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BALI

期待を裏切った旅

フィルムを10本しか持たない旅。
正味は4日間。カメラマンにとっては、10本という本数は、数のうちに入らないかもしれない。
しかし、今回の旅は、家族との時間を過ごすために計画された旅であったからこれでも多いかとも思った。
計画もほとんど立てない、バリ島の情報も入れないままの出発。飛行機に乗ってから、
本を読めばいいや・・・とばかり
出発の2日前に、やっとスケジュ−ルらしきものが把握出来た。
関西空港を午前11時にガル−ダ航空で出発。間に合うように、新幹線で新大阪を目指した。
2時間前には、到着して搭乗手続きをしなくてはならない。
JTBLOOKのツア−に参加。と言っても、家族4名のツア−。
閑散期とのことで、単独で計画をした場合の飛行機代金で、
ツア−の旅費及び宿泊費そして朝食全てがまかなえた。
1日のみ、JTBのオプションツア−に参加。それ以外は自由行動だった。

降り立った空港は、マニラのようなごった返した熱さと、鋭い視線があった。
さあ敵地といった感があった。そこにJTBの担当者が、笑顔で近づいてきた。
精悍な好青年の雰囲気を持っていた。まず、両替所に行き円からルピアに換えてもらった。
レ−トが場所によって違うので、だまされないようにと言われていたので、
警戒をしながらレ−トについて聞いた。
この場所は、だいじょうぶと言われた。2万円ほど換えた。
そこから、空港の駐車場の中のワゴン車に向かった。
JTBのシャツを着ているので、一応は安心してついて行った。
ツア−と言うことだが、実際には家族4名のみ。
車で、ホテルまで連れて行ってくれた。南国風のロビ−。
蒸し暑さ。バリ島なのだと実感する。今夜は、このあたりで夕食を食べることになる。
明日のオプションツア−の説明をして帰って行った。
二つの部屋に別れ、少しゆっくりとした後に、夕食のため、街中に出ていった。
大きな街ではないが、道路の工事をしていて、観光地という風情はなかった。お店は、
オ−プンカフェのようになっていて、客引きのスタッフが声をかけてくる。
間には、夜店のような露天商が建ち並ぶ一角があった。
入りかけたが、ちょっと怖いので、少し歩いた所にあるデパ−トで、サンダルを買った。
0が二つ多いので高く感じるが、実際には、5000ルピアは50円である。
デパ−トは値切っても負けてはくれない。そして、小銭のお釣りのかわりにキャンディ−をくれる。
デパ−トを出て、ホテルに帰る途中に、カフェに入り夕食を食べた。外国人しかいない。
日本人は入りにくいのかもしれない。
男女の歌のショ−をしていた。
パワフルな歌声だった。そして、最初の夜は更けた。

到着 2日目(2004.6.22)

早朝から、ホテルを出発してJTBのツア−に参加。と言っても私たち4名だけ。
ワゴン車に乗り添乗員・運転手が同乗。
バリ島の踊りを見物に行く。1時間余りのところ。交通事情が日本とは違う。
バイクが多く、車の前にでも平気で出てくる。どうも道は平行に走っているらしく、
私道のような道に乗り入れ、別の道に入って行った。
割り込んで入るのがなかなか勇気がいる。広島のようなことをしていては、
いつまでも入って行けない。
土地柄のあうんの呼吸がある。
道は比較的広いので、かなりとばしている。
農家の中のような所にステ−ジがあった。
私たちと同じような、ワゴンにに乗って来る人達や小型バスでやってくる。
ほとんどが東洋人のような気がした。
日本人も多い。
1時間程度の踊りを見学した後に、金銀細工の工場に連れて行かれた。
ツア−に参加したときの踏み絵のようなものだとあきらめてつきあう。
しばらくして、私は、外に出て庭で像を撮った。
出口には、籠に入れたお花が落ちていると思っていたら、
ヒンドゥ教の儀式で花と米をお供え物として置いているのだそうだ。
危うく踏むところだった。












添乗員の人が気を利かせてくれて、石仏を作る工場に連れていってくれた。
部落によって、石仏・土器・木工等を作り分けている。
私は、石仏の墓場のような所に興味があり、実際に作っている工場は、ほとんど見なかった。














昼食をバり島らしい雰囲気のお店で食べた。辛口のものが多いが、味がなかなか良い。
ついつい食べ過ぎてしまう。他にもJTBの添乗員が数組日本人のお客さまを連れてきていた。





葬式にぶつかった。何百人もの人が、行列を作って歩いて来た。





免税店が入る、大きなショッピングモ−ルの一角では、
民族衣装を着て写真を撮るビジネスがあったので
撮ってみることにした。
庭を歩いていたら、初老の夫婦が写真を撮らせてくれ言ってきた。
「日本人ですが、良いんですか?」と
聞いていた。笑ってしまう。




夕食は、かなり豪華なホテルの中のレストランでロブスタ−を食べた。
入り口には、こんな像があった。




到着3日目(2004.6.23)
広島の松波さんたちが持っている、別荘からマディさんが、1時間もかけてホテルに迎えに来てくれた。
本当は、その別荘に宿泊する予定だったが、
様子が分からないのもあり、JTBのツア−に申し込んだ。
勝手に行く往復飛行機代金とツア−の往復飛行機代金・宿泊料等が同額というのも女性群を引きつけた。
マディさんは、快く案内を引き受けてくれた。
ウブドゥに戻り、アピアピと呼ばれる別荘に行き、休憩をして、ウブドゥの村を案内してくれた。
山岳地帯の入り口あたりにあり、宿泊している海岸とは、様子が全く違う。
中国にも感じが似ている。白人の観光客が多い。
どこの国かは全く判らない。
ギャラリ−が村のあちこちにある。宮殿もある。市場もある。美術館もある。
文化的な水準はかなり高い観光地のような気がした。
南洋の島。青い海。のイメ−ジで行ったので、
その点では、かなりのギャップはあったが、それなりに面白い国に来た。
しばらく、マディさんは自宅に帰ったので、家族だけでお店を見て歩いた。
私は、一人で宮殿に行った。
少し時間が余ったので、美術館に行った。広い庭の中に3棟に別れていた。
時間が20分位しか残っていなかったので急いで廻った。庭の蓮の池が美しかった。
レストランで、冷たいものを飲んでいたら、お寺で踊りの練習をしていた。

ウブドゥの街を散策した。山の手にある、工芸の街









王宮に入ってみた












美術館の庭


レストランの隣のお寺で踊りの練習

夕方、寺院の前で、踊りに稽古をしていた






4日目(2004.6.24)
ホテルにマディさんが迎えに来てくれて、ウブドゥへまた戻り、
ここから1900m位の高地にある、カルデラ湖を見に行くことにした。
ウブドゥから1時間くらいの距離。ひたすら舗装された幹線道路を登って行く。
なんか懐かしい気分にしてくれる。空が曇っているので、
山は見晴らしが悪そう。やはり、頂上付近のレストランで昼食を食べようと立ち寄り、
すばらしい眺望を眺めようとしたが、すでに雲が押し寄せ全体を眺めることは出来なかった。
食事の途中、スコ−ルのような、滝のような雨に襲われ部屋の中に避難した。
カルデラの中に降りるのはあきらめて、小雨になった時を見計らって、
山を下りた。時間が余ったので、木工細工をしている工場を見学。そして、
アピアピに戻り、村のお寺に行き、特別に入れてもらった。
腰布を巻き、頭にも布を巻いてお参りした。
マディさんの家族や、建築中の職人さんの写真を撮る。
少し歩いて村の人も撮った。
わざわざ、椰子の実をとりに木に登ってくれて飲ませtくれた。余り美味しいものではなかった。
次の日、家族はホテルでエステなどをしたいというので、私だけは家族をホテルに置いて、
マディさんとアピアピへ戻り、別荘に宿泊した。
次の日、地元の人しか行かない市場に連れて行ってくれることになった。
























村のお寺、鍵がかかっていて、普通は入れない。


























マディさんの家族、まもなく一人増える予定








おやじさんは、小川で、今しめたアヒルを毛を抜いていた。



夕焼けが綺麗だった

5日目(2004.6.25)

子ども達は、学校に行ってしまった。



おばあさんは、庭の廻りにお花と米をお供えしている。のどかな時間が過ぎていく。
日本のように、だんだん明るくなるというよりか、突然、ぐんぐん明るくなって太陽が出てくる。




おばあさんは、照れるおじいさんを引っぱり出して、
カメラの前に立ってくれた。まだ、若い59歳とのこと。












早朝、ウブドゥ市場に行った。すぐそばに小さなお寺があった。中には入れないが、近くで撮れたので、しばらく撮っていた。まもなく市場に行ったが、なんか場違いな人間が入って来たような
雰囲気に圧倒されて、見ていた。ただ通りすがりの写真を撮るのではなく、本当にとるのなら毎日通ってからでないと撮れないような気がして、しばらくはいたが立ち去ることにした。元のお寺に戻り、当分の間写真を撮っていた。この信仰心は、どこからくるのだろうか?日本人が忘れた心が、ここにはあるような気がした。







観光客は全くいない。不思議な雰囲気が漂っていた。









鋭い目線が刺してくる。しかし、挨拶をすると人なつっこく笑ってくれる。向こうも、
不気味な存在なのだろう。










お供え用の花が売っていた。


やたら狭く。暗い。通路は一人が抜けれる程度。わいわいという賑やかさはない。



















とにかく、ひっきりなしにお参りにくる。無言で、お供えをしている。飽きることなく見ていた。ややもすると、カメラを忘れてします。
ム−ビ−で撮ってみたいと思った。離れがたい気持ちになる。
カメラを向けても、誰も意識もしていない様子でる。














古いお寺に行った。ここは、観光客を入れてお金を集めていた。修復には多くの金額が必要だろう。
日々村人が来るお寺は、それなりに寄進や手入れがされているが、ここはその部類のお寺ではないようだ。















海岸に戻って、夕方まで時間を過ごした。
夜は、タクシ−に乗り40分くらい走ったレストランで食事をした。なかなか海岸近くで外国人がほとんどの良い店だった。



















今回は、家族4人で旅をすることが目的だったので、フィルムも10本程度しか持っていかなかった。
作品を作りに行くのではなく、家族と出来るだけ多くの時間を持ちたかった。
さすがに、気を使ってくれたのか
最後の1日だけは、写真を撮ればと言ってくれたので、マディさんの住むアピアピへ泊まり、
市場などに行った。
今までの、私だったら市場に行き、厚かましくもがんがん写真を撮っていただろう。
カメラが向けれなかった。
マディさんには、「本当にこの市場を撮るのなら1週間でも通い、仲良くなって撮り込みたい。
今日は、出来ないので
写真を撮るのはやめます。むしろ、お寺のお参りの景色を撮りたいので戻ります。」
そして、お寺に帰り写真を撮り続けました。無心にお参りする人たちの後ろ姿には、
なんとも言えない安らぎのような
雰囲気が漂っていました。煩わしいカメラが覗いていても、全くきにすることなくお参りする姿に
バリ島の人の心を見たような気がしました。
マディさんに最初に会ったとき、宿泊出来なかったことをわび、案内だけをお願いする厚かましさをわびました。
宿泊しないので、聞いていた金額では申し訳ないので、幾らにするか相談したとき、困ったような顔をして、
普通観光案内をしたときの金額を言いましたが、松波さんの友人だからまかせると言いました。
そして、「バリの人間は、心を一番大切にする。お金の事を話すのは苦手だ。まかせる。」
JTBの若い添乗員も、一生懸命説明をしてくれた。空港につき中に入って行くときも、
姿が見えなくなるまで、手を振ってくれた。
ただ、それだけの事かもしれないが、バリの印象をものすごく良いものしてくれた。
家族との時間もたくさんとれた。新大阪からは、長女の亜子ちゃんは、東京に向かった。
今度家族4人で一緒に旅が出来ることがあるのだろうか?結婚もあるだろう。仕事もあるだろう。















BALI
今回、バリ島へ行ってお世話になったマディさんが管理する別荘。
当初は、ここに宿泊する予定だった。
手違いから普通のホテルに」宿泊、私は、最後の夜、一人でここに宿泊して
ウブドゥの朝市に行った。
マディさんにお願いすると、バリの見所を車で案内してくれる。
ご希望の方は、松波龍一さんまで申し込んでください。格安でバリの情緒が味わうことが出来ます。
E-mail nami@urdi.co.jp