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第3章 スイス編



10月12日(水)Departure Barcelona 8:20) (aircraft arrived in Geneva 10:00 Go to Monterey hotel stay
  Barcelona(Terminal 2) to Geneve Flight 1400  EZY1400 2223
   
Check in opens 12 October 2011 0620 closes 7:40
  Geneve(11:27)・・・Monterey(12:39)


ジャンがモントレー駅で迎えてくれた。妻のテレーザと一緒にホテルに荷物を置き、城の見学そして夕食 


5時起床、820分の飛行機に乗るために、準備をして6時に急いでリュックを担いで出発。
チェックアウトをした。セイフティ
BOXの預かり金30ユーロが戻って来た。
そういうわけかと納得。
外に出るとまだあたりは暗い。人影も少なく危険かもしれないので急いで、人がいる道を選んでメトロに向かう。
メトロに入るとホームには
3人くらいの人が待っていた。
泣き声がするので見ると、女性がベンチに伏せて泣いている。メトロのスタッフらしい女性がそばに立っていた。
なにがあったかは分からないが、
2名の男女のスタッフが上に連れて行った。
メトロは、数分のおきではなく
15分おきだった。
空港まで
1時間弱と計算していたが、大幅に予定が狂いそうだ。サンツ駅までは10分弱で到着。
チケット売り場で空港までのチケットを購入。



ホームに入ったが、列車の発車まで
25分くらいあり待つことになった。
あたりには旅行者らしいバッグを持った人がいたので間違いないとは思ったが、係員に確認。
飛行機のチェックインの締め切りまでに
10分弱あることが分かった。
少し安心したが、約20分で飛行場に行くと閑散として誰もいない。
EJETの搭乗受け付けが分からない。チケットにはAゲートと書いてあるが、見つからない。
慌てて、ロビーにいた人に聞くと、ここではなく、もっと向こうだと言われた。
締めきりが迫る。
女房をせかして急いで別の建物まで歩く。

5
分ほど歩いていたら、EJETのオレンジのマークが見えたので急いで、チケット出した。
荷物は前回のこともあるので、手荷物で一つは持って入り、
1個のみ預けることにしていた。
しかし、ここでもミスが発覚。荷物は0にしていた。
結局、また
30ユーロを支払うことになった。



二人で
70ユーロは安いと思っていたら、荷物分が入って無かっただけだった。
急げと言われ、
2階の搭乗ゲートに向かった。740分のチェックインは過ぎていた。
受付に行くと、急げという合図をしている。とにかく飛行機に飛び込む。危うく乗り遅れるところだった。
820分定刻に飛行機は出発した。1時間30分でスイス ジュネーブ空港に945に着いた。
ロビーに出ると、空気は澄んでいて寒い。
まわりもコートを来ている人が多い。ここからモントレーまで列車に乗って行くことになる。
飛行機では何も出なかったので、空港のレストランで朝食をとることにした。
サンドイッチとコーヒーを頼み。通路にあるテーブルで食べた.




サンドイッチと言っても、硬いパンにハムがはさんでいる程度のもの、温かいコーヒが救い。
ここからは、ユーロではなくスイスフランとなる。20.03フラン。

食事を済ませ、200mほど離れた列車乗り場に行った。広々とした駅だ。
スイスについては、スイスパスを購入していたので、改めてチケットを購入する必要はないが、どの列車に乗ればいいのかが分からない。
ジャンのメールには、直接行く方法と、乗り換えの
2種類あると書いてあるが、地名が分からないのでチケット売り場に行き、
必ず行うように言われていた、手続きをした。
スイスパスとパスポートを見せて印鑑を押してもらう。



1か月の内に3日間のみ乗り放題チケット。
使用する日時を刻印していないと、列車の検札で罰金をとられると注意書きがあった。
ローザンヌからパリなどに行く列車がある。それに乗ると、モントレーには行けない。

BRIG
行きの列車時刻表を見ると、モントレーが書いてあったのでそれに乗ることにした。
急行だった。
1137分発。トイレに行くと、ここは有料だった。
1フランを支払うと、ドアが開くシステム。
時刻表示もゆっくり見ると、ちゃんと行き先も書いてある。
親切になっているが、どうも日本語以外をみるとガードがかかってします。
慣れると、そんなに恐れることもないかと感じた。列車は、綺麗だった。

今回は、奮発して1等車のスイスパスを購入していた。
旅行代理店に申し込んだときに、氷河急行に乗るなら、
2等も1等もあまり変わりないと言われ、言われるままに購入した。
今回の旅の一番苦労した件だった。


当初は、モントレーからイタリアのボロニャまでミラノ経由で、
5時間から6時間かけて行く予定だった。
が、土壇場で女房が、氷河急行に乗りたいと言い出し、大幅に予定を変更した。
自分でチケットなどの予約をしていたので、情報不足。
ボロニャのホテルも予約しているので日程変更は出来ない。
なんとか、その日の内にボロニャに着かなくてはいけない。ネットで調べても情報は入ってこない。
氷河急行は、全行程に乗ると、
830分もかかり、サンモリッツまで行ってしまうので、戻って来るのが大変。
アンデルマットから別の観光列車に乗り換えるとイタリアへ行くことが出来ることが判明。
女房には、
1時間30分の氷河急行乗車で我慢をしてもらうことにした。
ところがアンデルマットから乗り換える路線が交差をしているが、駅が繋がって無いことが判明。



その乗り継ぎをどのようにしたらいいのかが分からない。
ネットで調べても分からない。スイスのジャンに聞いても言葉の障害で分からない。
仕方ないので、ここは旅行代理店に頼むことにして問い合わせをした。
細かな質問をし過ぎて、クレーマーと間違われたのか断られた。
しかし、ローカル列車が
10分程度で繋がっていることが分かった。
とりあえず、バスやタクシーを使わなくても乗り継ぎが可能なことだけは分かった。
仕方ないのでまたネットで検索をしたが分からず。
たまたま弥山で
5年前に偶然会って案内をした女性がフランスで結婚をして、FACEBOOKで交流があったので、
ジャンのフランス語の訳と、乗り継ぎについて相談をしたら。
ブログを紹介してくれた。
それには、私たちの旅の行程と反対のことが書かれていた。
これで一安心。
再度、旅行代理店に連絡をして、スイスパスと氷河急行(
BRIGからANDERMATT)までのチケット。
そして
ANDERMATTから乗り継ぎGOSHENENからBELLINZONAまでのウイリアムエキスプレスの観光列車のチケットを頼んだ。
が回答は、ウイリアムエキスプレスは途中乗車は出来ないとの回答。
ローカル線で
BELLINZONAまで行くことになっていた。
ウイリアムテルエキスプレスが購入できると思い。
BELLINZONAからボロニャまでのチケットを先に頼んでおいたので乗り換えの羽目になった。
ジュネーブからモントレーまでは一等車に乗車。
車両にはほとんど乗客はいない。
貸し切り状態。年配の車掌が来て検札をして行った。
携帯電話でジャンに連絡をする。奥さんのテレーザが出た。
列車の出発時間を伝えると、英語でモントレーの到着時間を教えてくれた。
列車は、レマン湖畔に沿って走る。



右手には太陽の光を反射して眩しいレマン湖が見える。
出発前に、偶然テレビでレマン湖特集を見たので、なんとなく懐かしい気分になる。
のどかな牧歌的な景色が続く。ワインが名産のようで、牛のいる牧草地かブドウ畑が続く。
Nyon(ニオン)Morges(モゴジェ)Lausanne(ローザンヌ)は大きな町で古い街並みが続く。
ここを過ぎると
Vevey(ブベ)を過ぎてモントレーに向かって進む。
急行なので小さな駅には止まらない。
駅には、
1か所くらいしか駅名が書いてないので、見落とさないようにしながら、時間で下車駅を決めることにした。
スイスの列車は時刻表通りと聞いていたから。



モントレーは、モントレージャズフェスティバルで有名なところくらいしか知識が無かった。
グーグルの地図を見てもあまりよく分からなかった。
ジャンの家は、事前にネットで写真を送っていてくれたので想像はできた。
シヨンという古城のそばは分かっていた。モントレーの駅について下車した。
思ったよりも大きな駅だった。ホームにジャンは来ていた。
懐かしい顔を見つけた。ジャンも私の姿を見つけて手を振ってくれた。
私たちが
1等で来るとは想像もしていなかったのだろう、2等車の着く場所にいた。
しっかり握手とハグ。女房を紹介した。
奥さんのテレーザも来ていた。上品な方だった。
言葉は、あまり通じない。ジャンたちの言葉は、フランス語。
私は全く分からない。かたことの英語で話す。

駅を出ると、スペインとは全く違う世界が広がっていた。
車で迎えに来ていた。ワーゲン車だった。
見覚えのあるジャンの家を見ながら、
5分ほど走った町に着いた。
話によるとジャンの家は、今改築中で泊めることが出来ないのでホテルに宿泊をしてくれということだった。
まずチェックインして荷物をおいて
20分後に出発。
ジャンの家からは反対側の方向に向かった。
15分くらい走った場所で車は停車。ここで友人の夫妻と合流した。
6名で昼食をとることになっていた。

 

細かな会話が出来ないので、ジャンの友人で、日本に
30年済んでいたという、
ベルナルド・タニア夫妻に相談をしたごらんと言うことで同席することになった。
日本語がかなり話せる。東京の池袋に住んでいたという。
ホテルに宿泊の件についても説明を受けた。
列車についても聞いた。近所のサンモリッツという町に住んでいると聞いた。
スイスには、有名なサンモリッツとは別にもうひとつ有ることも知った。
サンモリッツは人の名前だそうだ。
美味しいスイス料理を頂き解散。
今度は、シヨン城へ案内された。
ジャンの家から歩いて数分。
目と鼻の先だ。テレーザは自宅に戻って行った。
シヨン城については、全く知識がなかったので訳も分からず案内について行った。



堅固な石作りの城、湖にせり出していた。外から見る以上に、中は細かく分かれて多くの部屋があった。
昔の生活も分かるようにしてあった。地下は、牢獄のような場所。ワイン蔵。




  

  
Jeanと シヨン城へ




 



上に行くと王の謁見の間とか国の紋章が並んだ部屋。結構、天井もこった作りをしていた。
昔は、このような城での攻防戦があったのだろうと想像する。



影絵のような映像が流れていた

  





 

夕方になり、夕焼けと城を撮りたいと、ジャンに話をして待機する。夕焼けが湖に照り返し素晴らしいの一言。
城の背後には、雲がなく夕焼けは撮れなかったが満足をしてジャンの自宅に行った。







ちょっ坂を登ると、ログハウス風の家があった。
中は広く温かな家庭を感じさせる。ジャンは
76歳。
昨年は、巡礼の道で数日間一緒の宿だった。
途中、一緒に歩いた記憶はない。
ブルゴスという大きな町で、ジャンは
2泊したので、そこからは別々になった。
TAKAOとよんで可愛がってくれた。
そして、スイスに遊びに来いと言ってくれた。
狭い家だけど、ゆっくり遊びに来いと言われた。
今回、甘えて来てしまった。
テレーザが夕食を用意していてくれた。窓から見るレマン湖は夕景に染まり美しい。



テレーザの食事はほとんどが手作り。チーズ・ジャム・パンそして、食器も手作り。
お嫁に来る時に作って持って来たものだそうだ。職人技としか言いようがない。

 


二人は、温かく私たちを迎えてくれた。
楽しい時間を過ごしホテルに戻った。少しの洗濯をしてシャワールームに干した。


1013日(木)Monterey  hotel stay 

日本に30年滞在していた友人宅を訪問。古い教会に登る。


6時に起床。一人でシヨン城へ向かった。
歩いて
30分くらい。
まだ、あたりは暗い。人通りもない。少し怖い気持ちはあったが、思い切って出掛けた。
街のパン屋さんが明々と照明をつけて商売を始めていた。美味しそう。
まずは撮影と思い、水辺の道を歩いて向かった。
途中真っ暗な道もあったが、散歩やマラソンをしている人にあったので、安全なのだと安心した。
ジャンの家の下を通った。
すでに部屋の電気はついていた。起きているのだろう、突然の訪問は失礼と思いパスした。
城に着くころには、だいぶ明るくなっていた。城のライトアップも美しい。

 

しばらく場所を変えて撮影をしていたが、
7時半頃ライトアップも終了したので、ホテルにまた、歩いて戻る。
町の桟橋にはカモメがたくさん止まっていた。行くと逃げて行ってしまった。
釣りをしている男性が
2名見える。何が釣れるのだろうかと思いながら、ホテルに戻った。

  

女房はまだ、眠っていた。
8時になると、朝食の時間になるので、下に降りて行くと何組かのお客が朝食をとっていた。
バター、チーズ、ジャム、ヨーグルト、パン、トマトなどはとり放題で食べることが出来るスタイル。コーヒーも出る。



マスターが一人で対応している。
10時にジャンたちが迎えに来た。昨日に会ったベルナルド・タニア夫妻の家を訪ねるということだった。
昨日食事をした方向に向かう。
30分弱で家に着いた。
新興住宅地のようだ。広い敷地に
2階建ての家が点々と建設されている。

 

今も、工事中が多い。家には大きなシェパードがいた。名前はベン。おとなしい。
部屋を見せてもらい話をしていると、サンモリッツの町の由来を話してくれた。
岩壁の途中にある小さな建物。
スイスで一番古い教会があるという。行ってみたいかと言われ、行かないということも言えないので行くことにした。
標高差
5mくらい登る必要がある。靴が登山用ではないのでいくぶん心配したが、行ってみることにした。
登山口まで数分車に乗って行き、そこから石段をどんどん上がって行く。
ベンもついて来て、大喜びで走り回る。
行く途中には、キリストの物語が標識のように飾ってある。
  

  



キリスト教信者にとっては大切なことなのだろう。
私は、
YOUTUBEを見ていたので、概要は理解できた。
どこから登るのかと思うほど、垂直に切り立った崖に細い石段の道があった。
20分くらいで到着。
シンプルな小さな教会だったが、皆さんが大切にしていることがよく分かる。

 

みんなで写真を撮り、教会の中に入り、写真を撮った。マリア像の横には、軍人だったモリッツの像も飾ってあった。

  

モリッツは、ローマ軍に組み込まれた地元の兵隊だったが、同胞を殺戮することを拒否して殺された。
サンモリッツは成人として、サン・モリッツと呼ばれここに教会が作られた。
スイスで一番古い教会と言われている。
 

もうひとつ、観光地である、サンモリッツがある。


不思議な岩があった

それから最初の隠遁者がいた場所に行った。銅像があった。最初の隠遁者
SA.AME(アメ)だそうだ。
この銅像のそばに行くと不思議な感覚にとらわれた。人の気配がする。話しかけてくるような錯覚に襲われた。

 

下りは黙々としていた。間もなく駐車場につき戻った。





タニアは同行しないで、昼食を用意していてくれた。
レタスのサラダミニキュウリとラッキョのピクルス。シャンピニオンのピクルス。ジャガイモをゆでたものが出てきた。
美味しい。その後は、丸いモッツァラチーズを半分にして、切り口を温める、焦がすと言った方が良いのか。
ドロドロに溶かして、削りとり食べる。

  

時間がかかるのでたくさんは一度にできないが、話をしながらみんなで食べるにはちょうどいい。
味は美味しい。
日本人とは違って、ジャッジが必ず必要。言わないと「どうだ?」という質問が入る。
オオバーアクションで「グッド」というと、うれしそうな顔をし、もっと食べろと勧める。
何回か重ねると、お腹がいっぱいになってくる。
2時間ほど歓談をしながら、いろいろなことをした。FACEBOOKの登録の方法やホームページの見方など。



そして、タニアは日本のことを懐かしみ、帰りたいようなことも行った。
子供たちにとって、住んでいる時間を考えると、日本が故郷のようなものだ。
モントレーには、列車とは別にトロリーバスが走っている。私たちも明日、列車に乗ってマッタホーンへ行くことにした。
ホテルの町からモントレーまでバスに乗って行くからというと、ジャンたちは心配をしてくれた。
帰る途中、ホテルのある町で車を降ろされた。ジャンはどこかに行ってしまった。
テレーザがバスに乗ろうと言い出した。バスの乗り方と降りる場所を教えるつもりのようだ。
乗る場所、降り方から降りる駅まで教えてくれた。バスを降りて駅に行くと、ジャンが待っていた。
まるで親が子供に心配をするようなしぐさにただただ、感激するだけだった。

その後、モントレーの背後の山に行こうと連れて行ってくれた。標高
1200mくらいと言っていた。
登って行くと、モントレーという町が観光地であることがよく分かった。
この時期は閑散期なのか、人は多くないがたくさんのホテル群が山の上まで続く。ここからのレマン湖の景色は素敵だ。
だんだん建物が途切れてしばらく走ると大きな建物が現れた。
ホテル養成学校だそうだ。
1500名くらいの生徒がいるという。
しかしスイス人はほとんどいなく、中国人・韓国人など東洋人が大半だそうだ。理由は分からなかった。
ここから山頂までケーブルカーが出ていた。



スイスでは、いたるところに列車やケーブルカー・ロープウェーが通っている。
そこからまだ登って行くと、ジャンたちが持っている別荘があった。

 

 

大きなログハウスだ。
私は、間もなく日没になるので、スイスの山々が夕焼けで赤に染まることを予想して、少し撮影場所を探しに下ってもらった。
三脚もジャンから借りていたので、使って撮影をした。
 


一般的に、カメラマンと一般の人とは撮影ポイントが違うので、困ることがあるが、今回も同様だった。
レンズを望遠に交換して、しばらく撮影をしていた。



眼下にはレマン湖が見える。


撮影終了後、ログハウスに戻ったが、女房達女性群は、中を見たらしく。



さらっと見てから帰ることになった。下りながらレマン湖が赤く染まるのも眺めた。
途中車を止めようかと言ってくれたが。本気で撮ると昨日のように
2時間もかかってしまうのでやめて、1か所だけ車を止めて撮影をした。
欲張らなかった。




夕食は、タニアのところで十分食べたのでいらないと辞退して、7時半くらいにホテルに送ってもらった。

小腹がすいたので8時半くらいになり、二人で町中に出て中華料理店に入り軽い食事をとった。







10月14日(金)Monterey hotel stay電車に乗ってマッターホルンへ行く
  Montreux10:40・・・Vips1152
  Vips12:10)・・・Zermatt13:14)・・・・ケーブルカーで3800mの展望台へ
  Zermatt1713)・・・Vips1822
  Vips1836)・・・Montreux1953



844分の列車に乗る予定で7時に起床。
しかし、天候は曇って今にも雨が降りそうだった。少し遅れて出発することにした。
8時にレストランへ行き朝食を食べた。食事の内容は、前日と同じだった。
毎日が同じメニューのようだ。他にもお客はいた。
今日は、マッターホルンを二人で見に行くことにしている。
列車を乗り継ぎ、
3時間ほどで到着できるはずだ。もたもたしていたので、かなり出発が遅れた。
95分を目標にしていたが、結局、トロリーバスが20分かかるので、105分モントレー発に乗ることにした。
バスは
10分おきに出ていると聞いていた。5のつく分に出るらしい。915分のバスに乗った。



下車場所の名前は、昨日聞いていた(
escaliers de a gare)が、女房が見た名前と、テレーズが言った名前が違っていたので、
念のために乗る時にバスの運転手に、駅で下車したいと言っておいた。
6つくらいバス停を過ぎると駅に着くはずだ。
バスの中にバス停の名前があったので、確認をするとテレーズが書いた名前があったのでそこで下車することにした。
モントレーは大きな町なので、バス停はいくつかあるようだ。駅とは書いていなかった。
バスには学生のような連中が大勢乗っていた。
下車するバス停が来たとき、運転手がバックミラー越しに、合図をしてくれたので、まちがいなしと確信をして下車した。
チケットは、スイスパスで
OKだった。
駅についた。


        

10
5分の出発を掲示板で見たが出ていない。
困っていると、その人も予定していたようだが、時刻表を見せて、季節列車だと教えてくれた。
次は、
1040分。
少し時間があったので、駅のトイレを使おうとレストランへ行ったが、女房は汚くて使えないと出てきた。



スイスパスが使用できるので、
1等車乗り場で待っていた。
ほとんど乗客はいない。また、専用車のようになった。
1等車に乗る人はいないようだ。
旅行代理店の口車に乗ってしまったかと思った。
3日間で、一人6000円くらい高い。
氷河急行の
1等車と指定席料金とを計算したら、ほとんど変わらないという弁で1等車にしたが、尊徳はよく分からない。
しかし、優雅な気分で旅が出来たので、それはまた良かったのではないかと思う。

 



列車は
BRIGに向かうが、一つ手前のVIPSで下車して、ZERMATTに向かう列車に乗り継ぐ。
VIPS 1152 着 1210になる。
少し時間があるので、
VIPSの町を散策する。寒い。ウインドショップをする。


女房は、寒いのでマフラーを買う。ホームも聞いたらすぐに教えてくれたので、迷うことはなかった。
ここから
ZERMATTまで高原列車の風情の列車に乗ってゆっくり高度を上げて行く。

  

 



切り立った山を挟むように、谷を縫って
ZERMATT1314に着いた。
素晴らしい渓谷美だった。標高は
1620m。
2本のスティクを持って歩いている人もちらほら見える。
ZERMATTは観光地として有名のようで、商店街・ホテルが立ち並んだ、花の美しい町だった。
ここでケーブルカーに乗り換えて、13:36発で3000mの展望台を目指す。
ケーブルカーの料金は、往復
39ユーロ。スイスパスのおかげで、半額になっていた。
普通は、
80ユーロ近いことになる。1時間はかかる行程。
途中に駅がいくつもあり、途中で下車する人も多い。歩いて登るようだ。



マッターホーン(
4478m)が見えてきた。
よくテレビなどで見る鋭角の山が、眼前に広がる、ちょうど光線もよく順光になっている。
ガラス越しの撮影は、ガラスが反射してうまく撮れない。
早く、頂上から撮りたいものだとうずうずする。



展望台駅
Gornergrat(標高3089m)に到着。
少し歩いて展望台まで登らねばならない。空気が薄いせいで、息苦しい。頭もぼーとしている。
時間をかけて登る。
5分程度の距離だが、苦しい。
途中展望のよさそうな場所で撮影し、教会に行き、展望台にある大きなビルをかすめて、
頂上に行くと、全方向にアルプスが見える。

大きな氷河も見える。

 


 




 

 

もちろんマッターホーンは目の前にそびえている。
 

 

ここで昼食。持って来たパンと水を飲みながら食べた。
烏が飛んできて催促をするが、手で払って餌はあげない。
展望台には、数名の人がベンチに座って休憩をしている。犬を連れて来ている人もいる。
ヨーロッパでは、犬を列車などの交通機関に乗せても、誰も文句を言わない。
展望台のカフェでコーヒーを飲むことにしたが、トイレに行った女房はいつまでたっても帰ってこない。
土産屋に行っているのだろうと思っていたら案の定だった。
動くと迷子にしてしまうので、じっと待っているしかない。交代で中のカフェにコーヒを買いに行った。
外は寒いので、毛布が置いてあって、みんな勝手に使っていたので、
2枚拝借してかける。
天気はよく、温かいがじっとしていると寒くなって来る。

 

道には雪がつもっているので、寒いのは当たり前だが日当たりの良い場所は予想以上に温かい。
しばらく座って、帰りろうというとお土産を買いたいと言い出した。
約束の時間もあるので早く下山しようと言ったが、
ここでチョコレートのお土産を買わないわけにはいかないと言うことを聞かない。
荷物は出来るだけ旅の後半で買うように言っていたが、仕方ない、女房が自分で持つと言うので妥協した。
チョコレート専門店があったので、ここでお土産のチョコレートをいくつか購入。
スタジオの関係者に
1個づつでも渡せるように数の多いものを購入した。
帰りは少し歩いてみたかったが、氷が凍結しているので、私の靴では無理と判断、ケーブルカーで降りることにした。
帰りのケーブルカーで途中乗り放題の案内があったが、時間的に無理だった。

TERMATT
に到着。1713発に乗ることにして、ZERMATTの商店街を少し登って行った。
はずれからマッターホンが見えると聞いていたので、登って行った。

  


 



女房はショッピングをしたいと言うので
17時に駅の前に集合の約束をして別行動にした。
なんとか
1枚写真を撮りたいと、かなり登ったがどうしても良いポジションがとれない。
そして、マッターホンの少し右に太陽が沈みそうなので、完全逆光の場所まで行きたかったが、
約束の時間まで
5分しかなく、その場所で数枚撮影をして、駅に向かった。
かなりの登ってしまっていたので、
17時に間に合わない。
5分遅れで待ち合わせの場所に到着。女房は他の方を見ている。
こちらをみれば、近道を行けるので、向くのを待ったが、とうとうこちらを向かなかった。
戻って来る方向を見ておけと、むかとして文句を言ったら逆切れをされてしまった。
普段平気で遅れる女房が怒るのも筋違いと憤慨したが、何しろ急いで列車に乗らないと降り遅れる。
ぎりぎりで乗車VIPSへ向かった。
一言も口を聞かない。
写真を撮るのが忙しくこちらも無視した。



1822VIPS到着、1836発に乗り換えてモントレーに向かった。
1953モントレーに到着した。駅にジャンが迎えに来てくれていた。
バスで行く予定だったのでビックリして感謝した。
ジャンの自宅に着いた。
Monte Rosa4600m)は見たかと言われたが、知らなかったといい写真を見せたら、氷河の上の山だった。
マッターホンの方が印象的だったので、つい気にしなかった。
名前は確かに聞いたことがある。
今晩は、マカロニースパゲッティ、ハムのスライスを食べさせてくれた。

  


テレーザの手作り食器



飲み物はビールを準備してくれていた。
テレーザはアルコールを飲まないということだった、ジャンは大好きだと言っていた。
デザートはリンゴだった。



かたことの英語で、楽しく話しをした。
写真をたくさん出して来て見せてくれた。
サンモリッツよりも
BRIGよりの場所にもう一つ別荘を持っていることが分かった。
みんなで家を作っている写真もたくさんあった。

ジャンたちには、孫が
6名くらいいる。
別荘は、子供たちに受け継がれていくと言っていた。
10時過ぎにホテルまでジャンが送ってくれた。


ジャン・テレーザ



以降の写真の続きは未掲載



10月15日 (土)

Monterey departure train)(844, arriving in Bologna2020

stay Savhotel
  Montreux8:44・・・・・Brig1002
  Brig11.18・・・・・・・・Andermatt12:36      Glacier Express氷河急行
  Andermatt1328)・・・・Goshenen1342    
  Goshenen1550)(1350・・・・Bellinzona1653 IR 2275  (14:50時間は不明だが、数分の乗り継ぎで
GOSHENEN
を出発BELLINZONA市内見学 時間30
  Bellinzona1725・・・・・ilanoCentrale(1850 
  MilanoCentrale(1915)・・・・・Bologna2020


844分の列車に乗る予定で6時起床。
朝食が
7時からと聞いていたので間に合うように食堂へ行ったが、誰もいない。
閉まっている。
ベルを鳴らすとマスターが自分の部屋から出てきた。
朝食はまだかと聞くと、今日は土曜日なので
8時からだと言う。
仕方ないので朝食はあきらめ精算をしたいと言うとすでに済んでいると言う。
そういう訳にはいかないので支払うと言ったが、貰っているからの一点張り。
あきらめた。

7時45分、2人が迎えに来てくれた。車でモントレーの駅まで送ってくれた。
本当にやさしいふたりだ。
ベルナルドが前日、わかる時に、二人は天使だと言ったのが心に響く。

昨年、巡礼の旅の時、どれだけジャンと話しをしただろうか、何泊一緒だったかあ?
それも定かではない。
テレーザから聞いたところによると、あのような遠い旅ははじめてだったように言っていた。
ジャンも心細いところがあったのだろうかと思う。
私は、巡礼の旅の途中300kmからスタートしたので、周りはすでに300kmの旅を終え、
旅慣れしていると思っていたので、なんとなく違和感があったことは感じていた。
言葉も通じなく、同行した友人はにはなるべく迷惑をかけないようにと
別行動をとるようにし始めたころにジャンと出会った。
タカオと声をかけてくれたことは、本当にうれしく心強かった。
スイスにおいでとも言ってくれた。到底無理だと思っていたことが実現して再会することが出来、
楽しい時間を過ごしたことは幸せに尽きる。
どんない二人に迷惑をかけたか知れない。

844分の列車に乗るが、まだ時間があるので駅のレストランで飲み物を飲んだ。




ここで、ジャンがお守りにと、十字架のついたペンダントをくれた。
私は、自分がしていたブレスレットを一つづつ二人の手にはめた。
説明はしなかったが、二人の娘が昔、旅の安全を祈願してくらたブレスレットだ。

旅先は食べ物は高いからと、昼食と果物を用意して渡してくれた。
ホームに出ると、有名な列車が停車していたので、記念写真を撮る。

 

二人の年齢からすると、再会することは難しい。
お互いに分かっている分辛い。ジャンとハグをして身体を叩きあう。
テレーズも女房も涙ぐんでいた。
さようなら・・・・ドアが閉まった。

列車は1等なので、ガラガラ専用車。車掌が検札に来たが暇そうだった。
昨日、走ったコースをBRIGに向かって走る。ジャンたちの家が見えた。
そして宿泊していた町の駅を通過、教会が見える。
サンモリッツを通過するときは、崖の教会が見えた。
ジャンたちのもう
1件の別荘がる場所を通過、山を見ながら女房と話をする。



VIPSを通過して間もなくBRIG102に着いた。
大きな駅だった。
交通の要所なのだろう。乗り換えでである。
事前に本で確認をしていたので、乗り換え場所は確認できた。
駅前で焼き栗の店があった。
乗り換え駅といっても、広島で言うと広島駅前の広電のような感じで、特別建物はない。
ここで氷河急行に乗り継ぐが、
1118なので、時間がある。
荷物は重いが担いだまま町中を散策することにした。

 

坂を登って商店街行くと、広場があり大きな建物の前にはカフェテラスがあり、
多くの観光客が座って太陽の光を浴びていた。

 

ここで記念写真を撮りもう少し坂を上がって行くと、屋台がたくさん有り、燻製のハムなやさいを販売していた。




  



女房は、普段ものすごい水分をとるがヨーロッパに来てから、水分の摂取量は大半減。
お腹の調子が異常だと言っていたが、駅前のクリを一袋買い食べると言った。
時間がまだあったので、私は駅の構内のベンチにすわり、女房はキオスクに行き、飲み物を買って来た。
時間が来たので、氷河急行に乗るためホームに向かった。
真っ赤な車両は華麗な観光列車そのもの。観光客を満足させるものだった。
1等車も満席だった。
対面の座席に座る。
進行方向右側。窓も大きく広く、解放感が素晴らしい。
列車はゆっくり定刻に出発した。
昨日、行った
ZERMATTから氷河急行はスタート。
私たちは途中乗車となる。
他の観光客は、
8時間30分の旅の途中だ。
私たちは、途中乗車、途中下車となる。
1時間30分の観光列車に乗ることになる。
検札ののち、食事の注文を受け付けに来た。
私たちは途中下車なので食事の予約はしていなかった。
確認をしに来たので、ビールを注文した。しばらくするとビールは出てきた。現金決済。
他の席は昼食のテーブルセットが始まった。
景色は美しい、パラグライダーも飛んでいる。
昨日のコースに比べると谷が広く、明るいスイス牧歌風景が広がる。
あっという間に
1時間30分が過ぎた。
他の席は前菜の野菜が出て食べている。私たちは、
ANDERMATTで下車する。
他に下車する人はいない。
1236 ANDERMATTに着いた。
乗り継ぎ時間は
20分あまり。
当初は乗り継ぎ方法が分からないので、
1時間半くらい待つことにしていたが、現地に着くとローカル列車も多く、
待つ必要がないほど簡単に乗り換えることが出来ると分かった。
BELLINZONAの列車時間が決まっているので、どこかでたくさん時間をとることにした。
1248ANDERMATTからGOSHENENに向かった。
高度差のために駅が交差出来ないと分かっていたが、現地に来てみると、相当の高度差を列車が下って行った。
ケーブルカーに乗っているような感じだった。

 

ほとんどがトンネルで、10分余り乗って
GOSHENEN 1300に着いた。
閑散とした駅だ。誰もいない。
ベンチで、テレーズが用意してくれたパンを食べながら飲み物を飲む。
女房はクリをここで全部食べた。これでツウジがよくなると言っていた。

 

 

 

 

 

静かな駅から
1350 BELLINZONAに向かって出発した。
ここからは、イタリア国境の町に向かって列車は走る。山を列車はかけ下るのが分かる。
風景は今までのスイスとはずいぶん違う。



広い谷にはたくさんの家や農場らしきもがある。空気もなんとなくかすんできている。
1時間ほどで
BELLINZONA 1443へ着いた。



1等車とはいえ列車の音が静かだ。滑るように走った。
ここは、すでにイタリアの風情が強い。ここで2時間30分の乗り継ぎ時間が出来た。
以前本を見た時に、素晴らしいお城があると書いてあった。
車窓から見ると、駅の近くの丘の上に

古城らしいものが二つあった。まず駅の正面に出て見たが、どちらも見えない。
リュックが重いので、どこか預かってくれる場所を駅で捜したが、見つからない。
仕方ないので担いだまま町中にでた。
この辺りでは、一番大きな町なのかもしれない。
女房も荷物が重そうだが、頑張ってついてくる。
迷いながら10分くらい歩くと、カステルグランデ 古城の丘が見えた。
エレベーターがあると書いてあるが、どこかが分からない。
通行人の女性に聞いたら、入り口まで連れて行ってくれた
。広場では、祀りなのかステージが組まれてコンサートも行われている。
その横をする抜けると、エレベーターの入り口があった。30mくらいの岩盤の丘だ。
上に着くと石の坂を登り、広場に出た。



土曜日ということもあり、家族連れやカップなどでにぎわっている。
少し寒いが風が気持ち良い。

 

城壁に登ってみる。町が一望できる。



景色はスイスではなくなっていた。
ベンチでしばらく休憩をして下った。女房も荷物が重くつらそうだった。
もうひとつの城にも行きたいと言ったが、距離高さを考えると無理だからやめようと言って、町中に向かった。



広場でコンサートを撮っていたら、女房が不機嫌な顔をしているので、撮影は中止。

 



少し大きな通りに出たら、デモ集会をしているのが見えた。旗も持った人たちも見える。
行ってみると教会の前に100人ほどの人が集まって集会をしていた。何の集会かはわかない。



代表者らしい男性が演説をしていた。マスコミらしいカメラマンが1mの距離で撮影をしていた。
あたりを散策したが、疲れてきたので駅の方へ戻った。
女房がデパートのようなところに入り、トイレを使おうとしたが、しばらくしてないと言って出てきた。
駅前のカフェで休憩・ドリンク・トイレタイムを撮ることにして歩いた。



振り向くと、石畳が逆光で光美しい、その中に人々がシルエットで浮かびあがる。
何パターン化を望遠レンズを使って撮った。

駅前のカフェに行ったが、外が寒いので室内のテーブルに座った。
飲み物を飲んでトイレを探したが、地下にあった。
不思議な雰囲気で少し怖い感じがした。
誰もいない地下の一番奥にあった。
照明は明るいのだが、なんだか変だった。
エレベーターも見たことのスイッチで無事テーブルに帰れるのか不安になった。
時計を見ると乗車の時間が迫っている。
会計をしようとスタッフに合図をしたが、知らん顔をしてこない。
仕方ないので立ちあがって捕まえて支払った。
急いで駅に行くと間もなく列車が入って来た。5号車は事前にホームに表示されるので、近い場所に事前にいけた。



ここからは2等車。17時25分発車。
今までの1等車とは相当格落ちと予想していたが、大幅に格落ちだった。
各部屋に分かれ、各3人がけの向かい合わせだった。指定席なので安心して乗ったが、他の人が座っていた。
チケットを見せたが動じる様子もない。
再度見せると、みんなが都合の良いように席替えをしてここに座れと合図をした。
別にどちらでも良いので言われる通りに座った。
窓際のはずだが、年配の女性だったので、別に文句も言わなかった。
イタリア人。せっかくなので話しかけてみた。イタリア人家族。南イタリアへ帰るらしい。
10時間かかると言っていた。スイスから戻っているといっているが、なまりがひどく聞き取れない。
「ズーリッヒ」にも聞こえる。結局「ツーリッヒ」だった。
全く英語が話せないので、しばらくすると会話が終わった。
国境を超える。車掌が来てパスポートとチケットを確認したら行ってしまった。
全員はチェックしなかった。儀礼的な行事かもしれない。
1時間ほどでミラノに着いた。
それまでの景色は、アルド達といったコモ湖なので、なんとなく懐かしい気分になった。
ミラノ駅に
1850に着いた。はじめてのミラノ駅。古い落ち着いた感じの駅だった。
よく映画に出てくる駅。先頭まで歩いて行くと、事項表示の掲示板があり、目的の列車を見つけて、ホームに向かう。
人が多くリュックを持った私たちは歩きにくい。
なんとか列車と6号車を見つけて乗りこんだ。
通勤列車風で、今までの列車よりも綺麗で乗っている人種もキャリア人風が多かった。

1915発。1時間余りでボローニャに2020に着いた。アルドからの連絡では、エンツォが駅に迎えに来てくれているはず。
当初は、ホテルまでタクシーを使って行く予定にしていた。
700m5分程度で着くと聞いた。
15から20ユーロ。高いような気もするが、
夜の街をリュックを担いで20分〜30分歩くのは危険と思っていたので助かったという気持ちだった。
駅について列車を降りその場で待っていればよかったが、日本の駅のように改札口で待てば良いと思い、出口に向かった。
しかし、駅には改札口がないことを忘れていた。エンツォがいない。困った。

仕方ないので、インフォメーションへ行き相談をしようと思ったが、先客がもたもたしてらちが明かない。
あきらめて、外に出た。
携帯電話を思いつきエンツォに電話をしてみた。
電話は繋がり、どこにいるのか聞かれた。
インフォメーションの前というと、間もなくエンツォが現れた。
握手をして再会を喜んだ。
彼が一番英語がしっかりしていた。
分かりやすい英語で話しかけてくるので、返事も楽。
うまくなったと言われた。
女房を紹介して駐車場に向かった。ホテルに行くことにした。
アイフォンをつなぎナビでホテルを検索して行くことになった。すごいと驚いて見せた。
ところが、車は私の予想とは反対側に行き出した。
一通なのだろうと思い黙って乗っていた、いくら走ってもつかない。
ナビ通りに走っているのは分かるだが10分過ぎても20分過ぎてもつかない。
観光案内をしてくれてるのかと思い話をしていた。
30分くらい走って、やっとホテルに着いた。
夕食を食べてないので、何か食べようと言うことになり、
15分時間をもらいチェックインをしてから部屋に荷物をおいてロビーに戻った。
エンツォはロビーで待っていてくれた。
そのまま、車に乗って町中のレストランへ向かった。
町はすでに静かな町になっていた。大学の多い町なので若者が中心街に集まっていた。
ただ、路上駐車場が見つからず、しばらく探したが見つからず、結局有料地下駐車場に車を置き、街名を歩いて店に行った。
リヨンでもそうだったように、エンツォは自分の決めた店にしか行かない。
探したようだが、なんとか見つけて入った。
有名な店のようで、満席だった。
しばらく立って待っていると空いた。隅の落ち着いた場所。
メニューは分からないので、希望だけを言って任せた。
ミラノ例があるので、たくさんはいらないと言った。
少しづつ分けて食べようということになり、たくさんの種類の料理が出てきた。
スープ・マカロニスパゲッティ・デザート・コーヒー。


 

 

 

お腹がはちきれそうになった。料金はエンツォが出してくれた。
135ユーロぐらいだった。ホテルに送ってもらった。11時だった。