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大元ルート

大元公園から弥山山頂までゆっくり歩いて約2時間50分
大元公園から駒が林を経て弥山に至る。町石やいろいろな動物に見える大小の岩を見つけながら歩こう。

大元ルート 初心者の方とネパリアンスタイルデ (所要時間 3時間45分)

大元神社(9:28)〜血仏(9:33)〜大元ルート起点石(9:36)〜説明3分〜3町石(新発見)(9:51)〜説明4分〜

石仏群(9:58)〜金仏像4町手前(10:04)〜4町石旧道分岐点(10:05)〜蛇岩(10:06)〜6町石・弥山原始林石碑(10:17)〜

説明6分〜7町石(10:28)〜富士岩(10:31)〜休憩5分〜鯉の親子岩(10:38)〜9町石(10:41)〜屏風岩(10:44)〜

11町石(10:53)〜12町石(11:02)〜イルカ岩(11:05)〜13町石(11:07)〜14町石(11:12)〜15町石(11:21)〜

風欠(11:26)〜休憩6分〜16町石(11:34)〜弁財天見学・17町石(11:39)〜岩屋大師分岐(12:49)〜見学6分〜

鞍部(11:59)〜6分休憩〜19町石(12:10)〜三仏像石・地蔵(12:12)〜20町石(12:13)〜駒ケ林分岐(12:17)〜

23町石・大聖院ルート合流点(12:25)〜5分休憩〜クジラ岩(12:36)〜弥山本堂(12:47)〜弥山頂上(12:55)

大元ルート 5月31日 天気 晴れ (所要時間 1時間21分)75才 男性 休憩なし 

大元神社(11:31)〜大元ルート起点石(11:36)〜石仏群(11:40)〜金仏像4町手前(11:44)〜4町石旧道分岐点(11:45)〜

5町石(11:47)〜6町石・弥山原始林石碑(11:55)〜7町石(11:52)〜富士岩(11:53)〜8町石(11:55)〜

鯉の親子岩(11:56)〜9町石(11:57)〜11町石(12:03)〜12町石(12:06)〜イルカ岩(12:08)〜13町石(12:09)〜

14町石(12:11)〜15町石(12:15)〜16町石(12:19)〜17町石(12:23)〜岩屋大師分岐(12:25)〜鞍部(12:28)〜

19町石(12:30)〜三仏像石・地蔵(12:31)〜20町石(12:32)〜駒ケ林分岐(12:34)〜21町石(12:35)〜

22町石(12:37)〜23町石・大聖院ルート合流点(12:39)〜弥山本堂(12:47)〜弥山頂上(12:52)


大元ルート
(町石を中心に編集しています)

  
左は「杜の宿」右が大元公園 後ろは、海と水族館

 
大元神社

 
神社の前にこんな標識があります(2011.3.改定)


 

      
公園を進んでいくと、右に行く道もあります。(公園内なので何本も道があります。)
まっすぐ行くと、厳島合戦で有名な「血仏」があります。


血仏


  
(標高 約20m)


陶晴賢ゆかりの「血仏」


この橋を渡って、本道に戻る。



2011.3 新設

2011.3新設




途中にこんな看板もある。(2011.3改定)


登山道右手にあるトイレ、これが登山道最後のトイレになる。
この次は、2時間あまり登った、弥山本堂まではない。
必ず、利用しましょう。


トイレの左側にある標識。
左へ進むと、30mあまりの距離に看板と起点石がある。


2011.3 改定






右が起点石 左に手作り標識がある。
ここが間違いなく大元ルートと記してある。
あわせて、英文で注意書きがしてある。

起点石

 御山道  富士岩へ 七丁
龍ヶ洞へ 一七丁
岩屋大師へ 一八丁
駒ヶ林へ  二一丁
仁王門へ  二三丁
(実際には、敷石しか残っていない。仁王門は存在しない)
御山(弥山)頂上へ 廿九丁  

  
(標高 約25m)


現在使用されている大元ルート。右に行くと旧道があり、町石(1町・2町)がある
4町で左へ行った新道と合流する。
旧道は、現在ほとんど通らないので、荒れていることと、標識が無いので
一般の観光客はやめたほうが良い。遭難の危険があります。



旧道


1町

橋を渡る手前を右に行くと、旧道があります。
この道を行くと、多々良林道への近道があります。


  
2町

ちょっと目線の上なので見つけにくいかもしれません

3町はありません。
多分、沢に近いので、災害で流失したものと思われます。


沢を渡り、現在の登山道に出ます。
一般の方は、ここから見ているのでしょうか?


新道

この橋を渡り新道を進みます。



この施設が、唯一ルートの人工的建造物。休憩所


意外な場所で新発見 2009.10

未発見の大元ルート3町石
  

 


右の写真、後ろに見えるのは休憩所。
どうしてこんな場所にあるんだろうと思う。昔、土砂災害があったとき、上流から流れ出ていたものを
当時の宮島町が、元の場所を確認しないで、見つけた付近に設置したのではないかと予想される。
1日も早く、元の場所に戻していただきたいものだ。




藪野中に、最近出来た仏様がおられます。(標高 約55m)


金属製の仏像に向かって(ここをクリックください)

新道4町の手前の右手にある仏様。よほど気をつけていないと見落とします。30cmくらいの仏様。金属製。

  
(標高 約80m)

ココから、現在の大元ルートと旧道は合流します



直進が大元ルート弥山山頂へ 右の道が旧道への道。

  
4町 (標高 約85m)
 
5町 (標高 約105m)

蛇岩 (標高 約120m)
 


道の左の藪を見ると、蛇というか?シャチというか?動物の顔をした大きな岩が見えます。
光線具合ですから、見えた方はラッキー

  
6町 (標高 約125m)
その先には天然記念部の記念碑がある。

   


  
この場所から見ると、左手の奥の岩にお釈迦様の姿を見つけることが出来る。
コケむした岩なので、天候によって見える時と見えない時があります。
釈迦の影岩


 


7町 (標高 約140m)
なんとなく動物を思わせる岩を抜けると、右手に7町がある


富士岩に向う(ここをクリック)


  



富士岩 下 (標高 約150m)

写真ではうまくでていませんが、ちょっと感動する岩です。
  


 (標高 約155m)
左は富士岩から見た展望 右は上の道から振り返って見た富士岩。標識あり。


10mも登ると、右手にある岩をじっと見ると 画家ルオーの描いた人物の顔が浮かび上がってきます。
雨のふった、湿った状態の時にはっきり見えます。


ルオー岩

 
8町 7町 (標高 約160m)


鯉の親子岩(ここをクリックください)

  
 鯉の親子岩 7町 (標高 約170m)
下って振り返ると見れます。
右の子供が、左の親に話しかけているように見えませんか?鯉の親子岩


    
見える方はいますか?
七福神の姿があります



9町  (標高 約180m)



屏風岩 A (標高 約185m)

道の左側に、屏風のように立っています。一筆書いてみたい衝動にかられます。

10町はありません

このあたりから、道は急に険しくなります。


標識はありますが、距離とか所要時間の情報はありません。


 

大きな岩が目立つようになり、修験者の山の形相を見せてくれます。




  
11町 (標高 約235m)
  
二つ目の屏風岩出現 (標高 約240m)

  
接吻岩 左側の岩の右半分にあります。
光線・湿り具合で見えます。


12町 (標高 約260m)
 


イルカ岩に向う(ここをクリック)



  
イルカ岩 (標高 約275m)
笑っているように見えませんか。



 
2006年までは美しいコケが岩を覆っていましたが、今は古木が倒れています。
2007年の秋の台風で倒れたものと思われます。
 
  

13町 (標高 約280m)

   



水掛地藏様 

14町 (標高 約305m)


 



急勾配の道を登る 一番苦しい

 
岩にはルートを登りはじめて違和感を感じる植物群、思わず手を合わせたくなる。


石段の真ん中に岩がある。大聖院ルートの大夫戻しを思い出させる

  
15町 (標高 約340m)

 
ますます、道は険しく休憩が増える。


風穴に向います(ここをクリック)

風穴(標高 約370m)

9月中ごろ温度を測ると、19度。外気は28度近くあった。
ここで、しばらくクーラーにあたり疲れをとると生き返る。
  


大師堂がある

    

16町 (標高 約380m)



弁財天のご神体に向います(ここをクリック)


弁財天(標高 約405m)
 


石段をあがり、右を見ると、広場があり奥の岩場には石段がある。
抜けていくと、弁財天と描いた石碑がある。
後ろの大きな岩が、ご神体として祭られていたのだろうか
その大岩は、大きく割れ、割れ目からは底を見ることは出来ない。
風穴に続く入り口かもしれないと夢を広げる。
社の跡も残る。


    
17町 (標高 約410m)

  石段を登ると、左には目もくらむ断崖がそびえたつ、駒が林の崖
龍が馬場・絵馬が林などと言われた場所。
多くの岩があり、不気味な雰囲気をかもし出す。
厳島合戦の時、陶軍がこの崖から追い落とされたのではないかと想像する。
この崖は、宮島に渡る船からも、はっきり見える。



岩屋大師(洞窟)に向って(ここをクリック)


岩屋大師 (標高 約425m)

暫く歩くと、右手に、岩屋大師への道があります。
  


岩屋大師入り口 (標高 約430m)少しルートから外れる(50mくらい) 真ん中は下る道。 


  






2011年2月 なぜか仏様の配置が変わっている

まもなく、尾根に出ます。あと100m



尾根に向って進みます
(ここをクリック)

18町はありません 



やっと尾根に出ました。
まっすぐ進むと駒が林山頂・弥山山頂に向かいます。

  
尾根に出て岩船山を正面に眺めることが出来ます。 

 


暫く尾根を歩くことになります。展望は素晴らしく、爽快な気分になれます。

 


遠くに見えるのは、岩船山 厳島では3番目の標高。多くの山岳愛好家の希望の地です。
展望は素晴らしく、弥山からの眺めとはまったく違う姿を見ることができます。
一般の観光客は、とてもいける場所ではありません。桟橋から歩いて往復8時間あまり。道なき道を行くことになります。



  
19町 (標高 約430m)



三剱窟に向います(ここをクリック)


 


(標高 約435m)

道にある洞窟には、優しい仏様が迎えてくださいます。

(「三剱岩屋」という文字が台座にあることを発見しました。2010.12)

途中、道から見える岩の下側に行くと、修験者の面影が残っている




  


20町 (標高 約450m)

    

 




 
この坂を越すと広場がある。



駒が林・弥山方面分岐点 (標高 約450m)

 
直進すると、大聖院・奥の院との十字路に出る。ここから5分くらい下りが続く。
左の石段を登ると、駒が林山頂に着く。
厳島合戦の古戦場跡。先ほどの崖の上に立つことになる。

行き過ぎて振り返ると、下のような風景。
左の岩を超えて行くと、大元ルート。右の石段を登ると、10分弱で駒が林頂上に着く。
 

 



少し下っていくと21町がある。
 
21町 (標高 約440m)

  
岩屋大師の案内看板があるが、ここから岩屋大師へはいけない。
まぎらわしい標識


仁王門に向かいます(ここをクリック)
                

 
22町 (標高 約435m)

さらに下って行くと、右手に
二つが並ぶように立っています

  
    
何番の町石かは分かりません






  



十字路へ入る、右手の藪の中にあります。
意外と見つけにくいので探してみてください。


23町 (標高 約420m)


奥の院へ続く番号ではないかとも言われています。

ここでが交差点
左に 大聖院ルート
右に、看板・ベンチ その奥に奥の院への下り道
正面は、仁王門跡弥山頂上への道





嘉永元年の絵より




2010年 看板が新しくなりました。



  
2010. 所要時間が距離表示に変わった
大元公園までは 2.8km 時間は 1時間から1時間30分(休憩は必要。加算してください)
大聖院までは 1.9km 時間は1時間程度。
弥山山頂までは 0.6km 時間は15分から20分(大日堂経由と弥山本堂経由の2ルートあり)

  

2005m年に崖に落ちていたものを発見
引き上げられた。
16丁


くじら岩までの道の左側にある

何丁かは不明(仁王門からすぐ先)・19丁
    


クジラ岩に向います(ここをクリック)


くじら岩を下り、御山神社の入口付近、左側にある。
20丁 


御山神社の入口を数m過ぎた左側に集まってある。
湿った場所なので、マムシに注意!!
17丁・23丁・不明





御山神社との分かれ道
弥山展望台(水掛地蔵・弥山本堂・霊火堂・三鬼堂そしてROPE WAY)へ

18丁(2種類)
昔、ここまでが18丁といわれていたが
伊藤博文が改修工事をして距離が変わったと言われている。



大日堂と弥山本堂へ行く分かれ道。
左に行くと石段があり、大日堂を経由して弥山頂上へ向かう。
右に行くと、霊火堂・弥山本堂。三鬼堂から弥山頂上へ向かう。
21丁


まず、弥山本堂・三鬼堂へ行きましょう
ここで、少し休憩をしてから
頂上を目指しましょう


2010.12 標識が新しくなっています
 



霊火堂(消えずの火がある)
霊火堂は昭和27年に創建された
2005年5月5日に消失
現在の霊火堂は2006年7月17日再建されたもの
昭和27年(1952)以前は、弥山本堂の中で燃え続けていた。



標高 約463m  昭和27年頃の弥山本堂と霊火堂

ここで、休憩して、頂上を目指す。ここからは、10分弱で頂上に達する。

石段を登って行きます。



三鬼堂

右に三鬼堂を見ながら、左手の石段を登る。
三鬼堂の前にある 
23丁石
  



  
三鬼堂から石階段を登ると、すぐに左手にある。
新しい22丁が、最初にある。



  
そこから、30mくらい登ると、右手の千手観音の横にある。 標高 約499m
いずれも被害なし。
左の写真の22丁が、最初にある。



台風で倒れた大木が道をふさぐ。

向こうに観音堂・文殊堂が並ぶ
うしろに見えるのは弥山山頂
  


台風で倒解した鐘楼の跡

左に鐘楼跡、中央は昭和天皇が皇太子時代に桜を植樹された場所。
右の石段を登ると弥山山頂へ、途中、毘沙門堂跡がある。

大正15年5月27日 昭和天皇(当時皇太子)が弥山登頂された記念石碑。





写真右の岩の中腹に毘沙門堂があった。
今は、石仏が安置されているのみ

220年前に奉納されている
  


大きな岩の道から下を眺めると、手前に大日堂、御山神社や遠方には、奥の院がかすかに見える。


 
左の道を行くとくぐり岩を通って弥山山頂へ行く。右は、毘沙門堂跡入り口。
    
右は古い当時の写真から、明治以降違った建物があった様子

2?丁(被害なし)
今はない毘沙門堂の入口付近にある。

2010.12 1m離れた場所に丁石の下半分が発見された


くぐり岩 標高 約519m


梵字で書かれた石塔がある
24丁(被害なし)
頂上付近の大岩の入口にある。昭和天皇が皇太子の時に来られたことも書かれている。

24丁石・昭和天皇皇太子時代登山記念碑
標高 約529m
  
頂上付近の大岩の入口にある。昭和天皇が皇太子の時に来られたことも書かれている。
 
頂上 標高 535m


頂上には、石仏などが残っている。



2014年リニューアル トイレはあるが、冬場凍結で水が出なくなり、使用禁止の時期があるので注意。
その場合は、弥山本堂横のトイレ。またはロープウェー獅子岩駅のトイレを使用。



展望台からの景色。
1番 弥山の標高を示す石(この場所では 標高、約530mとなっていた)
2番 現在、国土地理院の標高変更があり、この地点を頂上と決め 標高535となった
3番 霊火堂・弥山本堂から登って来た道
4番 ここから下ると、陰陽石・干満岩・舟岩・かいせん岩・大日堂へ行ける。

降り口にある、「弁慶のかかと」といわれる場所がある。
写真では、左の下の岩にくぼみがある。
この道を下って行く。写真に人物が写っている場所から振り返ると、陰陽石が見れる。




降り口にある、「弁慶のかかと」といわれる場所がある。
写真では、左の下の岩にくぼみがある。

この道を下って行く。写真に人物が写っている場所から振り返ると、陰陽石が見れる。

陰陽石

手前が男性・奥の岩(お尻をイメージする岩)

 

 
滑りそうな岩山を下る。 干満岩の手前の右の岩の上に上ると、昔、桜の木が岩を二つに割った名残が見れる。

干満岩




  
どれか分かりますか?
岩の真ん中に直径5cmほどの穴があります。手を突っ込んでなめてみると、わずかに塩味がします。
  
                                            下って振り返ると左のような景色が見えます。

 
何かいわくありげな大岩です。十字の割れ目には、石仏が安置されています。



左に行くと、大日堂へ向かう道。
右の石垣沿いに行くと、大岩があり、展望は良いですが、ほとんど人は行かないようです。






舟岩 右下には石仏群があります。
そこの仏様も、町石のようだが不明

   

右から下ってくる。左は、大きな岩の下の仏像を見に行くことができる。また、かいせん岩をくぐると
右の道と合流するが、現在は、かいせん岩の間は通行できない。

ここから石階段を下ると、左手に大日堂がある。



奥の灯篭の左奥1mの場所に最古の町石がある。
  17丁(被害なし)慶長の頃で、最古です。
1599年作と言われている

大日堂の向かって右側の藪にある。


大日堂




石段を下って行くと ふたたび 21丁のある広場に出る

石段を下から見上げた風景

石段を下った右側の藪に18丁石が並んでいる


2010.12 標識が新しくなっています
 



左に行くと、弥山本堂・霊火堂にでる。
右に行くと、大聖院ルート 御山神社・奥の院・駒ケ林・大元ルート経由大元公園へ至る

この道は、少し険しいが、御山神社へ行ける
途中山中に、石鎚神社もあるが一般の方は行くのは難しい。


十三佛御真言 標高約465m



霊火堂に戻って来ました