平和公園
私にとって、平和公園は無縁であった。解けた煉瓦やガラスが公園のいたる所に落ちていた。それを、数個持って帰った記憶がある。
次に、高校の後輩の女の子のお母さんに被爆してケロイドが残っていた。写真を撮らせてもらった。「若いあんたには、刺激が強いね」と言いながら、腕と膝をまくりあげた。その時には、二つの意味が有ることは気が付かなかった。
大学に入り、8/6写真を撮りに行った。
朝早くから、お参りに来るお年寄りをなるべく近づき、地面にはいつくばって撮った。
家に帰ると、親父がテレビを見ていて、私の後ろ姿がテレビに映ったのを見たようだ。一言文句を言われた。
最近は8/6、自宅でテレビを見ながら手を合わせる。文句を言った親父より、私の方が年齢が上になっている。
先日、観光連盟の知人に、「先日、広島に修学旅行の学生が来なくなったと新聞に書いていましたが、広島の学生が、修学旅行で平和学習と題打ってどこかに行っていますか?何か一方通行のような気がするのですが。
原爆ド−ムは観光資源なのだろうか?
世界遺産に登録され、宮島と同様に扱われるのを見ると、何故か、素朴におかしいと感じてしまう。
宮島は観光の地として、今後、益々来て頂きたいと願うのですが、原爆ド−ムは平和の願いを込めた聖地としての位置づけを、今から担わなければならないのに、何か違う気がしてなりません。
今回、自分自身が考えたことを、写真で表現しようと考え、ポストカ−ドを製作しました。
売店で絵葉書を見ても、美しい原爆ド−ムが有るだけで、とても違和感を持ってしまいます。暗いイメ−ジはいやだとかとか言うことも聞きます。
しかし、どう逆立ちしても明るいイメ−ジに転化することは出来ません。
これからの広島のやらなければならないことは、平和という抽象的なことを全面に出すだけでなく、人間の心の平安と言うことを考え感じさせてくれる場所として、世界に貢献する仕事が有ると思います。
そのことに気がついてないのではないでしょうか。
広島に暮らしていると、とかく見えなくなってしまうことが、外から見ると本当に真理をついて見えてくることがあります。
私が行った外国でも広島の知名度は抜群なものがありました。
平和・平安の聖地とそて広島のアピ−ルをしたく、
また、
何かを感じとって帰って頂ければと製作しました。 絵葉書について 2000.8.6