗教的な意味のある場所のように感じた。
数百段を登るとパステル調の教会があった。
BASILIVA MINOREという文字があった。教会の名前かもしれない。
ここにも駐車場はあった。そして帰るときは、この教会の後ろの道を通過した。
とにかく歩くのは苦にしない人たちだ。

その足で、アルドの自宅訪問。集合住宅の中に家はあった。

(娘さんと)

リトグラフデザインをしていたというだけあって、こじんまりした家ではあるが、
部屋はアーティストらしい調度品である。
奥さんにも会った。名前はパテリシア。
写真を事前に見ていたのですぐに分かった。
パッケージデザインの仕事をしていたらしい。人のよさそうな感じの方。
昼食を用意してくれていた。
アルドは自作の料理とチーズをそしてワインを飲ませてくれた。


                    このオリーブオイルが美味しい。



だいぶ食べて撮影



 

チーズが苦手な私も、これは美味しく食べられた。
食事もすみ、しばらく歓談をしたが、
まだ時間があるので、30km離れたベルガモに行かないかと言われた。
名前だけは聞いたことがあるが、どんな場所かは全く知らなかった。
ミレーナを自宅に送り、3人で出発した。
ベルガモは古い城壁国家だったようで、
ダウンタウンとアップタウンがあるとかたことの英語でアルドが説明をしてくれた。
町に入ると、確かに山の上に町がある。
全く別世界という風情だった。
車で行くのかと思っていたら、ダウンタウンで駐車場を探し、なんとか路上駐車をした。
ここから歩いて登ると言う。
標高は100m以上有ると思われる。女房も大丈夫だと言うので登り始めた。
巡礼で出会った仲間だから、歩くことは苦にならない。逆に歩くことが楽しいようだ。
急こう配の道を上がって行く。一気にという感じだ。
戦争中は簡単な道で攻め込まれては困るだろうから、当然と言えば当然。
30分弱で登りきると、城壁に囲まれた町があった。
ネパールのポカラで登山をしたことを思い出した。
上の町には駐車場もあり、車もたくさん走っている。
なんで歩いてという気持ちがよぎる。
トイレに行きたくなったので公衆トイレを探し、お金を払って使った。
入り口には係りの人がいた。町の中を散策することにして歩く。


  

 

 





広場には立派なサンタ・マリア・マッジョーレ教会・コッレオーニ礼拝堂があった。
太陽の動きを記録したモニュメントがあった。
アルドが説明をしてくれたが、よく分からなかったが、
想像するに一直線上に月日が書いてあるので、
多分太陽の位置が季節によって高くなった低くなることを記録したものだと思った。
帰りも当然歩いて下った。
アルドの家に戻り食事をした。ピザを焼いていてくれた。
自家製のビールと一緒に食べた。アルド自慢のピザ。

 

性が料理をすることが多いのには驚いた。
9時過ぎにホテルに戻った。
洗濯物がたまっていたので、シャワーを浴びながら洗濯をして、
シャワールームに干しておいた。



10月7日(金) 
Milano  hotel stay AL RONCACCIO 30キロ北にある湖に向かう。スイス国境付近。

10時前、アルドが迎えに来てくれた。
8時に起床して朝食を食べた。ミルクとパン、そしてジュースとパイ。どれもおいしい。
ママや娘、孫も起きて来て話しをする。昨夜洗濯をしたものを、外の物干し台にかけておいた。

ミレーナを迎えに行きイタリア北部のコモ湖に行くことになった。
地図を見るとスイス国境に近い。スイスで散々調べた、
BELLINZONAが近いことが分かった。



車で北上をする。正面には高い山がそびえている。レゼゴーネという名前だそうだ。
神々しい。
レゼゴーネを右に見ながら、町をいくつか抜けて行くと、
右へ曲がり、湖の右側を北上して行った。大きな湖だ。
レコ(LECCO)を抜けて30分ほど走ると、ヴァレンナ(VARENNA)の町に着いた。
細い道に駐車をして下車するように言われた。
下車をして進行方向にしばらく歩いて行くと街並みが現れた。




湖のそばに降りて10分ぐら歩いて行くと、船の停泊所が見えてきた。
対岸のベッラージョ(
BELLAGIO)に渡ると言う。
その向こうには、ジョージ・クルーニーの別荘があると言っていた。よく見えない。
それよりも、ここまで来ると山々は高くそびえスイスに近い事を感じさせられる。
空気も寒い、防寒服が欲しくなる気温だ。
フェリーに乗って30分ほど走ると、半島の先端にある町ヴァレンナ(
VARENNA)に着いた。

 






 


 

 

 



 

船からも写真をどんどん撮る。絵になる景色だ。
接岸してから、船を下りて見ると観光地だ。
大勢の観光客がいる。テラスに座っている人も多い。
少々の寒さは気にならないようだ。
町をぶらぶらしながら歩く。
坂の上から結婚式の格好をしたカップルがおりて来た。
結婚式が終わったのか、今から始まるのかは分からない。





 

坂に沿って登ってみる。
狭い道の両サイドには、いろいろなお店が立ち並ぶ、
お土産屋。ギャラリー、レストランなど観光地らしい通りだ。
坂を登りきると
T字路になっている。
右に登って行くとすぐに店が途切れた。
左に戻り下って行くと教会があった。入ってみた。


 

 

教会は基本的には入場料はない。
撮影は禁止しているところもあるが、
フラッシュを使わなければ結構自由に撮影をすることができる。
この教会もフラッシュなしで数枚撮る。作られた時代で様式が違うようなのでまずは撮る。
暗いのでなかなか撮影は難しい。ぶれないように気を引き締めて撮る。
教会を出て少し下ったが昼食をすることになり
T字路まで戻りレストランに入った。
店は満席だったが、6名が座れる場所を確保することが出来た。
メニューを見ても分からないので、アルドにまかせた。
チキンか魚かと聞かれたので、二人でチキンを頼んだ。前菜でお腹がいっぱいになった。
次に出て来た料理を見て、女房と二人でため息が出た。
鳥足が2本とジャガイモなどが盛りだくさんの二皿出てきた。
見ただけで、お腹がはちきれそう。
ため息が出た。
なんとかチャレンジしようとしたが、一口食べただけでギブアップ。
女房も同様。他の人を見ると、チーズとか少量の料理を食べている。
アルドが気を使ってくれたとしか思えなかった。
店の人にもお詫びを言って皿を下げてもらった。



店を出てから坂を下り海岸線の道に出た。ここから来た道とは反対の右に進路をとった。
島の岬に行くようだ。10分くらい歩くと、展望が開けた。
レストランが1件と、緑の芝が美しい公園。
その先には堤防があった。
堤防の先は、島の崎でもあるので風が強い。
すぐに引き返して公園に行った。
湖の中に竹のような植物があった。
笹を束ねて水の中に刺したような風景。



そうだ、ここは淡水なんだと実感した。
ベンチでは若いカップルが熱い抱擁をしていた。
望遠レンズで1枚パチリ。




町に引き返した。



風が強くなり、帰りのフェリーが出航するか微妙な様子だった。
その間に、近くの屋台の店に行って女房のアクセサリーを買った。
フェリーはなんとか出航した。さすがに手なれた運転で接岸してきた。
台風並みの風だった。






また、30分くらいかけて戻った。
ここからまた、街並みを抜けて車を止めている場所まで15分くらいかけて戻った。
この街も古いようで、狭い道を歩こうとタイムスリップしそうだった。


 

湖には何隻かのボートが転覆していた。駐車場に戻りメラーテへ戻る。
同じ道を帰るが、行きと帰りでは景色がずいぶん違って見えた。
車で走っていると気がつくことがある。
十字路の車の走り方が違う。日本のように信号はほとんどない。
道の真ん中に円形のゾーンがあり、
その周りを右回りに回ってお互いがぶつからないように通行している。
車線が左右反対なので、ぶつかる恐怖に襲われる。
どのようなルールで走っているのか理解しようとするが難しい。
どうも左側から来る車が優先のようだ。とても怖くいて運転が出来そうもない。
1時間ばかりかけてメラーテに戻って来た。
アルドは途中、牧場に立ち寄って牛乳を買っていた。
牛や昔の酪農の道具を見せてもらった。




 



それからミレーネを送ってからアルドの娘さんの家を訪問したが、不在。
近所のスーパーに子供たちと行っていると知り、行くことになった。
10分ばかり走り大型スーパーに行った。
35000人くらいの人口に、
この大きさのスーパーが2件と小型のスーパーが5件くらい有ると聞いた。
車社会なので駐車場は広い。
中に入ると、みなさんものすごい量の買い物をしている。
1週間分なのかそれ以上なのかは分からない。
アルドの娘家族3人にはレジを出たところで出会った。
かわいい男の子だった。照れ臭そうにしていた。
夜に来るようなことを言っていたので、写真を撮らなかった。
すぐに2階の駐車場に向かって行ったので、私たちは、平地の駐車場に戻り出発した。
駐車場から見える山の上の教会に行ってみたいかと聞かれたので、
今日は夕焼けが綺麗そうなので行きたいと言うと、
奥さんを自宅近くまで送り行くことになった。
10分少々で上の駐車場に着いた。
アルドはモンテレキア城と言っていた。
ここは危険なので荷物は、トランクに隠すように言われた。
必要な荷物とダウンジャケットを持って歩いて登ることになった。
10分くらい歩くと、石段がありそこを登り切ると教会があった。



 



アルドにとっては大切な教会のようだった。
中には入ることが出来ない。




夕焼けも木々が邪魔してうまく撮れない。別の場所に移動することになった。
駐車場に戻り、もっと西側の展望の良い場所に行った。
すでにカメラを構えた人が数人いた。
三脚をセットしている若者もいた。
アルドが若者に話しかけた。キャノンを持っていた。



うまく写真が撮れないと嘆いていたので、夕焼けの撮り方を教えてあげた。
調整をしたカメラで撮った彼は、出てくる画像を見て声をあげて感動していた。
「ワオー」の連発だった。
自分が撮っているのが信じられないようだった。
最初はごつごつした山を撮っていたが、反対側の夕焼けが美しくなると言うと、
場所を移動してきて写真を撮りながら感動の声をあげていた。
かなり寒くなって来た。





夕焼けはものすごく美しく圧巻だった。
長い時間夕焼けが見られるのは緯度のせいかもしれない。



広島の倍以上は時間がかかる。ピークを過ぎたので帰ることにした。
若者は、握手をしに来て感謝の言葉を言ってくれた。
急いでアルドの自宅へ戻った。
夕食は満腹なので、少しで良いからと言っておいたので簡単にしてくれた。
ライスにオリーブオイルと粉チーズをかけ。
アルドの手作りのワインを飲ませてくれた。
虫が飛んでいると、テニスラケットのようなものを出して来て、
電池を入れ、虫をそのラケットではたくと、バチと音がして虫は死んだ。
韓国製だそうで、日本でも探してみようと写真を1枚撮った。



遅くなったのでホテルに送ってもらった。すでに玄関は閉まっている。
裏口のかぎを借りていたので簡単に部屋に戻ることが出来た。
洗濯ものもなんとか乾いていた。