歩き遍路第11日目
2014.3.6 41436歩
<参拝寺> 75番-文殊院 76番-西龍寺 77番-平泉寺 78番-林光寺 79番-禅長寺
出発点:観音寺(74番) 到達点:禅長寺(79番)付近
5時過ぎ、目が覚めて外を見ると吹雪いている。しんじられない光景。
屋根には雪が積もっている。
道路を見ると真っ白。
アイゼンを修一君に渡したことを後悔した。衣類も渡した。
一番暖かいダウンジャケットを持ってないのが不安。
頭が真っ白になった。
このまま、一泊して天候の回復を待ったほうが良いのではないだろうか。
特に、今日・明日は山岳部に入る一番の難所。
必要な時に持っていない。女房に怒られるだろうと頭をかすめる。
それから、時々、外を覗くが、吹雪はひどくなるばかり、景色が雪景色に変わって行く。
7時食事をしに降りて行く。
食事をして出発の準備をして待つ。
女将さんは乗せて行ってくれると行っていたが、いない。
心配して家族の人に聞くと、いま出かけているが、すぐに戻ってくるからという。
約束の時間から数分して女将さんが戻って来た。
走ってエンジンを温めていたという。
軽トラ。
4輪駆動車。吹雪いているが地元の人は気にしないで車を走らせる、カーブになると滑ってよこすべりをする。
気にしてないようだ。
出発点まで6km。
10分弱で着いた。
お礼を言って下車すると、気をつけてと告げてそのまま走って行った。
自宅とは反対側。用事があったのだろうか?
その後、戻って来る軽トラには出会わなかった。
月布施という地名。
観音寺は昨日お参りを済ませているので、75番札所文殊院へ向って出発。(8時9分)
村では女性が数名、各自自宅の前を雪かきしていた。
吹雪いているので大変そう。
赤いフードをつけたおばあさんが雪かきをしていたので、写真を撮らせてもらった。
照れていたが、しっかりカメラ目線。(8時23分)
車を降りて出発して1時間半歩き続けた。
晴れたり吹雪いたりが交互にやってくる。
寒さも堪える。
しかし、歩くと下着は汗でぬれてくる。
しかしウインドブレーカーに吹き付ける風は冷たく。
暑さと寒さを同時に感じる不思議な感覚に襲われる。
吹雪いてくると雪をうまく撮ろうとチャレンジするがうまく撮れない。
75番札所文殊堂は地図から想像していたのとは違って、道路に面した場所にあった。(9時22分)
空は真っ青。今までの吹雪はどこに行ったのだろうか?
境内には5センチくらいの積雪。
誰か我歩いたのか、一人分の足跡が残っていた。
雪の上を歩くと気持ちが良い。
境内には、雪をかぶった地蔵さんがあり、気になる地蔵を撮る。
9時50分出発。
ここから、しばらく札所はなく、次の札所へは曲がりくねった道をかなり登って行く必要があった。
その前に、松ヶ崎がある。
この場所は、新潟本土に一番近く、流人など人々が渡って来る最短距離の場所として有名だそうだ。
松ヶ崎を目指してひたすら歩く。
景色は特別感動するようなことはなく、
時々海岸の近くの岩に1本の木が生えて山水画のような景色があるだけだった。
新しい道は、昔の風情のある町並みを通るわけでもないので、ただただ単調にひたすら歩くのみだった。
11時37分松ヶ崎燈台の公園に着いた。
太陽は輝き、空は青い。
が公園の敷地は雪で真っ白。風も寒い。
ここには、日蓮上人が上陸した地として、記念碑等があった。
渡って来た当時の実物大の船も展示してあった。
代官所の跡もあった。海の向こうには新潟本土が見える。40kmくらいの距離らしい。
代官所跡の前が、風も無く太陽の光が暖かったので地面に座り込んで、作って貰った弁当を食べる。
やはりこんな時は、米は一番力がつく。自販機もあったので、暖かいカフェラテを買って飲む。
トイレの設備も充実している。
しばらく休憩をしてから出発した。
50分くらい休んで出発した。
このあたりは、イカの一夜干しの産地らしい。
お店が数軒あった。
この地域の町おこしは、自分のうちの屋号を飾ることらしく、
各家には表札とは別に木札に屋号を彫ったり、焼印を押したりして飾ってあった。
面白い村だった。
日蓮ゆかりのお寺や、立派な神社もあり昔はかなり栄えていたことがしのばれる。
多田(おおだ)という町に入った。
今までの村とは違い電気屋さんやJAスーパーなどがあったが、予想していた町ではなく大きな村と言う感じだった。
山岳に入る前にJAがあったので、電池を購入した。
GPSのバッテリーが予想以上に消耗が激しい。気温のせいかもしれない。
真っ直ぐなゆるい直線の道を登り、ここからいきなり急勾配の九十九折の道になった。
道幅が広いので、外輪で歩くか内輪で歩くか思案した。
松ヶ崎を出発して1時間。
途中、ガソリンスタンドで聞き、バス停を探しながら歩いていた。
76番札所西龍寺の入り口には案内看板があったので、細い道に入り山道を登って行った。
途中、お寺が見えたので安心した。
赤い山門があり積雪もあった。(13時26分)
標高が高いので仕方のないことだ。
人は住んでいるようで、車などが置いてあった。
ここは二つの選択肢の道があった。
少し戻って幹線道路を行くか、最短距離を選んで行くか。
迷ったが最短距離を行った。畑の中急勾配を登って行く。
途中畑仕事している人に聞いたら、ここまできたら進みなさいと言われた。
間違っていたのだろう。
言われるままに急勾配の道を登って行った。
道路にも積雪があり日陰は凍っていて滑って危ない。
滑らないように、2kmくらい行くと幹線道路に出た。
ここから300mくらい行くと、77番札所平泉寺が見えて来た。
大きな立派なお寺。(14時13分)
このあたりが豊かな土地なのだろうかと想像した。
寒い。お参りを済ませ、次へ行く手段を考えた。
車で行くなら、今来た道を引返すのが得策と思われるが、歩き遍路には余りにも距離が長すぎる。
地図には細い道が記載されている。
この道を下るのが一番ではあるが、どんな道なのか分からないので、
もし、山道であれば迷う危険性があるので悩んでいた。
お寺の住職に聞くのが一番良いと思い
ちょうど出てこられていたので、聞いた。
ぶっきらぼうな方だったが、私が聞いた道が一番良いと言われた。坂道を登るように見えた。
不安はあったが細いほうの道を登ることにした。
寒いこともあり体を動かすことを考えた。登りを40分ほど歩くと分岐点に出た。(14時55分)
周りは雪が白い場所が多い。
畑は真っ白。
標識があり莚場という文字があった。
今夜宿泊する場所だ。
道は広く獣道どころか、3台車を並べてもおつりが出るほどの幅だった。
農道である。
道には雪は積もってないが、小雪がちらついている。ここから海に向って急勾配を下って行くようだ。
一気に駆け下るようにして歩く、途中吹雪になり先が見えなくなった。(15時31分)
木々の写真を撮りながら、ポンチョをかぶり防寒と防水対策をする。
海岸線に着くと、ちょうど民宿の女将さんが外出から戻って来たところだった。
すこし時間があるので、少し先まで行きますといって赤泊方面に向って進んだ。
30分くらい歩くと、78番札所林光寺に着いた。(16時22分)
行き過ぎないか心配しながら聞きながら進んだ。
道路から細い道へ入り、石段を登って行くとお寺はあった。
雪も積もり風情はあったが、急いでお参りをして先を急いだ。
5kmくらいの道を急ぐ。
ここをがんばっておけば、明日、一旦赤泊を越えて79番札所へ行き、再び赤泊に戻って山越えをすることになる。
負担を軽くするためにがんばることにした。
赤泊について、歩いていると北雪酒造があった。
15年前、この地を訪問して、当時の社長と意気投合。
工場内の写真を撮らせてもらったり、私の写真を使って焼酎のラベルを発注してもらった。
その後は年賀状のやり取りだけだったが、今回、出発前に手紙を書いておいた。
5時直前ではあったが、北雪酒造に立ち寄った。
挨拶だけでもしておこうと思った。
窓口に行くと、妙にさめた返事が帰って来た。
「今は、会社に関係ないので、自宅に言ってください。案内します」と言われた。
実は、佐渡について聞いたことがあった、3週間前に亡くなったらしいと。
そのことも案内してくださった方に確認をしたら、間違いなかった。
車で1分くらいの場所に自宅はあった。
御礼を良い下車。
自宅を訪問した、家族の方は会ったことがないので、分かるか心配したが奥様が出てこられた。
名乗るとすぐに分かられた。「お手紙をいただいた時、お通でした。」と言われた。
お参りだけさせてくださいとお願いした。
遍路装備、雨具を着ているので上がれるまで随分時間がかかった。
ちょうど、知り合いの方が来られた。
先ほどまであなたのことを話していましたと言われた。
道で私を見かけたらしい。
四国も遍路をされている方だった。
お参りをしてお茶をいただきながら少し話をした。(17時37分)
奥様は東京の方だった。急なことだったと話された。
何も持ってないのですがと、持参していた「幸紙」「鳥居」の版画を説明して差し上げた。
喜んで頂いた。
宿の奥さんが心配をしてくださって電話を下さったので事情を説明した。
78番札所林光坊まで行きたいのでとJAの角に近づいたら連絡しますと伝えた。
30分くらい話をして出発した。息子さんも出てこられて挨拶をした。
お寺は、旧道を行くと分かると言われたのでそのまま進んだ。
79番札所禅長寺の石段に着いた時は、6時だった。
あたりは暗く、写真を撮ろうにも露出不足になる。
手振れを覚悟で撮る。
石段をあがっていくと、青白い境内に雪が美しく光っていた。
急いで本堂に入り納経を済ませた。
外に出ると、真っ暗になっていた。
赤泊からの登り道まで行きたかったので、急いできた道を戻った。
1.5kmを最速で歩いた。
宿の奥さんに電話をして、15分くらいでJAの前に着くことを伝えた。
7時前になっていた。
真っ暗な道に立って、待っているとご主人が迎えに来てくださった。
ご主人は、80歳近い方ではあったが、元気そうでもあり頑固そうでもあった。
道々話をした。北雪酒造の内情を聞くことが出来た。会社でなぜそっけない扱いを受けたかも聞いた。
後年、不遇のまま亡くなられたらしい。
宿に着くと、女将さんが心配をしてくださったようで、すぐに風呂に入るように薦められた。
そして夕食を食べるように言われた。
洗濯をしたかったので、お願いしたら洗濯機を貸してくださった。
風呂に入る前にセットして、食事の前に部屋に干した。
ここも石油温風ヒーターだった。
うっかりしてシャツの着替えを持って着てなかったので、1枚のシャツを着なくてはいけなかった。
うっかりしていた。明日になれば、修一君が来るのでもらおうと思っていた。
食事をしようとすると、料理は半分くらいではあったが、2人前の用意がしてあった。
ご主人が食事をしながら、話がしたいということだった。いいですよ。と言って座った。
お酒の好きな方らしく、ビール?焼酎?日本酒?と聞かれた。
遍路の途中なので禁酒をしているわけではありませんが、強くないのでビールを少々ですと答えた。
佐渡に来て日本酒を飲まない手はないぞと言われ、少しでいいから北雪を飲んで行けと言われ飲まされた。
おいしい、もう1杯と言われお猪口を差し出す。
この酒と飲み比べてみなさい。
と別の酒を飲まされる。
先ほどの酒のほうがおいしいと言うと、満足したように、まあ1杯と来る。食事は食べきれない。
先に失礼をお詫びしておく。
食べられるだけで良いからといいながら勧める。
ふらふらになる。
話は、遍路の話から真言宗そして北雪の今の事情を話された。
以前のような勢いはないそうだ。
私が会った時は、シェア35%と豪語されていたが、今は見る影もないそうだ。
2時間くらい食事と飲みだったが、明日赤泊までバスで行くには、
7時過ぎに1便学生車があるのでそれに間に合うように早起きをしなくてはいけない。
遅れたら、送ってやるとお父さんが言ってくれたが、甘えるわけにはいかないと思う。
朝は、わらじ酒を飲んで行けと言われた。今夜中に準備をしておかないと、明日の朝が間に合わない。
「民宿 見行崎」泊 夕食・ビール・朝食・弁当(宿泊費込み 7000円)